ジョアン・ジルベルト 1998年のライヴ音源が2枚組でリリース!ボサノヴァの真髄に触れる2時間

Relicário: João Gilberto (Ao Vivo no Sesc 1998)

ジョアン・ジルベルト 1998年のライヴ音源『Relicário: João Gilberto』

ボサノヴァの創始者であり、サンバの再発明者。ブラジルが生んだ“神様”ジョアン・ジルベルト(João Gilberto)の未発表ライヴ音源を2枚組アルバムにまとめた『Relicário: João Gilberto (Live at Sesc 1998) 』がリリースされた。延々とリピート再生し、空間が彼の歌とギターで満たされると、あらためて彼の音楽は彼以外の何者にも真似することのできない唯一無二のものなのだと強く思う。

この作品はジョアン・ジルベルトが1998年4月5日にサンパウロのセスキ・ヴィラ・マリアナ(SESC Vila Mariana)劇場で行ったライヴを収録したもので、なかにはCD初収録となる2曲──ジルベルト・アウヴェス(Gilberto Alves)による(1-1)「Violão amigo」と、エリヴェウト・マルチンス(Herivelto Martins)とヴァルデマール・ヘッスヘイサォン(Waldemar Ressurreição)の共作による(1-14)「Rei sem coroa」も含まれている。

アルバムのティーザー動画。

驚くべき集中力で歌われる全36曲、2時間の記録。ボサノヴァは癒しの音楽だ、なんて言われることも多いが、自分はジョアン・ジルベルトのライヴにはアーティストの圧倒的狂気から来る緊張感しか感じられない。このコンサートからも会場の張り詰めた空気の中でアーティストが生み出す全ての音を聴き逃すまいとする聴衆たちの緊張感が伝わってくる。歌い終わり、張り詰めた糸が切れた瞬間の爆発するような拍手、そしてまたすぐに訪れる次の緊張。きっと言葉にできない圧巻の2時間だっただろうと思いを巡らせる。

ジョアン・ジルベルトは彼の代名詞ともいうべき小節を自在に縮める演奏を披露。次々と繰り出されるシンコペーション、美しく流れる豊かな響きのコード、正確無比だが人間的で繊細な抑揚のついた歌の音程。囁くような声も彼の代名詞だが、このライヴは気分が乗っているのか“朗々と”歌われていると表現したい場面も多々。

サンバとしてのボサノヴァ、その真髄が詰まった2時間

サンバという音楽の魅力もたっぷりと詰まっている。
ブラジルを代表する作曲家たちの名曲の数々。
リオ五輪の開会式でも象徴的に歌われたアリ・バホーゾ(Ary Barroso)の(1-2)「Isto aqui o que é?」に、ジョアン・ジルベルトがずっと愛し歌ってきた(1-5)「Izaura」に(1-7)「Doralice」、(1-8)「Rosa morena」、(1-11)「Pra que discutir com madame」といった名曲たち。“ブラジル第二の国歌”として親しまれている(2-1)「Carinhoso」は原曲でもっとも情熱的な部分「vem, vem, vem〜」を意図的に歌わないというお茶目さも見せ、なんだか可笑しい。

もちろん盟友アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)の名曲たちもたっぷり収録。(1-13)「Retrato em branco e preto」も(2-17)「Wave」も、本当に息を呑む美しさ、とにかく最高だ。

ひとつ不思議に思ったのは、日本公演(アルバム『In Tokyo』で聴くことができる)のときは有名な曲の演奏が始まると「待ってました!」と言わんばかりの拍手が沸いたものだが、このライヴでは(1-17)「O pato」でも(2-12)「Desafinado」でも(2-14)「Chega de saudade」でもそうした曲の頭での拍手は起こっていないようだ(その代わりに演奏後の割れんばかりの拍手はすごいけど)。
意外と、ブラジルの観衆の方がお行儀が良いのだろうか。

João Gilberto – guitar, vocal

“ボサノヴァの神様” João Gilberto 略歴

ジョアン・ジルベルトは1931年にバイーア州ジュアゼイロに生まれ、10歳までこの町で育った。1946年に父親からもらったギターに夢中になり、ジュアゼイロでは「Enamorados do Ritmo」という最初のバンドを結成。1947年にバイーア州サルバドールに転居したが、彼は音楽に専念するために学業を中退し、18歳の頃に芸術家としてのキャリアを開始している。

初期は売れないアーティストだったが、1957年リオデジャネイロでの作曲家アントニオ・カルロス・ジョビンとの出会いが転機となった。ジョビンはジョアンの声とギターに惚れ込み、1958年に後に“最初のボサノヴァ”と呼ばれる楽曲「Chega de Saudade」を録音。次第にリオの若者たちの間で話題になり、ボサノヴァのブームを作っていった。

その後渡米し1963年にジャズ・サックス奏者、スタン・ゲッツと共に大ヒットアルバム『Getz/Gilberto』を録音・リリース。ジョビンが作曲し、ジョアンの当時の妻アストラッド・ジルベルト(Astrud Gilberto)が歌った「Garota de Ipanema」は世界的なヒットとなった。

2003年には70代という高齢での初の日本公演も話題に。日本ではその後2004年、2006年にも公演を行なっている。

ジョアン・ジルベルトのギターの独特の奏法は「バチーダ」と呼ばれ、サンバのアンサンブルのリズムを1本のギターで表現したものと言われている。彼自身が作曲した曲はわずかだが、主に古いサンバの楽曲を特徴的なリハーモナイズや小節の短縮などで“再構築”する手法に長けており、編曲家としての彼の存在を唯一無二のものとしている。

2019年7月6日、リオデジャネイロの自宅で死去。

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