エステル・ラダ。彼女のルーツはベタ・イスラエル
イスラエルの人気歌手/女優であるエステル・ラダ(Ester Rada, 1985年 -)は、ベタ・イスラエルをルーツに持つ注目の女性アーティストだ。
「ベタ・イスラエル(Beta Israel)」とは、エチオピアに住むユダヤ人(古代イスラエル王国が分裂したときにアフリカに移住した人々の末裔)の呼称。
彼らはキリスト教徒の多いエチオピアでは歴史的に迫害され、1980年代以降にはエチオピア国内のベタ・イスラエルの85%以上にあたる11万人を越える人々が帰還法(ユダヤ人の子孫である者はイスラエルに居住でき市民権を得られるという法律)によってイスラエルに移住しているという。
エステル・ラダの両親は、彼女が生まれる前年の1984年にスーダンの難民キャンプからイスラエルに脱出。翌年に生まれたエステル・ラダはヨルダン河近くの貧しいユダヤ人の集落で少女時代を過ごし(彼女は家庭ではエチオピアの事実上の公用語であるアムハラ語を話し、学校ではイスラエルの公用語であるヘブライ語を話して育った)、10代の頃にイスラエル陸軍の歌手として世界中を旅する生活を始めた。
軍楽を歌った後、テルアビブの人気クラブで流行りのアフロポップと現代音楽のハイブリッド音楽を歌い、徐々に知名度を高めていった彼女は2013年にジャズ、ファンク、R&Bを見事に融合して魅せたEP『Life Happens』で鮮烈なデビューを飾り、その後行われたヨーロッパ、米国、カナダを巡るツアーで世界的な名声を得るようになっていった。
アコースティック主体の豊かなサウンド
2015年にフランスの世界的レーベル、アルモニア・ムンディ(Harmonia Mundi)と契約を結び、まさにイスラエルを代表するアーティストとなった彼女は2017年に2ndアルバム『Different eyes』、そして2020年に今作『Grace』( ヘブライ語原題:חסד)をリリースしている。
アコースティック楽器主体の豊かなバンドサウンドで、アルバムの大半が自作曲だが、天才ピアニストのトメル・バール(Tomer Bar)作曲の(3)「יום עובר」や、SSWアナット・マラマド(Anat Malamud)作曲の(6)「שיט בנהר」などバラエティ豊かな音楽が楽しめる。
エステル・ラダは歌手/作曲家としてニーナ・シモン、エラ・フィッツジェラルド、とアレサ・フランクリン、エリカ・バドゥ、ローリン・ヒル、ジル・スコット、さらにはエチオジャズ──特にムラトゥ・アスタトゥケ(Mulatu Astatke)やアフムド・アハメド(Mahmoud Ahmed)から、大きな影響を受けたという。
デビュー当初から自らのアイデンティティを隠さず、むしろ武器として個人の声を体現してきた彼女の音楽は今作でも存分に発揮されている。テレビでニュースになることだけが世界で起きていることではない。様々な社会問題が連日取り沙汰されているが、日本で報じられない場所にも、こうして闘っているアーティストがいるのだ。