ナガランドの首刈り族に生まれた女の子
センティ・トイ(Senti Toy、Sentienla Toy) はミャンマーと国境を接するインド東部のナガランド州出身のシンガーソングライターだ。
彼女の出身であるナガランドのアオ族はキリスト教が伝来する半世紀前まで、いわゆる“首狩り族”だった。
センティ・トイの先祖も戦士で、曽祖父は英植民地政府に禁止された首狩りを行ってしまい、獄死したという。
しかし彼女の祖父はナガランド人で初めて教職に就いた。
そして彼女の父親は若い頃、エンジニアとして日本の東芝で研修を経験した。
帰国後、「ミスター・トウシバ」と皆に呼ばれるようになり、自らも姓を「トウシバ」に変え、それが発音しにくいという理由から短縮され現在の「トイ」になったという。
そんなユニークな一族に生まれたセンティ・トイは幼少期より日常的に一族の伝統音楽や宗教音楽に触れながら育った。
彼女は地元の高校を卒業後、ボンベイ(現在のムンバイ)の大学に入りインド哲学を専攻。そこで初めてジョニ・ミッチェルやスティーヴィー・ワンダー、エラ・フィッジェラルドなどの音楽に触れ感動したそうだ。
出会いという人生の転機、インドからNYへ
ボンベイの大学時代に大きな転機となったのが、当時インド公演に来ていたヘンリー・スレッギル(Henry Threadgill)、──のちに夫となる人物だった。
ヘンリー・スレッギルのフリージャズを初めて聴いた彼女の印象は、「ドラマティック、しかも厳格」というものだったようだ。
1994年、ヘンリー・スレッギルはこのインドのユニークな部族の娘センティ・トイと結婚した。そして人生のパートナーとして、さらには音楽のパートナーとして、ニューヨークへと彼女を連れていった。
結婚した1994年のヘンリー・スレッギルのアルバム『Henry Threadgill』に収録された「Vivjanrondirkski」などで、愛妻センティ・トイの声を聴くことができる。
センティ・トイ、唯一のソロアルバム
2006年に初めてリリースしたセンティ・トイのソロ作がこの『How Many Stories Do You Read On My Face』だ。『私の運命線』という邦題もつけられている。
このアルバムで表現してみせたセンティ・トイの音楽は夫ヘンリー・スレッギルのものとも全く違う、ジャズ、カントリー、ブルース、そしてインドの民族音楽といった要素がブレンドされ、その上難解でもなくジョニ・ミッチェルやノラ・ジョーンズのような親しみやすさのある作品になっている。
表題曲の(1)「How Many Stories Do You Read On My Face」では、インドの伝統楽器であるタブラの音に乗せて、自らの出自を問う歌をそのオーガニックな美声で披露している。
(2)「Say a Word」では、よりエキゾチックな弦楽器が響く。不穏な雰囲気で始まる(4)「The Language I Cry In」は彼女の母語であるナガランド語で始まり、ルーツを見つめる歌詞が語られる。
アルバムは全体的にとてもナチュラルでジャジー&フォーキーな雰囲気に満ちており、音楽的にはヘンリー・スレッギルの影響はほとんど感じられない。
2006年の発売当時、ワールドミュージックやジャズ愛好家の間では大きな話題になったが、その後彼女の作品はリリースされていないようだ。
もし次にセンティ・トイの音楽が聴けるときが来たら…、このデビュー作からどれだけの変化を見せるものになるか、とても興味深いのだが。