THE SOUNDING EARTH 音で旅する地球儀
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地球を回して、光る場所に触れてください

2000

THE SOUNDING EARTH — 音で旅する地球儀

国境ではなく「文化圏」で世界の音楽を探索するインタラクティブな地球儀。1920年代から現在まで、時代ごとの代表的な録音を、地域と時代から辿れます。

カリブ海

スペイン、アフリカ、先住民の文化が交わった島々。キューバのソン、ジャマイカのスカやレゲエ、トリニダードのカリプソなど、20世紀の世界の大衆音楽に最も大きな影響を与えた地域のひとつ。

コンゴ盆地

コンゴ川を挟むキンシャサとブラザヴィルを中心に、キューバ音楽のレコードに触発された「コンゴのルンバ」が生まれた。のちのスークースとともに、アフリカ大陸全体を踊らせた音楽。

サヘル/マンデ

サハラ砂漠の南縁に帯のように広がる地域。マリ帝国以来のグリオ(ジェリ)の語り歌、コラやンゴニの弦、そしてトゥアレグのギター音楽まで、乾いた大地から豊かな弦の音楽が生まれてきた。

バルカン

オスマン帝国の長い支配のもとで、スラヴ、ギリシャ、ロマ、トルコの文化が重なり合った半島。7拍子や9拍子などの「アクサク(不均等)」リズム、ロマのブラスバンド、ギリシャのレベティコが響く。

アナトリア

ヨーロッパとアジアを結ぶ高原。オスマン古典音楽、アシュク(吟遊詩人)のサズ、1960〜70年代のアナトリアン・ロック、アラベスクまで、マカーム(旋法)と変拍子の豊かな伝統を持つ。

ブラジル

アフリカ、ポルトガル、先住民の要素が溶け合った巨大な音楽の大陸。リオのサンバとショーロ、北東部のバイアォン、ボサノヴァ、トロピカリア、ミナスの音楽まで、地域ごとに異なる響きを持つ。

セネガンビア

大西洋に面したウォロフ語圏。サバールの太鼓とグリオの歌を土台に、1960〜70年代にはダカールのクラブでキューバ音楽が愛され、やがて独自のダンス音楽「ンバラ」が生まれた。

ギニア湾岸

港町が育んだ大衆音楽の宝庫。ガーナのハイライフ、ナイジェリアのジュジュとアフロビート、ベナンのヴードゥン・ファンク、そして21世紀に世界を席巻したアフロビーツまで。

アフリカの角

独自の五音音階「キニット」を持つ高原の国々。1960〜70年代のアディスアベバでは、ブラスとオルガンが響く「黄金時代」が花開き、のちに「エチオピーク」として世界に再発見された。

スワヒリ海岸

インド洋交易で結ばれた海岸地帯。アラブやインドの響きを取り込んだザンジバルのターラブ、ケニアのベンガ、そしてコンゴから渡ってきたルンバの楽団が、ナイロビやダルエスサラームで花開いた。

南部アフリカ

ヨハネスブルグの鉱山の町で生まれたマラビやムバカンガ、ズールーの合唱、反アパルトヘイトの歌、ジンバブエのムビラを電気化したチムレンガ。21世紀にはアマピアノが世界へ広がった。

マグレブ

アラブ、ベルベル(アマジグ)、アンダルシアの記憶が重なる北アフリカ西部。アルジェのシャアビ、オランのライ、グナワの儀礼音楽。移民とともにパリやマルセイユへも渡った。

エジプト

20世紀のアラブ音楽の中心地。ウンム・クルスームらの長大な歌と映画音楽がラジオでアラブ世界全体に届いた。カイロの路地からは大衆歌シャアビや電子音楽マハラガナートも生まれた。

レヴァント

東地中海の沿岸。アレッポの古典歌謡ムワッシャハ、ベイルートのフェイルーズとラハバーニ兄弟、ウードの名手たち、そしてイエメン系ユダヤの歌やジャズまで、多様な声が交差してきた。

コーカサス

黒海とカスピ海に挟まれた山岳地帯。アルメニアのドゥドゥク、ジョージアの多声合唱、アゼルバイジャンのムガーム。ムガームとジャズを融合した「ジャズ・ムガーム」も生まれた。

イラン

ペルシャ古典音楽は、旋律の型の体系「ラディーフ」と即興を軸に、古典詩とともに歌われる。1960〜70年代のテヘランでは、西洋のポップスと融合した華やかな歌謡曲も黄金期を迎えた。

中央アジア・モンゴル

草原とオアシスの世界。一人で複数の音を同時に出すホーミー(喉歌)、馬頭琴、ウズベクの古典音楽シャシュマカーム。遊牧と交易の記憶が音に刻まれている。

北インド・パキスタン

ラーガ(旋律の枠組み)とターラ(リズムの周期)を土台に即興を重ねるヒンドゥスターニー古典音楽、スーフィーの歌カッワーリー、そして映画とともに歩んだ映画音楽(フィルミー)。

南インド

作曲された歌を核に発展したカルナータカ古典音楽の地。チェンナイの音楽シーズンには世界中から聴衆が集まる。タミル語やテルグ語の映画音楽も、独自の黄金期を築いた。

ジャワ・バリ

青銅の打楽器が重なり合うガムランの島々。宮廷のゆったりしたジャワのガムラン、目まぐるしいバリのクビャール、そして映画やラジオとともに広まったクロンチョンやダンドゥット。

日本列島

民謡や三味線、沖縄の島唄の伝統に、明治以降の西洋音楽が重なった列島。戦後の歌謡曲、ロック、シティポップ、電子音楽まで、海外の音楽を独自に咀嚼して新しい響きを生んできた。

朝鮮半島

一人の歌い手と鼓手で長大な物語を語るパンソリ、トロット、1960〜70年代のサイケデリック・ロック。21世紀には伝統音楽(国楽)と現代の音が新たに出会っている。

イベリア

アンダルシアのロマ(ヒターノ)が育んだフラメンコと、リスボンの港町で歌われてきたファド。哀しみを深く歌い上げる二つの伝統が、半島の南と西で息づいている。

ケルト圏

フィドルやイーリアン・パイプス、ハープが奏でる舞曲と歌の伝統。移民とともに北米へ渡り、20世紀後半のフォーク・リヴァイヴァルで世界的に聴かれるようになった。

北欧

ハーディングフェーレやニッケルハルパなどの民俗楽器、サーミの即興歌ヨイク。静けさと残響を大切にする感覚は、1970年代以降のジャズにも大きな影響を与えた。ABBAのポップや、アイスランドのビョーク、シガー・ロスも生まれた。

アメリカ南部

ブルース、ジャズ、ゴスペル、カントリー、ソウル、ザディコ。アフリカ系の人々の音楽とヨーロッパ系移民の音楽が出会い、20世紀の世界の大衆音楽の源流となった。

メキシコ

マリアッチとランチェーラ、ベラクルスのソン・ハローチョ、北部のノルテーニョ。映画とラジオの黄金時代に国民的な歌が生まれ、国境を越えてアメリカ合衆国の音楽にも影響を与えた。

コロンビア・ベネズエラ

カリブ沿岸のクンビアとバジェナート、太平洋岸のマリンバ、カリのサルサ、ベネズエラ平原のホローポ。クンビアはラテンアメリカ全域に広がり、各地で独自の姿に変わった。

アンデス

ケーナやチャランゴが響く高地のワイノ、アフロ・ペルー音楽、アマゾンの熱帯とクンビアが交わったチチャ。1960〜70年代には、チリやボリビアで社会を歌う「新しい歌」運動も広がった。

ラ・プラタ河

ブエノスアイレスとモンテビデオの港で、移民の音楽が混ざり合って生まれたタンゴ。ウルグアイのカンドンベ、アルゼンチン各地のフォルクローレ、そしてロックやジャズとの新しい融合も豊か。

ハワイ

チャントとフラの伝統に、19世紀以降のギターやウクレレが加わった島々。ハワイで生まれたスティール・ギターは、カントリーやブルースの響きを大きく変えた。

ニューヨーク

移民の港町。プエルトリコやキューバの人々が育てたマンボやサルサ、グリニッジ・ヴィレッジのフォーク・リバイバル、パンク、ディスコ、そしてブロンクスのパーティーから生まれたヒップホップ。

デトロイト・シカゴ

南部から北へ移り住んだアフリカ系の人々が、工場の町で音楽を電気化した。シカゴのエレクトリック・ブルース、デトロイトのモータウン、ガレージ・ロック、そして1980年代のハウスとテクノ。

アメリカ西海岸

映画とレコード産業の町ロサンゼルス、カウンターカルチャーのサンフランシスコ。サーフ・ロック、サイケデリック、シンガー・ソングライター、チカーノ・ロック、シアトルのグランジ、そしてギャングスタ・ラップ以降の西海岸ヒップホップ。

カナダ

フランス語圏ケベックのシャンソンとフィドル、英語圏のシンガー・ソングライター、先住民やイヌイットの声。アメリカの隣で、独自の言葉と風景を歌い続けてきた。

中米・ガリフナ

マヤの高地とカリブ海の海岸。アフリカと先住民の血を引くガリフナの太鼓と歌はユネスコの無形文化遺産に。マリンバ、ニカラグアの社会派の歌、パナマから世界へ出たサルサの詩人も。

イングランド

アメリカのブルースやロックンロールを独自に読み替えたビートルズ以降のロック、イングランドの伝承歌の再発見、パンク。カリブ海からの移民がもたらしたサウンドシステム文化は、ドラムンベースやグライムにつながった。

フランス・ベルギー

言葉を何より大切にするシャンソンの国。ロマのジャズ・ギター、ピアフやブレル、ゲンズブール、そしてアフリカ系移民の子どもたちのラップや、フレンチ・タッチと呼ばれた電子音楽まで。

イタリア

ナポリ民謡からオペラ歌手たちのレコード、サンレモ音楽祭のカンツォーネ、映画音楽、プログレッシブ・ロック、カンタウトーレ(シンガー・ソングライター)へ。方言で歌う伝統も強く残る。

ドイツ語圏

1920年代ベルリンのキャバレーとヴォーカル・グループ。戦後には、英米のロックとは違う道を探した「クラウトロック」と、電子音楽のクラフトワークが生まれ、壁の崩壊後のベルリンはテクノの都になった。

中東欧

社会主義時代、ジャズやロックは検閲と向き合いながら独自に育った。ハンガリーの民俗音楽運動「ターンツハーズ」、クラクフのクレズマー、自由を求めたプラハの歌と地下バンド。

ロシア

ヴォルガの船曳き歌や村の多声合唱などのロシア民謡、ソ連時代の合唱団と流行歌、ギター1本で語った「吟遊詩人(バルド)」たち。1980年代のレニングラードではロック・クラブから新しい世代が現れた。

ウクライナ

バンドゥーラ弾きの叙事詩、カルパチア山地の歌、村の女性たちの力強い多声合唱。ソ連時代にもウクライナ語の歌は広く愛され、独立後は伝統と現代の音を重ねるグループが次々と現れた。

中国

1930〜40年代の上海は、ジャズと映画音楽が交わる流行歌の都だった。二胡や琵琶の名手たち、そして1980年代の改革開放のなかで北京からロックが生まれ、今も新しい声が続く。

香港・台湾

広東語ポップ「カントポップ」と台湾の国語歌謡は、中国語圏とアジア中の人々に愛された。台湾の先住民アミ族の歌声は、思いがけず世界的なヒット曲に使われたこともある。

インドシナ

タイ東北部とラオスの笙「ケーン」で歌うモーラム、タイの演歌ともいわれるルークトゥン。1960年代のプノンペンとサイゴンでは、ロックやラテンを取り入れた大衆歌謡が花開いたが、戦争がそれを断ち切った。

フィリピン

スペイン統治時代から続く恋歌「クンディマン」、アメリカの影響を受けたポップスとロック。1970年代にはタガログ語で自分たちの暮らしを歌う「OPM(オリジナル・ピリピノ・ミュージック)」が花開いた。

イラク・アラビア半島

バグダードはアッバース朝の時代から音楽の都として知られ、20世紀にはウードの名手たちと古典歌謡「イラキ・マカーム」の中心だった。湾岸ではカリージと呼ばれる歌謡が、イエメンでは独自のウードと詩の伝統が受け継がれている。

マダガスカルとインド洋の島々

東南アジアから渡った人々とアフリカの人々が出会った島。竹の筒琴ヴァリハ、6/8で跳ねるサレギ、アコーディオンやギター。近くのレユニオンでは奴隷制の記憶を歌うマロヤが受け継がれる。

ポルトガル語圏アフリカ

ポルトガルの植民地だった国々が、言葉と独立の歴史を共有しながら育てた音楽。アンゴラのセンバ、モザンビークのマラベンタ、カーボベルデの哀愁の歌モルナ。

オーストラリア・アオテアロア

数万年の歴史をもつ先住民の文化に根ざした歌と、北部のディジュリドゥ、移民が持ち込んだブッシュ・バラッドとロック。1980年代以降、先住民の言葉で歌うバンドがチャートに上った。海の向こうのアオテアロア(ニュージーランド)ではマオリの歌が今も響く。

レコードが運んだソン

1930年代以降、HMVのGVシリーズなどのSP盤でキューバのソンがアフリカ各地に届いた。ベルギー領コンゴのレオポルドヴィル(現キンシャサ)の音楽家たちは、それをリンガラ語で歌い直し、ギターの新しい奏法と結びつけて「コンゴのルンバ」を生んだ。グラン・カレのアフリカン・ジャズは、トリオ・マタモロスの「El que siembra su maíz」も取り上げている。

海を渡ったスカ

1948年のウィンドラッシュ号以降、カリブ海から多くの人々がイギリスへ移り住み、スカやレゲエのレコードも海を越えた。1979年、コヴェントリーのザ・スペシャルズ(The Special AKA名義)はデビュー・シングル「Gangsters」で、プリンス・バスターの「Al Capone」(1964年)を下敷きにし、2トーン・スカの時代を開いた。

ボサノヴァ、北へ

ギタリストのチャーリー・バードは1961年の南米ツアーでボサノヴァに出会い、帰国後、スタン・ゲッツとともにワシントンD.C.で『Jazz Samba』を録音した(1962年2月)。アルバムは全米チャートの1位となり、ボサノヴァは世界的なブームとなった。ジョアン・ジルベルトの「Desafinado」(1959年)と聴き比べてほしい。

デルタからシカゴへ

20世紀前半、多くのアフリカ系アメリカ人が南部から北部の工業都市へ移り住んだ(グレート・マイグレーション)。1941年にミシシッピの農園で録音されたマディ・ウォーターズは、1943年にシカゴへ移り、エレキギターを手にした。同じ曲が、都会のエレクトリック・ブルースへと生まれ変わった。

「Llorando se fue」から「Lambada」へ

ボリビアのロス・カルカスが1981年に発表した「Llorando se fue」の旋律は、のちにポルトガル語の歌詞をつけられ、パリを拠点とするグループ、カオマの「Lambada」(1989年)として世界的なヒットになった。作者の兄弟は訴えを起こし、作者として認められた。

行ってしまう人よ —「Ya Rayah」

アルジェのシャアビの歌い手ダフマン・エル・ハラシは1973年、故郷を離れて働く移民たちを歌った「Ya Rayah(行ってしまう人よ)」を発表した。自らもフランスで暮らしたハラシの歌は、移民二世のラシッド・タハによって1990年代後半に歌い直され、フランスとアラブ世界で再び大ヒットした。

シタール、ロンドンへ

1966年、ビートルズのジョージ・ハリスンはボンベイ(現ムンバイ)でラヴィ・シャンカルにシタールを学んだ。翌1967年の『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に収められた「Within You Without You」では、ロンドンのインド人音楽家たちとともに、ヒンドゥスターニー音楽の楽器と構成を取り入れた。

トースティングからラップへ

ジャマイカのサウンドシステムでは、DJがレコードにのせて語る「トースティング」が1970年前後に花開いた。ジャマイカ出身のDJクール・ハークは1973年、ニューヨークのブロンクスで自らのサウンドシステムを持ち込んだパーティーを開き、そこからヒップホップが生まれた。1979年の「Rapper’s Delight」は、ヒップホップ初の大ヒットとなった。

「Misirlou」の旅

東地中海で歌われていた「Misirlou」は、1927年にギリシャ系の歌手テトス・ディミトリアディスによってレコードになった。1962年、レバノン系アメリカ人のギタリスト、ディック・デイルが、この曲を速弾きのサーフ・ロックに仕立て、のちに映画『パルプ・フィクション』(1994年)で世界的に知られた。

「La Bamba」、ロックンロールになる

「La Bamba」は、ベラクルスのソン・ハローチョで婚礼の席などに歌われてきた伝統曲。ロサンゼルス近郊で育ったメキシコ系アメリカ人のリッチー・ヴァレンスは1958年、これをロックンロールとして録音し、スペイン語の歌として全米でヒットさせた。

「上を向いて歩こう」が「Sukiyaki」になる

坂本九の「上を向いて歩こう」(1961年)は、英語圏では「Sukiyaki」という題で発売され、1963年6月に米ビルボードのシングル・チャートで1位になった。日本語で歌われた曲としては初めてのことだった。1981年にはロサンゼルスのテイスト・オブ・ハニーが英語の歌詞をつけて歌い、再び全米のヒットになった。

アミ族の歌と「Return to Innocence」

台湾東部のアミ族の歌い手、郭英男(ディファン)と馬蘭吟唱隊は、1988年のヨーロッパ公演で「老人飲酒歌」を歌い、その録音はフランスでCDになった。1993年、エニグマはこの歌声を歌い手たちの許可なくヒット曲「Return to Innocence」に使った。のちに訴訟となり、1999年に和解が成立した。

デュッセルドルフからブロンクスへ

クラフトワークのレコードは、ニューヨークのDJたちにも愛された。1982年、ブロンクスのアフリカ・バンバータとソウルソニック・フォースは「Planet Rock」で、「Trans-Europe Express」(1977年)の旋律と「Numbers」(1981年)のリズムを、リズムマシンのTR-808で組み直した。電子音のヒップホップ「エレクトロ」の出発点となり、のちのテクノにもつながった。

「People Get Ready」が「One Love」に

シカゴのインプレッションズが1965年に出したカーティス・メイフィールド作の「People Get Ready」は、公民権運動の時代の歌として広く愛された。ジャマイカのウェイラーズはアメリカのソウルを熱心に聴いていた。1977年の『Exodus』で、ボブ・マーリーは自作の「One Love」にこの曲を取り込み、「One Love/People Get Ready」として録音した。メイフィールドは作者の一人としてクレジットされている。

「Mbube」が「The Lion Sleeps Tonight」になる

1939年、ズールーの歌い手ソロモン・リンダとイヴニング・バーズは、ヨハネスブルグのギャロ・レコードで「Mbube」を録音した。レコードは海を渡り、1951年にニューヨークのウィーヴァーズが「Wimoweh」として、1961年にトーケンズが英語の歌詞をつけた「The Lion Sleeps Tonight」として歌い、全米1位になった。リンダはほとんど報酬を得られず、遺族は2006年の和解で、ようやく原曲の作者として認められた。ここでは、南アフリカのミリアム・マケバが歌った「Mbube」(1960年)と聴き比べる。

「Firecracker」— ホノルルから東京へ

ホノルルのホテルのバーで演奏していたマーティン・デニーは、鳥の声や東洋風の旋律を取り入れた「エキゾチカ」で人気を得た。その「Firecracker」(1959年)は、細野晴臣がイエロー・マジック・オーケストラを始めるきっかけになった曲として知られる。YMOはデビュー作(1978年)でこの曲をシンセサイザーで演奏し、アメリカでもシングル・チャートに入った。

ベニー・モレーからサルサへ

キューバの歌手ベニー・モレーは、1940年代末にメキシコでペレス・プラードらと「Bonito y sabroso」を録音し、のちにハバナでバンダ・ヒガンテを率いた。ニューヨークのラテン音楽はキューバの楽団から多くを学んできた。1978年、ティンバレスのティト・プエンテは、モレーの歌を取り上げる『Homenaje a Beny』を出し、グラミー賞を受けた。

「Guantanamera」の旅

「Guantanamera」は、キューバの歌手ホセイート・フェルナンデスが1929年ごろからラジオで歌って広めた。のちにホセ・マルティの詩が歌詞にあてられ、1963年にピート・シーガーが平和の歌としてアメリカで歌った。1997年、ハイチ生まれのワイクリフ・ジョンは、セリア・クルース、ローリン・ヒルらとともに、この曲をヒップホップの中で歌い直した。

「Mas que nada」

ジョルジ・ベンは、1963年のデビュー作『Samba Esquema Novo』で、サンバと独特のギターのリズムで「Mas que nada」を歌った。1966年、ロサンゼルスを拠点にしたセルジオ・メンデス&ブラジル’66がこの曲を録音してアメリカでヒットさせ、ブラジルの歌として世界で最もよく知られる曲の一つになった。

バナナ積みの歌「Day-O」

「Day-O」は、ジャマイカの港で夜通しバナナを船に積んだ労働者たちの、呼びかけと応答の歌。1952年にエドリック・コナー、1954年にルイーズ・ベネットが「Day Dah Light」として録音した。ハリー・ベラフォンテはこれらをもとに歌詞を整え、1956年の『Calypso』で歌って世界的なヒットにした。

ハワイアン・ギター、インドへ

膝の上に寝かせ、金属の棒で弦を滑らせるハワイアン・スティール・ギターは、20世紀前半にレコードや楽団の巡業で世界に広まり、インドにも届いた。ブリジ・ブーシャン・カブラはカルカッタでこの楽器に出会い、共鳴弦などを加えてラーガを弾くための楽器に変えた。1967年の『Call of the Valley』で、ギターはインド古典音楽の楽器として広く知られるようになった。ここでは同じ曲ではなく、楽器の響きを聴き比べる。

ジェームス・ブラウンとフェラ・クティ

フェラ・クティは1969年のアメリカ滞在で黒人解放運動に触れ、帰国後、ハイライフとジャズにファンクを結んだ「アフロビート」を確立した。1970年にはジェームス・ブラウンの楽団がラゴスのフェラのクラブ「アフロ・スポット」を訪れ、ベースのブーツィー・コリンズらが強い刺激を受けた。影響は両方向に流れていた。ここでは同じ曲ではなく、二人のグルーヴを聴き比べる。

レゲエ、西アフリカへ

ボブ・マーリーとウェイラーズのレコードはアフリカ各地で聴かれ、レゲエは解放と抵抗の音楽として根づいた。コートジボワールのアルファ・ブロンディは、1986年の『Jerusalem』をキングストンのタフ・ゴング・スタジオでウェイラーズとともに録音し、アフリカのレゲエを代表する存在になった。ここでは同じ曲ではなく、レゲエの系譜を聴き比べる。

コンゴのルンバ、ナイロビへ

1970年代、ザイール(現コンゴ民主共和国)の多くの音楽家が東アフリカへ移り住んだ。1967年にザイールで結成されたスーパー・マゼンベは、1974年にナイロビへ拠点を移し、コンゴのルンバをスワヒリ語の歌とともにケニアの人気音楽にした。代表曲「Shauri Yako」も、ザイールの音楽家ンガシ・ンティンボの曲を取り上げたもの。ここでは同じ曲ではなく、ルンバのギターの響きを聴き比べる。

デトロイトからベルリンへ

ホアン・アトキンスらのサイボトロンに始まるデトロイト・テクノは、ベルリンの壁が崩れた1989年以降、ベルリンで新しい居場所を得た。レコード店ハード・ワックスがデトロイトのレコードを輸入し、1991年に開いたクラブ兼レーベルのトレゾアは、アンダーグラウンド・レジスタンスの作品を最初に出した。モーリッツ・フォン・オズワルトとマーク・エルネストゥスのベーシック・チャンネルは、デトロイトの音とジャマイカのダブを結んだ。ここでは同じ曲ではなく、二つの都市の音を聴き比べる。

ブルースはどこから来たか

ジョン・リー・フッカーは1948年、デトロイトで「Boogie Chillen’」を録音した。一つの和音でうねり続けるそのギターを初めて聴いたマリのアリ・ファルカ・トゥーレは、「これは私たちのものだ」と感じたという。トゥーレは「アフリカのジョン・リー・フッカー」と呼ばれたが、自分の音楽はブルースより古いとも語っている。ここでは同じ曲ではなく、二人のギターを聴き比べる。

クンビア、アマゾンへ

コロンビアのカリブ海岸で生まれたクンビアは、レコードを通じてラテンアメリカ各地に広まった。1960年代末、ペルーのアマゾンの若い音楽家たちは、クンビアにペルーの民謡やエレキ・ギター、オルガンの響きを重ね、のちに「チーチャ」と呼ばれる音楽を生んだ。1972年にモヨバンバからリマに出たロス・ミルロスは、その代表的な楽団。ここでは同じ曲ではなく、二つのクンビアを聴き比べる。