バスーンの革命家、ポール・ハンソンの集大成的新作
バスーン1(ファゴット)をジャズやロックの領域に持ち込み、ソロ楽器として革新的な役割を果たすことに成功した米国サンフランシスコのバスーン奏者/作曲家のポール・ハンソン(Paul Hanson)の2024年作『CALLIOPE』は驚きに満ちたアルバムだ。本作にはプログレッシヴ・ロックの男女デュオであるレイズ・ザ・メイズ(Raze The Maze)とのコラボレーションを軸に、ルスラン・シロタ(Ruslan Sirota, key)やビリー・コブハム(Billy Cobham, ds)といった大物も参加。エレクトリック・バスーンを手に新たな時代を切り拓いてきた彼の集大成的な傑作となっている。
おおよそバスーンという楽器からは想像もできない音色が飛び交う。多くのリスナーは、言われなければこれがバスーン奏者の作品だということに気づかないだろう。いや、言われたとしても信じられないかもしれない…
ポール・ハンソンはエフェクターを駆使してエレクトリック・ギターやシンセサイザーのような音をつくり、プログレの中にバスーンを自然と主役として溶け込ませる。音色だけでなく幼少期からクラシックで培った運指テクニックに関しても驚くほど卓越した技巧の持ち主だ。
とりあえず、下にMVを貼った(2)「KDB」を観てみよう。
イントロの端切れの良いディストーションのかかった音はギターではなく、バスーンで演奏されている。
シンコペーションの効きまくった爽快なヴォーカル・パートのあと、2:34頃からのソロもギターではなく、バスーンである。…私はこれまで様々な音楽を聴いてきたつもりだが、バスーンのソロでこれほど興奮したのは初めての経験だ。
バスーンの多重録音のみで演奏される(5)「Quiet」を除き、全曲がポール・ハンソンとレイズ・ザ・メイズのベーシストであるタリク・ラガブ(Tarik Ragab)の共作。紅一点ヴォーカルのモーレア・ディッカソン(Moorea Dickason)の歌唱テクニックも凄まじく、複雑で豊かなサウンドは終始エキサイティングな音楽体験をもたらす。驚異的なヴォーカリストの存在のため人によっては歌に耳を惹かれるかと思うが、このアルバムの真骨頂はむしろ作曲やアレンジ、そしてバスーンという楽器を中心とした器楽の部分にある(実際、ヴォーカルも“器楽の一部”として機能している)。
(8)「Doorknocker」など、いくつかの曲には上原ひろみのバンドにも参加するドラマーのジーン・コイ(Gene Coye)が参加し、今作の超越的な推進力の一躍を担う。
Paul Hanson 略歴
ポール・ハンソンは1961年カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。両親はともに音楽家で、母親はクラシック・ピアニスト、父親は音楽教師という家庭環境でポール自身も幼少期からクラシック音楽に親しんだ。バスーンを手にし、高校時代には歴史あるユース・オーケストラであるヤング・ピープルズ・シンフォニー・オーケストラ(YPSO)で演奏し、サンフランシスコ交響楽団が主催する協奏曲コンクールでは木管楽器部門で優勝している。
スタンフォード大学で音楽を学びながら、ジャズや即興音楽への興味を深め、1980年代にバスーンの伝統的な役割を打破するエレクトリック・バスーンを開発。エフェクターやアンプを駆使し、ギターやサックスのような表現力を楽器に与えた。これが彼のキャリアの転機となる。
1990年代以降、ジャズ・フュージョンやワールドミュージックのシーンでベラ・フレック、ウェイン・ショーター、ビリー・コブハムといった巨匠と共演し、バスーンの可能性を世界に示す。とりわけエレクトリック・バスーン奏者として参加したベラ・フレックのアルバム『Outbound』(2000年)はグラミー賞の最優秀コンテンポラリー・ジャズアルバムに選出されるなど大きな注目を集めた。
2000年代には、シルク・ド・ソレイユ(Cirque du Soleil)の東京公演『ZED』でエレクトリック・バスーン奏者として参加。エキゾチックでダイナミックな音色が観客を魅了した。
ソロアーティストとしても活動し、アルバム『Astro Boy Blues』や『Global Positioning』で独自のサウンドを追求。ジャズの即興性とプログレッシブな構造を融合させ、批評家から高い評価を受ける。2024年、レイズ・ザ・メイズとのコラボレーションでアルバム『CALLIOPE』をリリース。プログレッシブ・ロックとジャズの融合を極め、バスーンをソロ楽器として再定義した。
Paul Hanson – bassoon
Moorea Dickason – vocals (1, 2, 3, 4, 6, 7, 8)
Tarik Ragab – bass (1, 2, 3, 4, 6, 7, 8)
Haroun Serang – guitars (1, 2, 3, 4, 6, 7)
Ruslan Sirota – keyboards (2, 6)
Chase Jackson – keyboards and vibraphone (4)
Eric Levy – keyboards (7)
Lang Zhao – drums (1, 2)
Gene Coye – drums (3, 4, 7, 8)
Billy Cobham – drums (6)
- バスーン…オーケストラや室内楽で低音〜中音域を担うダブルリードの木管楽器。「バスーン(bassoon)」は英語で、現代では2種類があり、日本においてはドイツ式の楽器を「ファゴット(fagott)」、フランス式の楽器を「バスーン」あるいは「バソン(basson)」と呼ぶ。 ↩︎