一人の女性SSWが身を削って創り出した音楽。あなたはこれを無視できますか?

Adriana Calcanhotto - Margem

突き刺さる痛み…アドリアーナ・カルカニョット新譜『Margem』

ブラジルのベテランSSW、アドリアーナ・カルカニョット(Adriana Calcanhotto)の2019年作『Margem』は、1998年『Maritmo』、2008年『Maré』に続き、「海」をテーマにした作品とのことだが…プラスチックごみの海に浮かぶ彼女の姿を写したこのジャケットのアートワークに、海に対する深い尊敬の念を隠さない彼女の悲痛な心の叫びが聞こえてくるようである。

アルバムタイトルのMargemとは、英語でMargin、つまり境界のこと。
海と陸の境界=水辺の意味でもあり、おそらくメタファーとしては時代的な境界のことでもある。

ポルトガル語が分からない殆どの日本人にとってこの作品は、少しばかりアンニュイな空気を纏い、時に実験的な要素もみせる上質なMPB(=Música Popular Brasileira、つまりブラジルのポップスのこと)と捉えられるだろう。
実際、楽曲はサンバの繊細なニュアンスに少量のラテン音楽や、スパイスとしてインド音楽など実験的な要素も散りばめられた、とても聴き応えのある良作ばかりである。

だが、軽く聴き流すことが妥当な作品なのかどうかは、(1)「Margem」のMVを見てから判断する必要がありそうだ──

(1)「Margem」のMV。
右手に鋏を持ったアドリアーナ・カルカニョットが、ひたすら自身の髪の毛を切り刻んでゆく。
最後にはバリカンを持って…

この一人の女性SSW(シンガーソングライター)が身を挺して撮影した衝撃的な映像に、あなたの若い感受性は素直に反応しただろうか。

アドリアーナ・カルカニョットの音楽は現在の世界的な政治的潮流と密接にリンクしている

人々の生き方の多様性を認めず、視野の狭い価値観の中に閉じ込めようとする政治。
環境を顧みず、地球資源を経済発展のための道具としか見ない政治。
仮想敵をつくり、根拠のないデマを垂れ流すことがどういうわけか支持に繋がる政治。

異なる社会的属性の人々と互いに啀み合い、視野狭窄に陥る人々。
“論戦”と称される不毛な嘲笑合戦。
そして、自分は社会に対して力不足だ、と感じ絶望する人々。

無視される弱者の悲鳴。
感受性の死。

こうした近年の世界的な事情を顧みると、アドリアーナ・カルカニョットという女性SSWが身を削って創り出したこの美しい音楽についての理解も多少深まるはずだ。

(4)「Lá Lá Lá」のMV。
“ラララ…”は貧弱な言葉ですか?

ブラジルという国は原来、軍事政権下でカエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso)など多くの優れたアーティストが亡命を余儀無くされるなど、政治に翻弄されてきた近代史を持つ国だ。
1965年生まれ、1984年からプロとして活動を開始し、1990年にファーストアルバムをリリースし現在もMPBのトップランナーとして人気を誇るアドリアーナにとっても、1985年の軍事政権から民政移管や、2019年1月発足の極右ボウソナロ政権誕生といった出来事は決して人ごとではなかったはずだ。

本作『Margem』は後半に進むにつれ、次第にそのサウンドの深みを増していく。前衛的な表現の(9)「Meu Bonde」が終わり静寂が訪れた時、私はその余韻の中に全てを解き放った一人の芸術家の心音が聞こえた気がした。

(7)「Era Pra Ser」のMV。
「愛についての歌になるべきだった」という印象的な歌い出しに、彼女の深く切ない想いが感じ取れる。
Adriana Calcanhotto - Margem
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