イスラエルとロシア出身の3人による痛々しいほどの音楽表現。社会の不条理を映すアリエル・バルト新譜

Ariel Bart - After Silence

ハーモニカ奏者アリエル・バルト新作『After Silence』

イスラエル出身、現在はドイツ・ベルリンを拠点に活動する新世代のジャズ・ハーモニカ奏者/作曲家アリエル・バルト(Ariel Bart)が、数年前から粛々と表現を磨き続けてきた「The Trio Project」の集大成であり、そのデビュー作『After Silence』をリリースした。“抒情的”という言葉では軽い、もっと深い感情表現をハーモニカ、チェロ、ピアノという変則トリオで描き出した素晴らしい作品だ。

演奏をともにするのはイスラエル・エルサレム生まれのチェロ奏者タリア・エルダル(Talia Erdal)と、ロシア・モスクワ出身のピアノ奏者アルセニー・ルイコフ(Arseny Rykov)。全曲がアリエル・バルトの作曲で、前衛的な側面もみせるなど演奏は挑戦的だ。アリエル・バルト自身は直接的には言及していないが、彼ら3人の出自と現在の社会情勢を鑑みると、(1)「After Silence」、(2)「Wind From The North」、(5)「One Warrior」、(6)「Don’t Forget Us When The War Is Over」などなど、各楽曲のタイトルには彼らの強い平和への想いが込められているように見受けられる。

(2)「Wind From The North」

それぞれの楽曲の、唯一文字で示されたタイトルと、彼女らの本質である音楽自体の双方を注意深く聴いてみると、そこには強い苦悩や憂いが感じ取れる。絶望の中に一縷の希望を見出さんとする(6)「Seeds Of Change」、即興の中に3人の激しい感情の混乱が垣間見える(8)「Screams Before Silence」など、生々しく鮮烈な表現は強く印象を残す。彼らが語りたい言葉のすべてを、音楽に乗せなければならない。そんな切羽詰まった表現が、痛みとともに迫ってくる。

アリエル・バルトはこう語る
「私たちは人々や文化、状況をすぐに判断しがちです。未知なものが怖いから、あるいは他の人々の生きる現実を知る術がないからという理由だけで、そうしてしまうことがよくあります。このアルバムは、私に立ち止まり、耳を傾け、見つめることを思い出させてくれます。表面下には何が隠されているのか? 影にはどんな物語が潜んでいるのか? これは、音楽を通じた共感についてのアルバムなのです」

きっと、彼女のこの言葉がすべてを映しているのだろう。歌うような豊かな表現力を持ったクロマチック・ハーモニカの音が、咽び泣くようなチェロの音が、それらを優しく包み込むようなピアノのハーモニーが、目を背けたくなるほどのあまりに痛々しい説得力を伴って襲い来る。
そんな体験ができる作品は、他にそうそうないだろう。

(8)「Screams Before Silence」

新世代のハーモニカ奏者、Ariel Bart

アリエル・バルト(ヘブライ語:אריאל ברט)は1998年イスラエル生まれのハーモニカ奏者/作曲家。ハーモニカを演奏していた姉の影響を受け、自身も7歳の頃からクロマチック・ハーモニカの演奏を始めた(彼女の実家には「思い出」と呼ばれる棚があり、そこに数十本ものもう使われなくなった古いハーモニカが仕舞われているそうだ)。

彼女は、ハーモニカという楽器は他の楽器と異なり“演奏するものではなく、歌うもの”だという。物心がついたときから、彼女の人生はずっとハーモニカとともにあった。ハーモニカを教える先生はあまりいなかったので、彼女は他の楽器の先生から音楽についてを学んだ。また、ジャズやブルースだけではなく、中東やアラブの音楽にも深い興味を持ち、自身の音楽観に自然と取り込んでいった。

ハーモニカという楽器をメインで扱うバンドは少ない。アリエル・バルトは、その状況を「ハーモニカは一種のギミックであり、価値の低いものと一般的に捉えられているから」だという。そして、その状況こそが彼女がずっとハーモニカに拘り続け、自身の音楽を探求する理由でもある。クロマチック・ハーモニカ1は真に自由な楽器だ。ダイアトニック・ハーモニカ2のような音階の制約もなく、自身の呼吸によって本当に“歌う”ように奏でることができる。

イスラエルで学んだあと、2020年5月に米国に渡りニューヨークのニュースクールを卒業。2021年のデビュー作『In Between』はトゥーツ・シールマンス(Toots Thielemans)やグレゴア・マレ(Gregoire Maret)の系譜を思わせる高い評価を得た。国際的なコラボレーションも多く、ヨーロッパや中東の影響が作品に反映されるなど独自の表現で存在感を示し続けている。

2024年リリースの3曲入り『The Trio Project』のライヴ録音風景

Ariel Bart – harmonica
Talia Erdal – cello
Arseny Rykov – piano

  1. クロマチック・ハーモニカ…クロマチック(Chromatic)とは半音階の意味で、スライドレバーの操作によってシャープやフラットの音を出すことができる楽器。その演奏は非常に高度な技術を必要とする。ジャズで特に用いられ、トゥーツ・シールマンス(Toots Thielemans, 1922 – 2016)がその先駆者として広く知られている。 ↩︎
  2. ダイアトニック・ハーモニカ…通称ブルースハープ。特定の調のメジャースケールを吹くことができ、多くのブルースやカントリー系ミュージシャンに愛用されている。キーが合っていれば、割と適当に吹いてもサマになるほど簡単である。 ↩︎

関連記事

Ariel Bart - After Silence
Follow Música Terra