『パカヘチは踊る』レビュー|ブラジル映画祭+ 上映作品

『パカヘチは踊る』© 2019 DEBERTON FILMES 「ブラジル映画祭+」で上映

⚫︎圷 滋夫(あくつしげお/ライター)

 本作は2019年にブラジルで公開されたが日本では未公開だった作品で、事実を基にした物語だ。主役を演じるのはブラジルが誇るベテラン実力派女優マルセリア・カルターショで(主演作の『A Hora da Estrela/星の時』が、1986年のベルリン国際映画祭でブラジル人として初めて銀熊賞=最優秀女優賞を受賞している)、撮影当時はまだ50代ながら(1963年生まれ)まだまだ溌剌とした姿と、逆に老境の切なさと残酷さを見事に表現しており、その円熟の演技を堪能出来る。そして本作は、世界の様々な映画祭で作品賞や脚本賞、主演女優賞、観客賞など、多数の部門で受賞している。

 冒頭いきなり、日本でも大人気だったフランスのポール・モーリア・オーケストラによる陽気なラテン・ナンバー「Ay, Ay, Ay」をBGMに、家の前の歩道を踊りながら掃除している老女が映し出される。強烈なダミ声で道ゆく人々に毒づくこの人こそ、本作の主人公パカヘチだ。パカヘチとはフランス語でマーガレット(ヒナギク)を意味するPAQUERETTEを、ポルトガル語風に綴ったPACARRETE(これが本作の原題だ)のブラジル訛りの読み方だ。またPAQUERETTEは1851年に初演されたバレエ作品のタイトルにもなっていて、後に著名なバレリーナ/振付家のマリウス・プティパが再振付をしているが、パカヘチがフランスの文化を嗜み、バレエにも関わっていたことを、この短いタイトルが暗示している。


『パカヘチは踊る』© 2019 DEBERTON FILMES 「ブラジル映画祭+」で上映

 ブラジル北東部のセアラ州にある小さな町、フッサスが出来てから200周年を迎え、もうすぐ行われる大きな祝賀イベントに向けて、少しずつ町は盛り上がってきた。足の不自由な姉シキーニャと二人暮らしをしているパカヘチは、偏屈な町の変わり者として、子供からはいつもからかわれて、大人からは煙たがれていた。その昔にセアラ州の州都フォルタレーザで長年バレエの教師をやっていたパカヘチは、大きなイベント会場の舞台で華麗なバレエを披露しようと思い立ち、密かに行動を始めていた。しかしそんな彼女の切実な願いに、耳を貸す者は誰もいなかった。 

 物語の序盤では、パカヘチの空気を読まない傍若無人ぶりが描写される。人に対していつも横柄で、通いのお手伝いさんのマリアにさえも上から目線で接し、家の外でもわがままを無理矢理通そうとして理不尽な行動に出る。そうかと思えば、仲の良いミゲルにだけは片言のフランス語を交えながら嬉しそうに話しかけて、プレゼントまで贈る真逆の態度だ。ところが物語も中盤になると、少しずつパカヘチの本当の姿が見えてくる。故郷へ帰ってきたのは、車椅子生活のシキーニャの世話をするためだったということ。この町には彼女が愛するバレエやフランスの文化を理解する人が、誰もいないということ。老いとともに誰にも必要とされなくなってきたということ。そして何よりも、そんな深い孤独の中でも、自分らしく懸命に生きようとしているということだ。

 物語の背景には、ブラジルが急速に移行しつつある高齢化社会の問題が横たわっている。パカヘチは身体は元気なのに、任せてもらえる役割は何もなく、社会的にも精神的にもどんどん孤立してしまっている。シキーニャの世話はマリアに手伝ってもらっているものの、基本的には老老介護で共依存のような状態になっている。観客が序盤を観てパカヘチに共感することはほとんど無いと思うが、中盤からは少しずつ彼女に感情移入してゆくことになるだろう。この辺りのパカヘチに対する心の距離感をコントロールする、アラン・デベルトン監督の演出のさじ加減が絶妙だ。


『パカヘチは踊る』© 2019 DEBERTON FILMES 「ブラジル映画祭+」で上映

 これは穿った見方かもしれないが、本作が企画されて、制作されたであろう2017年から2018年の時期は、2017年1月に誕生した第一次トランプ政権の影響を受けて、ブラジルでも極右でポピュリストの政治家ジャイール・ボルソナロが台頭してきた時期だ(その後、2019年には大統領に就任している)。デベルトン監督はSNSを含む大衆が、表面的なことだけで人を判断して安易に迎合してしまう傾向を、観客が本作の序盤でパカヘチに対して持つであろう心情に重ねて描いている、と言ったら深読みのし過ぎだろうか。もしそうでないとしても、パッと見は迷惑な厄介者がいたら、その人にもその人なりの人生があり、そうなる理由があるのかもしれないという想像力を、誰もが持つべきなのは確かだろう。

 本作の中には、“老い”を象徴する様々なメタファーが散りばめられている。パカヘチが何度も見返している大好きなVHSビデオは、テープが切れて見れなくなり、応急処置をしてももう寿命だと言われてしまう。さらにそこに録画されているのは世界的な人気バレリーナ、アンナ・パブロワが踊るサン=サーンスの「瀕死の白鳥(白鳥)」で、それは白鳥が死にゆく最後の姿を表現したバレエ作品だ。またパカヘチが愛聴している「悲しき雨音」(オリジナルのカスケーズではなくフランス版のシルヴィ・バルタンなのもパカヘチらしい)のレコードも、針が跳んで聴けなくなってしまう。ビデオやレコードというメディア自体がすでに時代遅れではあり(レコードは今人気だが)、すべては生者必滅ということだろう。

 映像的にも終盤になると、パカヘチの実像ではなく、コントラストの強い影や鏡に映った虚像が印象的に映し出されることが多くなってくる。また音楽的にも「白鳥」の印象的なフレーズが劇伴のスコアの中に少しずつ交じって行き、次第に死の匂いが広がってゆく。そもそも本作は劇場の観客の拍手とともに始まり、劇場の舞台のカットで終わるのだが、それは本作自体がパカヘチが今際の際に見た一瞬の幻だったのかもしれない。エンドロールに流れる、“歌う狂人/道化師”と呼ばれたフランスの人気歌手シャルル・トレネが歌う「優しきフランス」の明るく朗らかな響きが、むしろ切なく胸に染み渡るようだ。(終)


『パカヘチは踊る』© 2019 DEBERTON FILMES 「ブラジル映画祭+」で上映

『パカヘチは踊る』

© 2019 DEBERTON FILMES|2019, 98分, ドラマ, 年齢制限 12歳以上

変わり者と呼ばれても、心は舞い続ける。

ブラジル北東部の小さな町。元バレエ教師の老女パカヘチは、偏屈で変わり者と呼ばれながらも、踊りへの情熱だけは失わない。町の祭で最後の舞台に立ちたいと願うが、人々の無理解が立ちはだかり──。老いと孤独に抗いて自分らしく生きようとする一人の女性の哀切を描く。主演のマルセリアは、『A Hora da Estrela(星の時)』でベルリン銀熊(最優秀女優賞)を1986年に受賞した。

スタッフ
監督: アラン・デベルトン
脚本: アラン・デベルトン, アンドレ・アラウージョ, サムエル・ブラジレイロ, ナタリア・マイア
プロデューサー: アラン・デベルトン
製作会社: デベルトン・フィルミス
美術監督: ホドリゴ・フロッタ
撮影: ベト・マルチンス
音響: マルシオ・カマラ
編集: ジョアナ・コリエール

出演
マルセリア・カルターショ, ジョアン・ミゲル, ゼズィタ・マトス, ソイア・リラ, サミア・ヂ・ラヴォール, デボラ・イングリヂ, エヂネイア・トゥチ・キント, ホヂェール・ホジェリオ

作品の受賞歴
第47回 グラマド映画祭(2019)
キキト賞 8部門受賞(最優秀作品賞、観客賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞〈マルセリア・カルターショ〉、助演女優賞〈ソイア・リラ〉、助演男優賞〈ジョアン・ミゲル〉、音響デザイン賞)

第20回 グランデ・プレミオ・ド・シネマ・ブラジレイロ
長編コメディ作品賞、観客賞、主演女優賞、助演男優賞、オリジナル脚本賞、美術賞、メイクアップ賞、音楽賞

第47回 Sescメリョーレス・フィルメス映画祭
批評家賞:最優秀作品・脚本・主演女優
観客賞:最優秀作品・主演女優・脚本・撮影

ABRA脚本賞
最優秀オリジナル脚本賞(長編フィクション部門)

第26回 ヴィトーリア映画祭(2019)
主演女優賞(マルセリア・カルターショ)

第22回 FAM映画祭(2019)
最優秀作品賞、観客賞

第12回 LABRIFF(ロサンゼルス、2019)
最優秀作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞、編集賞

第24回 ケーララ国際映画祭(2019)
最優秀監督賞(シルバー・クロウ・フェザント賞)

ブラジル映画祭+(cinebrasil+)

  • 会場:ヒューマントラストシネマ渋谷
  • 期間:2026年1月9日(金)- 15日(木)

  • オンライン:動画配信サービス「Lumière」
  • 期間:2026年1月16日(金)- 2月15日(日)
  • 主催:s.e.a.
  • 後援:駐日ブラジル大使館・ギマランイス・ホーザ文化院・在東京ブラジル総領事館・在名古屋ブラジル総領事館・在浜松ブラジル総領事館・ブラジル銀行
  • 共催:ヒューマントラストシネマ渋谷
  • 協力:株式会社エイチ・ツー

  公式サイト[https://cinebrasilplus2026.sea-jp.org/

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