クセになる洗練されたグルーヴ。アンゴラの歌姫ヨラ・セメードの最高傑作『Filho Meu』

Yola Semedo - Filho Meu

アンゴラの歌姫、ヨラ・セメードの最高傑作『Filho Meu』

今回紹介するのはアンゴラの女性歌手/作曲家、ヨラ・セメード(Yola Semedo)の2014年リリースの作品『Filho Meu』。これがとんでもない傑作で、今でも時々聴き返している。
特に大好きなのがラストの(14)「Você Me Abana」という曲だ。この曲は本当にこれまでに聴いた全音楽の中でも上位にランクする名曲で、偶然にこの曲に出会ってから何度も何度もリピートしていた。実はそれからしばらく、アルバムの他の曲を全く聴かずにこればかり繰り返していたが、ある日1曲目から聴いてみたら他の曲もめちゃめちゃ良かった、という具合で徐々に長い時間をかけてお気に入りのアルバムになっていった…というのがこの作品なのだ。

アンゴラという国の名を聞いて「どこ?」となる人は多いだろうし、かの国の音楽なんて全く知らない、という方が今の日本ではほとんどだろうとは思う。
だが、ぜひ私と同じように、先入観を取り払ってまずは(14)「Você Me Abana」を聴いてみてほしい。

(14)「Você Me Abana」

いかがだろうか…

開始直後いきなり転調感のあるイントロに怯まされるが、リズムは4つ打ちなのでとても分かりやすい。だが要所で3拍目でクラッシュ・シンバルが入るため一瞬2/4拍子が混ざったような感覚に陥る。
そしてファンキーなベース、ブラスのアレンジがとにかく素晴らしい。特に後半は凝りに凝っており、3’55″あたりからのベースの絶妙な半音下降進行、その後のブラスとのユニゾンなどは何度聴いてもゾクゾクする。上物ではアコーディオンが醸し出す郷愁感やギターの淡々としたカッティング、地味だが効果的なストリングスなど、かっこよくて、それだけではない意表を突く秀逸なアレンジのお手本とも言える仕上がりだ。
そしてヨラ・セメードのヴォーカルは力強く、どこまでも突き抜けており最高に気持ちいい。サビでの多数の女声コーラスも西洋音楽の影響を受けたアフリカン・ポップスの折衷的な魅力が溢れんばかりだ。

…そんなわけで、私はこの曲に出会ってからしばらくヘビーローテーションしてしまったのだが、アルバムには他にも素晴らしい曲が多数収録されている。

冒頭の(1)「Filho Meu」はピアノと弦楽で始まるいきなりの感動的バラード。タイトルはポルトガル語(アンゴラはポルトガル語が公用語)で“私の息子”という意味で、“この女性(自分)を選んでくれてありがとう”という言葉に始まる、命を繋ぎ、希望を繋ぐ喜びに満ちた楽曲。普遍的だが本質的な理の物語を歌うヨラ・セメードは圧巻の表現力でこれを歌い上げている。

続く(2)「Não Era Pra Ser」も特徴的なフックと美しいメロディーを持った曲で、葛藤を歌う繊細な歌詞を強い意志で歌う。

(5)「Volta Amor」は恋人との未来の約束がなくなった状態──これは失恋の定義だろうか──における心の揺れを歌う。世界中のどこでも、この手の歌が多くの人の共感を得るのだ。

(5)「Volta Amor」

アンゴラのダンス・ミュージックであるキゾンバの要素の強い(7)「Freak」は打ち込みが主体となっている。生演奏とエレクトロニックのバランスの取れた併用はこのアルバムの特徴でもある。

全14曲というボリューム感はサブスク全盛の2022年現在の感覚からすると若干過剰でお腹いっぱいかもしれないが、細部まで作り込まれたこの作品は21世紀のアフリカのポピュラー音楽の最高傑作のひとつだと思っている。

(3)「Não Entendo」

アンゴラの歌姫、Yola Semedo 略歴

ヨラ・セメードは1978年にアンゴラのベンゲラ州ロビトに生まれ、現在は同国首都のルアンダを拠点に活動を行っている。

彼女のキャリアは、1984年に兄弟によって結成された音楽グループ「Impactus 4」で始まった。彼女は次第にグループの中でメイン・ヴォーカリストとなっていき、1985年にはユネスコ国際フェスティバルに参加。さらに1986年にはポルトガルのフィゲイラ・ダ・フォズ・フェスティバルにリード・シンガーとして参加した。1990年に家族とともにナミビアに移住、2005年までそこで過ごしている。

1995年にアフリカのゴールデン・ヴォイス賞を受賞。2007年にはディーヴァ・ダ・ムジカ、およびディーヴァ・オブ・ザ・モーメントとして表彰された。

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