エルメート・パスコアール。唯一無二のレジェンドが四半世紀前に他界した最愛の妻に宛てた最後の手紙

Hermeto Pascoal - Pra você, Ilza

エルメート・パスコアール、24年前に亡くなった最愛の妻への手紙

ブラジルのレジェンド、エルメート・パスコアール(Hermeto Pascoal)が亡き最愛の妻に宛てた新作『Pra você, Ilza』(イルザ、あなたのために)をリリースした。アルバムには妻が亡くなる直前の1999年〜2000年に彼女のために書かれたものをゼロからアレンジした楽曲群が収録されている。自身のグルーポを率い、音楽的にはエルメート・パスコアールらしさが全開の最高に楽しい作品だが、人生を寄り添い続けた妻へのエピソードと現在の彼自身の87歳という齢を考えるとなんとも感慨深いものが感じられる。

アレンジは徹底的にエルメート・パスコアールのスタイルで貫かれており、彼の音楽を聴いたことがない人にとっては間違いなく新鮮(そして奇抜)なものに映るであろうが、聴き慣れた人にとってはその期待の域を超えるものではない。……だが、この作品は進歩よりもエルメート・パスコアールという歴史に残る音楽家の人生と芸術を振り返る意味合いが強いということに考えを至らせた途端に、これらの複雑に重なる音がとてつもなく温かく優しい光に包まれたような感覚に陥るのだから不思議なものだ。

エルメート・パスコアールの音楽は、常に既存の音楽の枠組みに当てはまるものではなかった。彼がデビューした1950年代から今まで、この生来の芸術家が生み出す音楽は既存のどんなジャンルにも所属せず、それから70年の年月を経た今も、他のどんなアーティストも“第二のエルメート”を名乗ることはできなかったのだ。

今作は、それを証明するには充分すぎる。

理論物理学の世界でアルベルト・アインシュタインが唯一無二であったように、エルメート・パスコアールという存在は音楽の世界で唯一無二だ。
音楽の分野において、彼が拡張した範囲は計り知れない。

ピアノやアコーディオン、木管楽器、打楽器など様々な楽器に精通しながら、さらにその外へと音楽の世界を広げた彼の人生を象徴する集大成的なアルバムであり、音楽や家族といった彼が大切にしたものへの深い愛情が込められた素晴らしい作品だと思う。

(8)「Pra você, ilza」

バンドはいつものようにパスコアールが複数の楽器を演奏しているほか、低音を支えるイチベレ・ズヴァルギ(Itiberê Zwarg)、その息子でドラマーのアジュリナ・ズヴァルギ(Ajurinã Zwarg)、鍵盤奏者アンドレ・マルケス(André Marques)、木管奏者のジョタ・ぺ(Jota P)、そしてエルメートとイルザの間の息子であり打楽器奏者のファビオ・パスコアール(Fábio Pascoal)が参加。そしてクレジットにこそ名前は載っていないが、“動物たち”の鳴き声も聞こえてくる。まさに長年連れ添った家族同然の仲間たちによる、楽園のような音楽。ぜひ、すべての音楽ファンに聴いてもらいたい作品だ。

世界中の音楽家に影響を与えたブラジルの奇才、Hermeto Pascoal

ブラジルで“魔法使い(O Bruxo)”の異名を持つエルメート・パスコアールは、1936年にブラジル北東部のアラゴアス州ラゴア・ダ・カノアに生まれた。生まれた当時の村には電気も通っておらず、アルビノのため家族と一緒に外の農場で働くことができなかった彼は父親のアコーディオンを1日に何時間も家の中で演奏するような幼少期を過ごした。
彼はまた、幼い頃から自然の音にも魅了されていた。カボチャで作ったパイプを使って笛を作り、鳥のために演奏したり、湖に行ったときには何時間も湖の水で音を立てて遊んで過ごした。鍛冶屋である祖父が残したものを物干し竿にぶら下げて音を立てて遊ぶこともあった。

1950年、14歳の頃にペルナンブコ州レシーフェに移り、シヴーカ(Sivuca)の助けもあり地元のラジオ局の番組でバンドネオンとフルートを演奏し、プロのミュージシャンとしてのデビューを飾った。彼はまた、同じくアルビノであった彼の兄弟たちとともにバンドを結成し、ピアノを演奏し生計を立てていくようになった。その後より多くの演奏機会を求め、1958年にリオ・デ・ジャネイロに、1961年にサンパウロに渡っている。

打楽器奏者アイルト・モレイラ(Airto Moreira)らと共に残した1967年の名盤『Quarteto Novo』は彼の初期の大傑作だ。
1970年にはアイルト・モレイラの招きでアメリカ合衆国に渡り、マイルス・デイヴィス(Miles Davis)のアルバム『Live-Evil』に参加し、オリジナル曲も2曲(「Little Church」と「Nem Um Talvez」)を提供。これが国際的に彼の名を知らしめるきっかけとなった。

1973年にブラジルに戻り、『Slaves Mass』(1976年)や『Festa dos Deuses』(1992年)に代表される今も色褪せない名盤を残してきている。これまでに10,000曲以上を作曲してきたと言われており、その生き様は“音楽そのもの”で、ブラジルはもちろん世界中のアーティストたちに強い影響を与えてきた。

2000年に亡くなった妻イルザ・ダ・シウヴァ(Ilza da Silva)とは1954年に結婚。以来46年におよぶ年月をともに暮らし、6人の子供をもうけた。

Hermeto Pascoal – Música da Lagoa (Sinfonia do Alto Ribeira, 1985)

Hermeto Pascoal – horn, glass of water, kettle, PVC pipe, bass flute, melodica, acoustic piano, keyboards
Ajurinã Zwarg – drums, percussion
André Marques – acoustic piano, keyboards
Fábio Pascoal – percussion
Itiberê Zwarg – electric bass, tuba
Jota P – soprano saxophone, alto saxophone, tenor saxophone, flute, piccolo

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