マシャ・ガリビアンの3rdアルバム『Joy Ascension』
フランスの女性ジャズピアニスト/歌手/作曲家のマシャ・ガリビアン(Macha Gharibian)の2020年新譜『Joy Ascension』は、ジャズにブルース、東欧の伝統歌にポール・サイモンのカヴァーなど、少し聴いた当初は全体的に散漫な印象を受けた。
だがしばらくして改めてじっくり聴いてみると(特にアルバムの後半にかけては)1曲1曲の完成度が非常に高く、全ての音楽は彼女の落ち着いた深みのある声と鍵盤演奏で“マシャ・ガリビアンの音楽”として帰結しているのだと感じられ、少し彼女のことを調べながら聴いているうちに、彼女が持つ文化的背景も含めてすっかりその魅力の虜になってしまった。
マシャ・ガリビアンはクラシック出身らしい粒が立ち輪郭のはっきりしたピアノ、NYで一流奏者のもと学んだアドリブのセンス、エレクトリックピアノやシンセサイザーも駆使した表現力、随所に見られる伝統音楽由来のフレージング、少し陰を帯びた美しい声など、エレガントな佇まいも含めとても魅力的な音楽家だ。
(1)、(2)などでの太くグルーヴするベースラインが印象的なカナダ生まれでパリを中心に活躍するクリス・ジェニングス(Chris Jennings)、決して派手さはないがタイトかつ繊細にリズムを刻むベルギー出身のドラマー、ドレ・パルメルツ(Dré Pallemaerts)とのトリオも鉄壁。
個人的にこのアルバムはゲストで木管楽器ドゥドゥク奏者アルチョーム・ミナシアン(Artyom Minasyan)が参加したアルメニアの伝統歌である(5)「Sari Siroun Yar」からの流れが面白い。
続く(6)「50 Ways To Leave Your Lover(恋人と別れる50の方法)」は米国のSSWポール・サイモン(Paul Simon)のヒット曲。一見このジャンルレスな流れは節操ないように思えるが、聴いてみるとマシャ・ガリビアンの声の魔法にかかったように違和感ない。
(7)「Crying Bohemia」での静かに魂の奥底から湧き上がるような嘆き、そしてラストの(8)「Freedom Nine Dance」では再びアルメニアの伝統音楽を意識した歌唱やピアノ、シンセサイザーソロの旋律を聴くことができる。
アルメニア、フランス、そしてNYを繋ぐ現代ジャズ
マシャ・ガリビアン(Macha Gharibian)はその名前が示すようにアルメニアがルーツ(アルメニア人の姓は“〜ian”“〜yan”がつくものがとても多い)。
祖先は1915年にトルコに移住している。この時期にアルメニアとトルコの間で起こった複雑で悲しく、今もなお両国に陰を落とす歴史についてはここでは触れないが、おそらくこの出来事は彼女や彼女の家族の人格形成に少なからず影響を与えたはずだ。
父親は1970年代からフランスで活動するBratschというジプシー音楽やクレズマー、アルメニア音楽などを演奏するバンドの創始者で、1948年生まれのギタリスト/シンガーのダン・ガリビアン(Dan Gharibian)。Bratschの1988年のアルバム『Notes de Voyage』には「Macha」という曲もあり、おそらく娘のことを歌っているのだろう。
この家族がいつ頃フランスに移住することになったのかは不明だが、そんな音楽家の父親の影響のもと、彼女はジプシー、ギリシャ、ロシア、旧ユーゴスラビア、ルーマニア、ブルガリアなど様々な音楽に触れてきた。おそらく文化的な部分はチュニジア出身の母親の影響も大きいだろうと思う。
幼少時よりパリでクラシック音楽の教育を受けた彼女は2005年に米国NYに渡り、ラルフ・アレッシ(Ralph Alessi)やジェイソン・モラン(Jason Moran)、ラヴィ・コルトレーン(Ravi Coltrane)などの指導のもとジャズや即興演奏を学んでいる。
マシャは2013年に『Mars』でアルバムデビュー。同作は東欧音楽やジャズ、フォークなど多様な影響が伺える個性的な作風でヨーロッパを中心に話題になると、2016年には2nd『Trans Extended』をリリース。京都府の霊山・鞍馬山をテーマにした(7)「Mount Kurama」など、日本でもコアな音楽ファンの間で注目を集めた。
マシャ・ガリビアンは演劇や映画音楽の作曲家としても活動するなど活躍の幅を広げている。
また、Papiers d’Arménies という父親も在籍するアルメニア音楽を演奏するバンドにもヴォーカリスト/ピアニストとして参加しており、このバンドでの2020年秋のアルバムリリースも予定されている。