まだ語られていないジョアン・ジルベルトの逸話 〜生誕90年に寄せて〜

90 anos de Joao Gilberto

フィリップ・バーデン・パウエルから聞いたジョアンの逸話

6月10日はジョアン・ジルベルト(João Gilberto)の誕生日だ。

1931年生まれのブラジル音楽界の大御所は、2年前の7月に他界した。存命であれば、今日90歳か・・・としみじみ彼の名曲を聴き返していたら、ピアノの師であるフィリップ・バーデン・パウエル氏から聞いた、ジルベルトの愉快な逸話の数々を思い出したので、ここでいくつかご紹介したいと思う。

ミウシャとの電話

ジルベルトが、“超”がつくほど変わり者だということは、すでによく知られている事実だが、とりわけ彼は、電話魔だった。

ある日フィリップが、父バーデン・パウエルのお使いか何かの用事で、ジョアンの元妻ミウシャ(シコ・ブアルキの姉)の家にお邪魔していた時のこと。

電話が鳴ると、ミウシャは「ちょっと失礼するわ」と浮かない顔で受話器をとった。

「ああ、そう、じゃあ」

と短い応対で電話を切った彼女の様子が少しおかしいと感じたフィリップが、

「ミウシャ、大丈夫ですか? なにか問題でも?」と尋ねると、ミウシャはひとこと、「いいえ大丈夫。ジョアンなのよ」と。

その当時すでに2人は離婚してからしばらく経っていたから、

「いまだに連絡をとりあっているんですね」と相槌を打つと、ミウシャは、やれやれ、といった様子で「ジョアンからの電話は毎日よ」と答えた。

そのときも、電話の用事は「いまテレビで誰それが歌っているから見てみよ」という内容だったそうな。

「リモート飲み」を先取り!?

フランス人の女性ジャーナリストが、彼のインタビューを試みたときのこと。

ジョアンに電話をかけると、彼はとても愛想良く対応したという。

「私のインタビューを?そうですか、いやあそれは光栄です。ではまず、私にあなたのことを話して聞かせてくださいな。私はあなたのことを知りたいのです」

そこから電話はえんえん4時間も続き、その間質問したのは一方的にジョアンの方だけだった。

何回かそのような電話でのやりとりを繰り返したあと、彼女が「電話だけでお話するのもなんですし、今度一杯どうですか?」とジョアンを誘った。

するとジョアンは、「一緒に一杯?いや~それは素晴らしい。私としたことが、なぜこれまで気がつかなかったのでしょう!」と、さっそく彼女が空いている日を確認し、バーを指定して電話を切った。

約束の日、彼女がバーに行くと、テーブルにさっとドリンクが運ばれてきた。ウェイターは、彼女に「ジョアンとお待ち合わせの記者の方ですよね?」と確認すると、受話器を渡した。

電話の向こうには、ジョアンがいた。

「お飲み物はお手元にありますか?ある?それはいい。私もいまドリンクを手にしています。ではさっそく、一緒に飲みましょう」

現代のリモート飲みを、ジョアンは昔からやっていたのだった。

会えない神様

突拍子もないワガママを言うこともあった。

ある深夜、ミュージシャンたちの間で可愛がられていた音楽好きの青年のもとにジョアンから電話がかかった。

「君、馴染んだ弦のギターを持っていたら、今すぐ持ってきてくれないか?私のは弦が切れてしまって取り替えたのだけど、新品の弦のギターは弾きたくないんだよ」

青年は、生ジョアンに会えるチャンス!とばかりにギターケースをかかえて、一目散にジョアンの自宅へと向かった。

しかし、自宅に着いてドアをノックしても、ジョアンは出てこない。

近くの公衆電話から電話をかけると、

「やあご苦労様。でももう外は寒いから、ギターはドアのところに置いておいてくれ。明日の朝、取りに行くから」と。

そりゃないよ、と青年は思ったが、仕方なくギターを玄関のドアの前に置いて、少し離れたところでしばらく様子を伺っていると、少し経ってから、ドアが一瞬、ほんの少しだけ開いたかと思うと、ジョアンがサッとギターケースだけを家の中に引き入れて、バタン、とドアが閉まった。

ちょっと人をからかって楽しむようなところもあったジョアンは、そうやって自分のことを「神」と崇めていたその青年を、翻弄していたのだ。

待てない神様

なんとも憎めないかわいらしいエピソードもある。

その昔ミュージシャンたちが通っていたコパカバーナの音楽バーが、90年代に再オープンし、バーデン・パウエルも、フィリップがそれまで見たこともないほど興奮して、いそいそと通っていたそうだ。

夜な夜なミュージシャンたちはそのバーに集まって盛り上がっていた。

ある時、バーのドアマンが、店のすぐそばにある公衆電話が鳴っていることに気がついた。

ためしに出てみると、電話の主はジョアンだった。

ジョアンはドアマンに、受話器をバーの店内に向けて、店の喧騒を聞かせてくれるよう頼んだ。

自分も来たらいいのに、なぜか来ない。

なのにみんなが盛り上がっているのは気になるジョアンだった。

その後は彼からの電話は日常になり、ときどき中にいるミュージシャンを呼び出すようになった。

ある時はドアマンが、「ジョアンからの電話だ」と中にいたミウトン・バナナを呼びに来た。しかしあいにくそのときバナナは足を怪我してスタスタ歩くことができず、フィリップが父バーデンとともに両肩をかついで急いで店の外の公衆電話まで連れて行ったが、やっと受話器をとったときには、待ちきれなかったのか電話は切れていたそうだ。


そんな変わり者のジョアンだが、「たしかにジョアンは変わり者。でもそれを言ったら、自分の父親も相当な変わり者だったからなあ」とフィリップは笑っていた。

たしかに、非凡な才覚をもった彼らのようなアーティストが、当たり前の感覚をもった人であるわけはない。

それにしても、何回、何百回と聴いても飽きることのないこの凄さ。

誰にも真似のできない彼独自のスタイルと表現を確立したジョアン・ジウベルトは、無双だ。どうぞ安らかに。

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