天才ギタリスト、バーデン・パウエルの二世が選んだ、父とは別の道

神様ペレの登場で知った、「うちの父さん有名人!?」

ブラジルでは知らない人はいない著名なギタリスト、バーデン・パウエル(Baden Powell)の長男フィリップに、

「偉大な父親を持つというのはどういうこと?」

と問いかけると、彼は少し考えこんでから、こう答えた。

「父の名声のおかげで、得をしてきたことは多い。きっとその方が断然多いと思う。ただ、辛かったのは、時間を与えてもらえなかったことかな」

名ギタリストの息子は、いったいどんなミュージシャンになるのだろう?

期待が大きい分、人々は早く結果が出ることを求めた。
その期待に応えなくては、という焦りの中で音楽と向き合うことが、若い頃の自分には辛かったのだと、フィリップは言っていた。

周囲の人々だけでなく、父親からの期待もあったに違いない。
なんといってもバーデンは、第一子の彼に、自分の名前をそっくりつけている。

“バーデン・パウエル”は、一見それだけで名前と苗字のようだが、これは名前で、苗字は“de Aquino(ヂ・アキノ)”だ。
フィリップの本名は、フィリップ・バーデン・パウエル・ヂ・アキノ。そしてギタリストの弟は、ルイス・マルセル・パウエル・ヂ・アキノという。

もっとも子供の頃のフィリップは、自分の父親がそれほどの有名人なのだとは知らなかったのだそうだ。

ある時、父のニューヨークでのコンサートに同行したとき、あの、サッカーの神様ペレが、父親に会いにはるばるライブハウスに来たのを見たとき初めて、

「うちのお父さんって有名人だったんだ!?」

と気づいたのだという。

ペレといえば、アントニオ・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)の曲にも登場している。
ジョビンを見出した音楽家で盟友のハダメス・ニャターリ(Radamés Gnattali)とペレに捧げた、『Radamés Y Pelé』(ハダメスとペレ)だ。

ジョビンのナンバーの中ではひと味違ったメロウな名曲

バーデン・パウエルは、彼自身が練習熱心だったのと同じくらい、息子たちにも厳しく、とりわけ基本練習は徹底していた。

フィリップも、「ドレミファソラシド」を、強弱を変えながら行ったり來たりを繰り返す、というのを毎日えんえんと弾かされていたそうだ。父の姿が見えなくなると手を休めたりするのだが、それもすっかりお見通しで、部屋に戻ってくるなり、

「さっき止まっていただろう?ハイ、もう一度やりなおし!」となるのだった。

しかしその努力が無駄でなかったことは、どんなにアグレッシブに弾いたとしても決して乱雑にならない彼の美しいタッチが証明している。

特定のピアニストを好きになる理由には、

「アドリブのフレーズが好きだから」

とか、

「コードの響きが良い」

とか、いろいろあるけれど、タッチがきれいな音を出す奏者を好む人には、フィリップ・バーデン・パウエルはきっとツボにはまるピアニストだ。

それでも、人々が二世ギタリスト誕生を期待した中でピアノを選んだ彼は、常にあるひとつのチャレンジと向き合っている。

ブラジル音楽に精通した音楽プロデューサーの方は以前、

「バーデンの二世なら、みんなやっぱりギターが聴きたいと思う。だから、たとえば来日公演を企画するとなっても、どうしても弟のマルセル、という話になってしまうんだ」

と話していた。おそらくこれまで何度も、フィリップは同じセリフを耳にしてきたことだろう。

そんな彼が、ピアニストとしての自分を世に送り出したファーストアルバムが、2006年に27歳で発表した全編オリジナル曲の『Estrada de Terra』。

現代バンドリン(マンドリン)奏者の第一人者アミルトン・ヂ・オランダ(Hamilton de Holanda)、カルロス・マルタ(Carlos Malta)もフルートで参加したリズミカルなナンバーや、美しい旋律が紡がれたメロディアスな曲まで、さまざまな曲調が混ざり合った色彩豊かなアルバムだ。7曲目の『Rafaela’s Song』の可愛らしい声の主は、愛娘ラファエッラ。

彼のパリでの日常を音に置き換えた、絵日記ならぬ音日記のような瑞々しさを感じさせる一枚。

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