革新的ピアニスト、スヴェトラーナ・マリンチェンコが描く平和への想い
ロシア・モスクワ州出身、ドイツ・ベルリン在住のピアニスト/作曲家スヴェトラーナ・マリンチェンコ(Svetlana Marinchenko)の3rdアルバム『Between the Times』がリリースされた。これまで好奇心に溢れたプログレッシヴな音楽を放ってきた彼女にとって、今作はより社会的なテーマへと変遷を遂げたアルバムに仕上がっている──もちろん、それは彼女を取り巻く社会情勢に強く影響を受けたものだ。
スヴェトラーナ・マリンチェンコは今作について、下記のように説明している。
この音楽、このメロディックな宣言は、2月24日以来、私を押し潰そうとするすべての感情をどうにかして表現する方法なのです。
Between the Times
混乱、痛み、恐怖、恥、罪悪感、不安、怒り、フラストレーション、絶望……数え上げればきりがない。
ただ、それを語り、イメージに落とし込むことが重要だということだけは分かっている。
そして私にとってのイメージは、時代の狭間で立ち往生し、このギャップに陥り、この新しい世界で自分が何者なのか、どう生きればいいのかを理解しようとする人間のイメージなのです…。
(4)「Between Times」ではポエトリー・リーディングが披露される。英語の字幕もあるのでぜひ下記のミュージック・ヴィデオも観てほしい。
今作でトリオを組むのはドラムスのトビアス・バックハウス(Tobias Backhaus)とベースのニクラス・ルカッセン(Niklas Lukassen)。いずれもドイツの名手だ。前作でバンドを組んだピーター・クーデク(Peter Cudek, b)とオフリ・ネヘミヤ(Ofri Nehemya, ds)とはだいぶアプローチ方法も異なるが、スヴェトラーナ・マリンチェンコの溢れ出る激情に対する細やかな反応で演奏を盛り立ててゆく。
それにしても、芸術家には、自由に表現できる「環境」が必要だという当たり前のことを思い知らされる。ロシアにしろイスラエルにしろ、戦争が始まってからはその国にいるミュージシャンたちが政治的な話題を不自然に避けるようになってしまっているのを目の当たりにするにつけ、戦時下での言論の自由の難しさを強く実感する。独裁的な政治は、その国の国民に猿轡をはめさせ、彼らから自由な芸術を奪う。
ロシアに生まれた彼女は、祖国を離れベルリンという地でその自由に縋ろうとしている。ドイツにも過去の暗い歴史があるが、今はまだ、多くの賢い国民は歴史を直視し、あるべき未来を見ている。
溺れる者は藁をも掴むし、愚か者は二元論を掴む。口実はその人の程度を表す。
スヴェトラーナ・マリンチェンコという稀有な才能の持ち主が視る未来は、より良いものであってほしいというのが彼女の渾身の作品を聴いた最終的な感想だ。
スヴェトラーナ・マリンチェンコ 略歴
スヴェトラーナ・マリンチェンコはロシアのモスクワ近郊の都市ラメンスコエに1989年に生まれた。ピアノを始めたのは17歳の頃から。当初は女優を志し大学で演劇を学んでいたが、あるとき詩の朗読のバックで演奏をしていたジャズバンドのメンバーと親しくなり、彼らからジョン・コルトレーンの『A Love Supreme』(至上の愛)を聴かせてもらった瞬間に雷に打たれたような衝撃を受け、それをやってみたいと思ったという。それから3年間努力を重ねた後、サンクトペテルブルクのムソルグスキー音楽大学に入学しジャズの学位を取得した。
2015年頃からドイツのミュンヘンに拠点を移し(アメリカ・ボストンのバークリー音楽院からも奨学金を得ていたが、アメリカは彼女のビザを発行しなかった。全ての書類は網羅されていたにも関わらず、だ)、ジャズコンボ「SVETAMUZIKA」名義でプログレッシヴ・フュージョンなデビューアルバム『Present Simple』を制作。
2016年にミュンヘンで開催されたスタインウェイ・ジャズ・アワードで優勝し、2019年にKurt Maas JazzAwardを受賞。2020年にクラウドファンディングを立ち上げ2ndアルバム『Letters to My Little Girl』を制作した。
Svetlana Marinchenko – keyboards, voice, poetry
Tobias Backhaus – drums
Niklas Lukassen – bass