聖書をテーマに紡がれる壮大な叙情詩
聖書にインスパイアされたというブラッド・メルドーの2019年作『Finding Gabriel』は、鬼才ドラマー、マーク・ジュリアナとの『Mehliana: Taming the Dragon』(2014年)以来の再共演が実現したファン待望の作品だ。
Mehlianaはマーク・ジュリアナとのデュオだったが、本作は多彩なゲストを迎えより凄みを増したサウンドを聴かせてくれる。
(1)「Garden」から、さすがのブラッド・メルドーというべきか、物語性が強い豊かな音楽が展開され、その世界観にぐいぐいと惹き込まれる。
本作のテーマは、聖書で描かれている創生の物語だ。
本作アルバムのタイトルの「ガブリエル」とは旧約聖書『ダニエル書』に登場する大天使ガブリエルのこと。“神のメッセンジャー”の役割で描かれることが多い。アダムとエバが禁断の果実を食べて楽園を追放された話はキリスト教信者でなくとも有名だが、その神の命令をアダムとエバに伝え、その際に絶望に暮れる二人に「希望」という贈り物を与え、これからの苦難を「希望」を大切に生きるように伝えたとされている。
30年間、ジャズピアノの頂点に立つアーティスト
ピアニスト/作曲家のブラッド・メルドー(Brad Mehldau, 1970年 – )は1995年のデビューアルバム『Introducing Brad Mehldau』で一躍脚光を浴び、以降ジャズピアノの頂点と目されてきた天才だ。ジャズやクラシック、現代音楽のみならず、特にレディオヘッド(Radiohead)などロックにも感化されたスタイルが特徴で、ジャンルを問わずファンが多い。
これまでも前述のマーク・ジュリアナとのデュオ(Mehliana)のほか、バッハをテーマに独自の解釈を加えた『After Bach』(2018)や、ピアノトリオの新しい可能性を探った「Art Of The Trio」シリーズなど、デビュー以来常にジャズという音楽の革新に大きな影響を与えてきた。
本作ではブラッド・メルドーはピアノ以外にも多くのシンセサイザーやハモンドオルガン、さらに数曲ではパーカッションやドラムスも自ら演奏。マーク・ジュリアナ参加の割には(2)、(4)、(10)はドラムが弱いが、これらはブラッド・メルドーが叩いているためだ(マーク・ジュリアナに叩いてもらえればよかったのに…)。
テーマに沿った10曲はそれぞれ個性的で聴きごたえがある。
格差が広がり、ヘイト犯罪が絶えない米国社会とその指導者を“預言者”になぞらえ、痛烈に批判する(6)「The Prophet Is a Fool」などは、ブラッド・メルドーのアーティストとしてのこれまで見られなかった側面だ。
ドラムスのマーク・ジュリアナ(Mark Guiliana)、トランペットのアンブローズ・アキンムシーレ(Ambrose Akinmusire)、ヴォーカルのガブリエル・カハネ(Gabriel Kahane)にベッカ・スティーヴンズ(Becca Stevens)、ヴァイオリンのサラ・キャズウェル(Sara Caswell)、テナーサックスのクリス・チーク(Chris Cheek)などなど、米国の音楽シーンを代表する多数のアーティストの参加もまた素晴らしく、アルバム全体のレベルを数段階も押し上げている。
アルバムのテーマ、表現する音楽の作曲と演奏力、サウンドデザイン…そのどれをとっても現代的で超一流。さすがのブラッド・メルドーだ。このような凄まじい音楽を目の当たりにすると、表現者(アーティスト)が伝えたいことを正しく伝え、聴き手(リスナー)と感性を共有するためには、音楽アルバムには明快なテーマが必要なんだなと思わせられる。