Avishai Darash『Andalusian Love Song』
アンダルシア、北アフリカ、中東といった地中海を取り囲む地域の豊かな伝統音楽と西洋のクラシック音楽がジャズという言語のもと、最高のレベルで出会った作品と言っても過言ではないだろう。
イスラエル出身、オランダ・アムステルダムを拠点に活動するアヴィシャイ・ダラシュ(Avishai Darash)が、彼が芸術監督を務めるマルムーシャ・オーケストラ(Marmoucha Orchestra)を率いて録音したアルバム『Andalusian Love Song』。それぞれ出自の異なる15名の個性的な音楽家たちによる祝祭の饗宴。
彼の音楽は日常を取り巻くあらゆるもの──環境、人々の営み、その中で湧き起こる全ての感情、そしてそれらが永遠と思えるほどに繰り返される人生──そうしたものを詩情に溢れる9つの楽曲に乗せて表現する。私たち日本人が普段耳にする音楽とはまるで異質な、馴染みのないスケールや変拍子はむしろ日常を忘れさせ、そして我々を別の文化に生きる人々の日常へと連れてゆく。これらの音楽から得られる映像的な体験は想像力次第で無限だ。そしてこれだけ変化に富んだ映像を見せてくれる音楽というものは、なかなか出会えないものだ。
アルバムはアンダルシアの愛の歌(1)「Andalusian Love Song」で始まり、心理学者カール・グスタフ・ユングへのオマージュを捧げる(3)「She’s the Perfume in the Wind」や憧れや哀しみ(4)「Longing/Sadness」などの様々な旅路を経て、最後は家に到着(9)「Arriving Home」する。
アルバムを彩るオーケストラには盟友であるモロッコ出身のウード奏者モハメド・アハダフ(Mohamed Ahaddaf)や、アルメニア系イラン人ベーシストのアリン・ケシシ(Arin Keshishi)、スペイン・アンダルシア州出身のフルート奏者マリア・クリスティーナ・ゴンサレス(Maria Cristina Gonzales)、さらにはオランダを代表するトランペット奏者ギドン・ヌネス・ヴァズ(Gidon Nunez Vaz)、スペイン出身の気鋭トロンボーン奏者パブロ・マルティネス(Pablo Martinez)ら最高峰のミュージシャンが多数参加。アンサンブルの妙だけでなく、それぞれのソロも存分に楽しめる。
エンターテインメントとしての地中海ジャズ
アヴィシャイ・ダラシュの音楽は非常に複雑で知性的だが、かといって“難解”に留まるものではなく、リズム、旋律、コードの組み合わせといったパーツのそれぞれにはシンプルな美しさがあり、組み合わされたアンサンブルは人々の心を動かす妙な説得力を持ち合わせている。それは「人生は複雑で厳しいが、音楽はその複雑さから逃れるためのものであるべき」という彼の哲学から来るものなのだろう。
だから、このアルバムにもエンターテインメントな要素が随所に感じられ、それらに最高に心踊らされるのだ。
日本ではほとんど紹介されない類の音楽ではあるが、知的好奇心を刺激し、音楽を通じてまだ見ぬ世界を想像させるには最高の作品なのではないだろうか。
アヴィシャイ・ダラシュはJazzBluesNewsという媒体によるインタビューの中で、「音楽の世界で何か ひとつだけ変えることができるとしたら?」という質問に対し、次のように答えている。
今日の業界のニーズに合わせて大学レベルの教育を更新します。多くのミュージシャンはセーフティネットを持たず、ビジネスの重要な要素を理解できないまま卒業します。業界を見ると、急速に成長し変化しています。学生が持続可能なキャリアを本当に考えることができるように、音楽院内でのトレーニングが必要です。
jazzbluesnews.com
Avishai Darash 略歴
イスラエル・エルサレム生まれのアヴィシャイ・ダラシュはミュージシャンではなかったが家の中に絶えず音楽を流す音楽好きの両親の家庭で育った。家庭ではクラシック、イスラエルフォーク、ジャズなどが主に流れていたが、11歳のときに4年間のインド旅行から戻ってきたいとこに教わったサイケデリックトランスを聴いて大きな衝撃を受け、Cubaseを使ったDAWによる音楽制作を開始。しばらくして独学の限界に気づいた彼は16歳の頃からイタイ・ローゼンバウム(Ittai Rosenbaum)に師事し音楽理論やピアノを学び、音楽への知見を深めていった。
サイケデリックトランスは間違いなく彼の初期衝動であり大きな音楽的影響源のひとつだが、最初にクラシックのピアノを習い、後にジャズを学んだ彼はイスラエルのジャズ・ミュージシャンのコミュニティとの付き合いを始め、作曲を通じて自らのスタイルを完成させていった。
エルサレム音楽舞踊アカデミーの学士課程に通い、留学プログラムでニューヨークに滞在し経験を積んだ彼はその後オランダのアムステルダム音楽院に入学。以降アムステルダムを活動の拠点とし、2012年からはモロッコ出身のウード奏者モハメド・アハダフ(Mohamed Ahaddaf)と緊密な関係を築きいくつかのアルバムをリリースした。
2020年、アヴィシャイはアムステルダムを拠点とするマルムーシャ・オーケストラ(Marmoucha Orchestra)の芸術監督/第一編曲者/作曲家/ピアニストという名誉ある地位を獲得。以来、同オーケストラの芸術コーディネイターを務めるモハメド・アハダフらとともに、北アフリカ、中東、西洋といった異なる音楽文化を持つ地域の文化的融合に果敢にチャレンジを続けている。