フランスを拠点に活動する多才なアーティスト
『悲しみのサンバ』など、哀愁漂う音色で日本にも多くのファンをもつブラジリアンギターの巨匠バーデン・パウエル(Baden Powell)。
彼がこの世を去ってから、すでに20年。昨年は、各地で没後20周年記念コンサートが企画されていたが、そのほとんどが、新型コロナウィルスの影響により中止になってしまった。
バーデンには忘れ形見が2人いる。
長男のフィリップ・バーデン・パウエル(Philippe Baden Powell)と、弟のマルセル・パウエル(Marcel Powell)だ。
2人ともミュージシャン。
マルセルは、父と同じギタリストの道を歩み、故郷のリオ・デ・ジャネイロを拠点に活動。そしてピアノを選んだ兄のフィリップは、生地であるパリで暮らしている。
70年代から80年代にかけて、バーデンがヨーロッパを拠点にしていたため、幼いフィリップもフランスの他にドイツなど欧州各地で暮らし、母国語のポルトガル語、フランス語のほかに、英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語を操るマルチリンガルだ。
マルチなのは言語だけでなく、ピアノ以外にギターやドラム、コントラバスなど楽器は一通り弾きこなすし、ブラジリアン柔術の有段者。
ダンスは踊れるし料理も得意と、稀にいる「天は何物も与えた」タイプの御仁だ。
現在は、ソロピアニストに加え、ブラジリアンカルテット『LUDERE』やアルゼンチン人ギタリスト、セシリア・サバラ(Cecilia Zabala)とのデュオ『FRONTERAS』等、ミュージシャンとしての活動の傍ら、パリにある音楽学校『ビル・エヴァンス・ピアノアカデミー』で、講師としてピアノクラスやMPB(ブラジルポピュラー音楽)のアトリエを受け持っている。
そしてフィリップ・バーデン・パウエル氏は、私にとって、BEPAの愛称で知られるこの音楽学校で出会った“先生”だ。
フィリップ先生はどんな人か、というと、良い意味で、あまりお目にかかったことのないような人物。ひとことで言うなら、「魂のレベルが一段高い人」といった感じか。
というとなんだか崇高に聞こえるが、近寄りがたいわけではまったくなく、むしろブラジル人らしく陽気でフレンドリー。ただ、どんな事柄でも、見聞きしたことだけに左右されず、一歩ひいた視点から、自分なりに解釈して判断する公平さやおおらかさがある。
その一方で、「あれ、いま何の曲練習してたんだっけ?」とコロッと忘れるような、天然なラテン気質もあって、聖人らしさとうまく中和されているのがまた良いところなのだが、なにより彼を見ていると、バーデン・パウエルは、ものすごく真面目で、立派なお人だったのだろうな、と想像できる。
これからここで、そんなフィリップ先生についてや、彼が聞かせてくれる父バーデンやお仲間ミュージシャンたちの珠玉のエピソード、また、学校に集まるミュージシャンたちやパリのジャズシーンなどについてご紹介していきたい。
2012年に発表したソロピアノアルバム。オリジナル曲に加えて、父バーデンの定番曲やエグベルト・ジスモンチ(Egberto Gismonti)の『Loro』など、名曲のカバーでアレンジャーとしての才を発揮したアルバム。4曲めの『Round About Midnight』の山場で7拍子で弾いているユニークなアレンジが秀逸。