ブラジルの新世代ピアニストの代表格、サロマォン・ソアレス(Salomão Soares)。今年11月に初の来日公演でその才能の片鱗を見せてくれた彼のディスコグラフィ(サロマォンのリーダー作)を紹介したい。
※本記事は、e-magazine LATINA に寄稿した「サロマォン・ソアレス ストーリー【Salomão Soares’s Story】 ─ ブラジル・ピアノの「深度」と「優美さ」を深める新世代の象徴」という記事のディスコグラフィ部分を抜粋し、一部加筆したものである。
- 1 サロマォン・ソアレス 全ディスコグラフィ
- 2 ▶︎『Toninho Ferragutti & Salomão Soares』(2017年)|アコーディオンとのデュオ
- 3 ▶︎ 『Alegria de Matuto』(2018年)|クアルテート
- 4 ▶︎『Colorido Urbano』(2019年)|ピアノ・トリオ
- 5 ▶︎ 『Chão de Flutuar』(2019年)|Voとのデュオ
- 6 ▶︎ 『Yatra-Tá』(2021年)|Voとのデュオ
- 7 ▶︎ 『Baião de Dois』(2023年)|打楽器奏者とのデュオ
- 8 ▶︎ 『Interior』(2023年)|ピアノソロ
- 9 ▶︎ 『Espiral』(2024年)|ピアノトリオ
- 10 ▶︎ 『Outros Ventos』(2025年)|Voとのデュオ
サロマォン・ソアレス 全ディスコグラフィ
▶︎『Toninho Ferragutti & Salomão Soares』(2017年)|アコーディオンとのデュオ
サロマォン・ソアレスは、これまで5作のデュオ作を発表しているが、最初にリリースされたアルバムもデュオ作だった。組んでいるのはアコーディオンの名手トニーニョ・フェハグチ(Toninho Ferragutti)。トニーニョは、すでにその評価を確立しており、「世代を超えた幸福な出会い」を記録したアルバムだった。互いの才能に惚れ込み、綿密なリハーサルを重ねるのではなく、互いの自作曲を持ち寄って「会話」するように自然発生的に制作された。室内楽的な静謐さと、ブラジル音楽の温かみが対話する、極めて叙情的(リリカル)な作品が完成した。アコーディオンとピアノの響きの親和性と言ったら。ドラムやベースがいないため、リズムの制約から解放された自由なテンポ感(ルバート)や、息遣いが聞こえるような親密なインタープレイを収録したブラジルのインストゥルメンタル音楽ファンから高く評価され続けるアルバム。
▶︎ 『Alegria de Matuto』(2018年)|クアルテート
ピアノ・トリオ+管楽器のスタイルで録音され、サロマォン・ソアレス名義でリリースされた。サロマォン以外のメンバーは、ベースにチアゴ・アルヴィス(Thiago Alves)、ドラムにパウロ・アルメイダ(Paulo Almeida)。チアゴ・アルヴィスは、サンパウロのジャズシーンで最も信頼され多忙なベーシスト。パウロ・アルメイダは、エルメート・パスコアール・グループのドラマーとしても知られる名手。変拍子や複雑なブラジルリズムを叩き出すテクニックを持ちながら、歌心も併せ持つ。管楽器(トランペット & フリューゲルホルン)にはヂエゴ・ガルビン(Diego Garbin)を迎えている。
タイトルの「Alegria de Matuto」は、「田舎者の喜び」の意。「Matuto」は、ブラジルの内陸部(田舎)に住む素朴な人々を指す言葉で、パライーバ州の小さな町から出てきた彼自身を投影し、自身のルーツである「北東部の文化への誇りと喜び」を音楽に込めた。自身のルーツである北東部のリズム[バイアォン (Baião)、フレーヴォ (Frevo)、ショッチ (Xote)、アハスタ・ペ (Arrasta-pé)]とジャズピアノの幸福な婚姻を高らかに宣言している。
サロマォン自身のオリジナル曲に加え、彼のアイドルであるエルメート・パスコアールやシヴーカ(Sivuca)の楽曲のカバーも収録。大胆なリハーモナイズやリズムの解釈変更が施され、すでに「編曲家」としての非凡な才能も発揮していた。ブラジル北東部(ノルデスチ)の土着的なリズムと、サンパウロの洗練されたジャズ・ピアノのフォーマットが完璧に融合した、鮮烈なアルバム1作だった。
▶︎『Colorido Urbano』(2019年)|ピアノ・トリオ
ジャケットに「Salomão Soares Trio」と記される。ベースとドラムは前作と同じく、チアゴ・アルヴィスとパウロ・アルメイダ。ゲスト参加はなく、純粋にこの3人によるアンサンブルの密度が追求され、トリオの成熟を感じさせる。
前作のタイトルが「田舎者の喜び」だったのに対して、本作のタイトルは「Colorido Urbano(都市の色彩)」。彼の北東部のルーツを、サンパウロという巨大都市の多様な色彩の中で進化・融合させた。北東部のリズムは依然として彼の音楽の核だが、本作ではよりモダンジャズ的な和声や、変拍子を用いた複雑な構成が目立つ。
前作が「ルーツの提示」だったとすれば、本作は「ピアニストとしての技術とコンポーザーとしての現代性」を証明した作品。ブラジリアン・ジャズながら「サンバ・ジャズ」という既存の枠組みに収まらない、現代ブラジル音楽の最先端を行くピアノ・トリオとしての評価を確かなものにした。都会的な色彩とブラジルのリズムが交錯する、ピアノ・トリオとしての彼らの音楽を完成させた。
▶︎ 『Chão de Flutuar』(2019年)|Voとのデュオ
現在まで続く女性シンガーソングライター、ヴァネッサ・モレーノ(Vanessa Moreno)との活動の出発点。このアルバムでは、基本的に「サロマォンのピアノ」と「ヴァネッサの声(とボディパーカッションや小物の打楽器)」のみという、極めてシンプルな編成で録音された。一般的な「ピアノ伴奏で歌う」という形式を超え、二人の音が絡み合い、反応し合う「インタープレイ(相互作用)」が聴きどころ。「声とピアノ」の究極の対話。
作品の評価は極めて高く、ブラジル音楽ファンにとっての「宝物」のような名盤と言われる。アルバムタイトルは、シコ・セーザルの名バラード「Chão de Flutuar」から来ている。繊細で美しいピアノの演奏で、歌詞の深みが増している。北東部のリズムも、ピアノの打鍵とヴァネッサの声だけでグルーヴ感たっぷりに表現している。サロマォンに注目するなら、インストゥルメンタル(器楽)奏者としての彼の評価とはまた別の、「歌に寄り添う伴奏者」としての天性の才能が開花した作品となった。
▶︎ 『Yatra-Tá』(2021年)|Voとのデュオ
前作『Chão de Flutuar』に続く、ヴァネッサ・モレーノとのデュオアルバム2作目。「前作の『叙情性(静)』に対し、今作は『リズムと躍動(動)』に焦点を当てた、エネルギーと遊び心に満ちたアルバムが完成した。基本的にこの二人のみの演奏だが、前作以上に「声」と「ピアノ」が打楽器化しており、まるでバンドがいるかのような厚みのあるサウンドを作り出している。
アルバムタイトル曲「Yatra-Tá」は、ピアノを弾きながらスキャットでユニゾンする超絶技巧の才能として伝説的なタニア・マリアの楽曲で、この曲のセレクトと、この曲をアルバムタイトルに据えることに、アルバムの方向性が示されている。ヴァネッサの高速スキャットとサロマンのパーカッシブなピアノが炸裂する、非常にエネルギッシュなアルバム。1作目は「歌を聴かせる」要素が強かったのに対し、本作ではヴァネッサ・モレーノが声をトランペットのように使ったり、サロマォンがピアノの弦をミュートしてパーカッションのような音を出したりと、「楽器としての声」と「打楽器としてのピアノ」という実験的なアプローチを随所に聴くことができる。
しっとり聴きたい「静」の『Chão de Flutuar』(2019)、エネルギッシュで実験的な「動」の 『Yatra-Tá』、この2枚のアルバムを聴くことで、稀代のデュオが持つ、表現の幅広さを知ることができる。
▶︎ 『Baião de Dois』(2023年)|打楽器奏者とのデュオ
同郷(パライーバ州)出身の盟友、ゲゲ・メデイロス(Guegué Medeiros)とのデュオ作。卓越したドラマー/パーカッショニストとして知られるゲゲ・メデイロスが、本作では、ブラジル北東部音楽の心臓部である太鼓「ザブンバ(Zabumba)」を中心に演奏する。サロマォン・ソアレスのディスコグラフィの中で、最も「自身の故郷(パライーバ州)のルーツ」に深く、そして直球で取り組んだアルバムで、抜群に楽しいアルバムだ。
タイトルの「Baião de Dois」はブラジル北東部の代表的な郷土料理(米と豆を炊き込んだ料理)の名前であると同時に、「2人で奏でるバイアォン(北東部のリズムの1つ)」という意味も込められている。
通常、このアルバムで取り上げたジャンルの音楽を演奏する際の中心は、サンフォーナ(アコーディオン)だが、サロマォンは、ピアノ一台で、アコーディオンの蛇腹のような呼吸と、ベースライン、そしてメロディを同時に表現する。北東部音楽の「お祭り」グルーヴ満載のアルバムは、陽気で、ダンサブルで、ブラジルの土の匂いがする。
▶︎ 『Interior』(2023年)|ピアノソロ
自身初であり、これまでのところ唯一の「ピアノ・ソロ」アルバム。たった一人でピアノに向かい、自身のルーツと内面を深く掘り下げた、非常に芸術性の高いアルバム。主にポルトガルで、ヨーロッパツアー中に録音された。故郷から遠く離れた場所で、自身の「内なるブラジル」を見つめ直した記録と言える。
タイトル「Interior」は、ダブルミーニングで、彼が生まれ育ったパライーバ州の田舎(Sertão)の風景という意味での「内陸部」と、自身が見つめ直した「心の中」という意味がある。また、本作ではブラジル「内陸部」を文学で描いたブラジル文学の巨匠たちへのオマージュも込めれている。例えば、これらの楽曲だ。
・「O Encantado」 (Guimarães Rosaに捧ぐ): ブラジル奥地の神秘を描いた作家ギマランイス・ローザの世界観を音で表現。
・「Armorial」 (Ariano Suassunaに捧ぐ): 北東部の伝統文化を高尚な芸術へと昇華させようとした運動「アルモリアル」の提唱者、アリアーノ・スアスナへの敬意。
冒頭で紹介したアンドレ・メマーリによる賛辞は、アンドレが、このアルバムを評したものである。技巧をひけらかすのではなく、一音一音を慈しむように弾くその姿は、サロマォンが「ピアニスト」としてだけでなく「音楽家」として成熟したことも示している。
▶︎ 『Espiral』(2024年)|ピアノトリオ
タイトルの「Espirais」はポルトガル語で「螺旋(らせん)」(複数形)を意味する。「ピアノトリオ」編成に回帰し、その表現を「螺旋階段」のように一段高いレベルへと昇華させた意欲作。トリオの面々は変わらず、ベースにチアゴ・アルヴィス(Thiago Alves)、ドラムにパウロ・アルメイダ(Paulo Almeida)。
・北東部のリズム: 『Baião de Dois』で極めた土着的なグルーヴ。
・都会的なハーモニー: 『Colorido Urbano』で見せたモダンな和声。
・内省的な美しさ: 『Interior』で培った、音の隙間を生かすタッチ。
これまでの彼の作品の要素が一体となり、激しいインタープレイの中にも、どこか哲学的な落ち着きや美しさが漂う。
単なる「ブラジリアン・ジャズ」の枠に留まらず、現代ジャズの最先端(例えばティグラン・ハマシアンやシャイ・マエストロなど)とも共鳴するような、拍子の概念を超えたスリリングな楽曲も含まれているのが特徴だ。
▶︎ 『Outros Ventos』(2025年)|Voとのデュオ
『Chão de Flutuar』(2019)、『Yatra-Tá』(2021) に続くヴァネッサ・モレーノとのデュオ・アルバム第3弾。タイトルは「Outros Ventos(他の風)」の意味。2人の音楽に「新しい風」が吹く。第1作『Chão de Flutuar』: 叙情的で、内省的な「静」の世界。第2作『Yatra-Tá』: 爆発的なリズムと実験的な「動」の世界。と来て、本作ではより自由に「風」のように、自由で、成熟した音楽を奏でる。選曲の面では誰もが知るような名曲も選ばれており、名曲を誰も聴いたことがないような新鮮なアレンジで届け、「懐かしさ」と「新しさ」が同居する。
5年以上の共演を経た二人の掛け合いは、驚くほど自然で、以心伝心しているようだ。現代ブラジル音楽史に残る「黄金のデュオ」として、その評価を決定づけた1枚となった。2人の音楽的パートナーシップは、「完成」を経て「新たな次元」へ向かっている。
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巨匠たちとの共鳴と評価
そのキャリアを通じて、ブラジル音楽の「リビング・レジェンド(生ける伝説)」たちから厚い信頼を寄せられている。エルメート・パスコアールは彼を「私の想像を具現化してくれる」と絶賛し、アンドレ・メマーリは彼を「ブラジル文化の最も活動的な擁護者」と評した。 共演者リストには、トニーニョ・オルタ、レニー・アンドラーヂ、フィロ・マシャード、ヘナート・ブラス、モニカ・サウマーゾといった錚々たる名が並ぶ。
また、世界から評価されるバンドリン奏者、アミルトン・ヂ・オランダ(Hamilton de Holanda)のトリオで長年ピアノを任されている。
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エグベルト・ジスモンチやエルメート・パスコアールらが築き上げた「ブラジリアン・ピアノ」の歴史を継承しつつ、サロマォン・ソアレスは、そこに「ノルデスチの風」を吹き込むことで、その歴史を未来へと更新し続けている。
ヴァネッサ・モレーノとのデュオでは、「ジャズの即興性」と「ブラジル音楽の歌心・リズム」が高い次元で融合し、かつそれが「親密な会話」のように自然に聞こえる。単なる「歌と伴奏」という枠組みを破壊し、「声とピアノが対等な立場で、遊びながら高め合う「完全な自由」を表現する。