アフロレゲエの集大成!ティケン・ジャー・ファコリー新譜は珠玉のアコースティック・セルフカヴァー

Tiken Jah Fakoly - Acoustic

ティケン・ジャー・ファコリー、アコースティックで再編曲する珠玉の音楽

アフリカン・レゲエのレジェンド、コートジボワール出身のSSWティケン・ジャー・ファコリー(Tiken Jah Fakoly)が自身のこれまでの代表曲をアコースティック編成で再解釈した新作『Acoustic』をリリースした。

サウンドはコラやバラフォン、ンゴニ、アフリカのパーカッションなどが主体となり、レゲエ要素は薄くアフリカのアイデンティティがより強調される。「チェチェンを俺に任せてくれたら、アルメニアはお前に任せる/アフガニスタンを任せてくれたら、パキスタンは任せる」と世界中の紛争地域を挙げつつ、資本の力によって支配が決められるアフリカの現状に強い疑問を呈する(2)「Plus rien ne m’étonne」や、コーヒーも銅もすべてを奪っていくアメリカによる搾取を批判する(3)「Tonton d’America」(アメリカおじさん)など彼の大ヒットのリアレンジは原曲の力強さを静かに増幅し、心の内の炎を燃え上がらせる。

(8)「Djourou (Acoustic Version)」

スティング(Sting)の「Englishman in New York」フランス語カヴァーとして大ヒットした(11)「Africain à Paris」のリメイクにはジャマイカ出身のホレス・アンディ(Horace Andy)とブラジル出身のシコ・セーザル(Chico César)がゲスト参加。異国での不安をそれぞれフランス語、英語、ポルトガル語で歌う最高のコラボレーションを披露している。

(16)「Arriver à rêver (Acoustic Version)」

今作は約30年間アフリカを想い、力なき人々の声を集約してきたティケン・ジャー・ファコリーというアーティストの集大成と言っても過言ではない。サウンドは年相応の落ち着きがあり、声には誇りと自信があるが、歌詞は譲れない素直な感情が零れ落ちそうなほどに満たされたままだ。
彼の声はきっと、これからもコートジボワールやアフリカにとって貴重なものであり続けるだろう。

アフロ・レゲエを確立したレジェンド、Tiken Jah Fakoly

ティケン・ジャー・ファコリーは1968年にコートジボワール北西部カバドゥグー地方オディエンネのムスリムの家庭に生まれた。民族音楽の伝承者であるグリオの家系だったが、学生時代にジャマイカ由来のレゲエに強く感化され1987年に最初のグループ「Djelys」を結成。当初は地域レベルで有名で成功したが、後に全国的に知られるようになった。

彼の最初のヒットは1960年から1993年までコートジボワールで独裁体制を築いていた当時の大統領フェリックス・ウフェ=ボワニ(Félix Houphouët-Boigny)の死(ボワニの死後、コートジボワールはモノカルチャー経済や権威主義的な体制への国民の不満などが噴出、内戦までに発展した)に関する曲で、国内の多くの若者の支持を集めた。

ティケン・ジャー・ファコリーは人々の良心を目覚めさせるために音楽を演奏しているという。彼の音楽は、汎アフリカ主義とアフリカの経済的、政治的、文化的復活を求める声を代弁し、自国の人々やアフリカ人一般に対して行われた多くの不当行為について自身の立場を主張している。

彼はラスタファリ文化を深く敬愛しているが、今でもムスリムとして信仰を守っており、家族は最初のうちは彼のレゲエ活動をなかなか支持できなかったという。彼は時々マリファナを吸うが、他人には薦めないそうだ。

(18)「Justice (Acoustic Version)」

Tiken Jah Fakoly - Acoustic
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