1960年代の音楽ムーヴメントの立役者
発売から半世紀。今も色褪せない名盤と、その主役であるピアニストを襲ったあまりに悲しい物語を紹介しよう。
物語の主人公は、1941年生まれのブラジルのピアニスト、テノーリオ・ジュニオール(Tenório Jr.)。
ブラジルの国立大学の医学部出身の彼は、ジョアン・ジルベルトらが活躍した時代にボサノヴァやサンバのピアニストとして有望視される存在だった。
現に、レニー・アンドラージ(Leny Andrade)の1963年作『Arte Maior』、エヂソン・マシャード(Edson Machado)の1964年作『Samba Novo』、オス・コブラス(Os Cobras)による1964年作『O LP』など、ブラジル音楽の重要作でサイドマンとしてテノーリオJr.のピアノの録音が残されている。
彼が23歳のときに初リーダー作として発表した1964年の『Embalo』は、1960年代に起こったムーヴメント“ジャズサンバ”の誰もが認める名盤として評価されている。
しかし残念ながら、このアルバムは初リーダー作であると同時に、唯一のリーダー作となってしまった。
テノーリオ Jr. を襲ったあまりに醜い悲劇
1976年3月18日、テノーリオ・ジュニオールは演奏旅行で訪れていたブエノスアイレスのホテルから「タバコを買いに行く」とメモを残し外に出たまま、行方不明になった。
そして、再びその姿を現すことはなかった──。
当時34歳。妊娠中の妻と4人の子供を残しての失踪だった。
後に判明したことだが、彼はこのときアルゼンチンの独裁軍事政権の手下に過激派と勘違いされ、逮捕されていたのだ。
逮捕された彼はその後刑務所に投げ込まれ、身の毛も弥立つような拷問を受け、殺害された。
テノーリオ・ジュニオールは逮捕後、数時間、あるいは数日間立たされることを強制され、さらに汚水や排泄物のたまった水槽に顔を浸けるなどの拷問を受けたと伝えられている。
テノーリオ・ジュニオールは軍人の息子ではあったが、政治的思想やイデオロギー的な事柄を表明したことは一度もなかった。
もしかしたら彼の風貌──非常に高い背、髭、長い髪、長い外套──が彼が疑われた原因だったのかもしれない。
黄金郷はここにある──伝説になったピアニストの遺産
テノーリオ・ジュニオール唯一のリーダー作『Embalo』のハイライトでもある「Fim de Semana Em Eldorado」(黄金郷での週末)は、ジャズサンバを代表する名曲・名演だ。
ピアノトリオ編成が基本のアルバムだが、トロンボーンやトランペットが加わった高速サンバジャズなども収録されており、アルバム全体を通して楽しめる作品である。
ジャズサンバは50年代の終わり、ボサノヴァの台頭とともに出現し、60年代のフュージョンやロックの台頭により終焉した短命のムーヴメントだが、テノーリオ・ジュニオールというピアニストは間違いなくこのジャンルの立役者だった。
めまぐるしく移り変わる時代の中で輝き、そして消えていったテノーリオ・ジュニオールが残した音楽は、50年以上が経過した現在も評価され人々に驚きや感動を与え続けている。