イーロ・ランタラによる15年以上ぶりのピアノトリオ作
独創的なユーモアと超絶技巧でピアノトリオの世界に輝かしい足跡を残したトリオ・トウケアット(Trio Töykeät)が2008年に解散して以来、イーロ・ランタラ(Iiro Rantala)は一般的なピアノトリオのフォーマットをずっと避けてきた。2011年にACTからソロデビュー作『Lost Heroes』からは挑戦の連続だ。ソロ、デュオ、チェロとヴァイオリンとのトリオ、ヒューマンビートボックスとギターとのトリオ、オーケストラとの共演などなど。リリースのたびに手を変え品を変え繰り出されてきた彼の作品、その目的は観客を楽しませること、そして自らも楽しむことだったように思う。
そんな挑戦に一区切りがついたからだろうか、ついにこの天才ピアニストがベース、ドラムスとの一般的なピアノトリオ編成での新作を発表した。タイトルは『Tough Stuff』。世界一有名なネズミのキャラクターと思しきモノが押し潰されたジャケットの『Good Stuff』(2017年)へのセルフ・オマージュだろうか、こういった細かいユーモアも彼らしい。
ここ数年、再びピアノトリオで演奏したいというアイディアは持ち続けていたようだ。パンデミックの直前、彼はベーシストのダン・ベルグルンド(Dan Berglund, 元e.s.t.)とドラマーのアントン・イーガー(Anton Eger)との2、3回のギグを行い、さらにその想いを強くしたことが今作の誕生のきっかけとなった。
故郷ヘルシンキの空港のコードに因んで”HEL Trio”と名付けられたトリオは、アントン・イーガー(Anton Eger, ds)とコナー・チャップリン(Conor Chaplin, b)という編成。今作はやはりイーロ・ランタラらしいエンターテインメント性やエモーションに溢れた素晴らしい楽曲ばかりが収められており、彼の新たなマスターピースといっても過言ではない素晴らしさだ。
技巧的で楽しい冒頭2曲、あまりに美しいワルツ(3)「Second Date Waltz」など良曲が並ぶ。オーヴァーダブや効果音の挿入など彼ららしい創作力は楽曲に彩りを加えている。イーロ・ランタラが妙にライバル心を燃やすスウェーデンの首都の名を冠した症候群1をタイトルに据えた(5)「Stockholm Syndrome」の北欧ジャズらしい妙なもの哀しさも、彼の手にかかると絶妙な皮肉が隠されているようでなんだかおかしい。
そして何よりも旧来からのイーロ・ランタラのファンとしては、やはり(6)「Cabaret Perdu」と(7)「Tee Four Three」に強く耳を惹かれてしまう。いずれもTrio Töykeätの名盤『Kudos』(2000年)からの選曲で、前者は原題(2)「Met by Chance」(のちに「Anyone With a Heart」というタイトルで再アレンジ)、後者は原題(3)「Gadd a Tee?」の再演だ。これは子供の頃にTrio Töykeätのコンサートを聴いて感動したドラマーのアントン・イーガーの切実な希望が叶った結果のようだが、同時に世界中のファンへの最高のサービスでもある(日本のファンから一言リクエストをさせていただくと、ぜひ「Ab Fab」も再演してください。お願いします)。
アルバムのラスト(11)「Liberty City」は今作唯一のゲスト、デンマークのハーモニカ奏者マティアス・ハイス(Mathias Heise)を迎え、ジャコ・パストリアス(Jaco Pastorius)の名曲をカヴァーしている。
この選曲は、ラインナップの中にジャズ・フュージョンの名曲が並ぶことすらも自然と思わせるイーロ・ランタラという音楽家の多様性を象徴するものとなっている。
Iiro Rantala 略歴
イーロ・ランタラは1970年フィンランド・ヘルシンキ生まれのピアニスト/作曲家。
ヘルシンキのシベリウス・アカデミーでジャズを、そしてマンハッタン音楽学校でクラシックを学んでいる。
1988年にピアノトリオ、トリオ・トウケアット(Trio Töykeät)を結成。2008年までの20年間で10枚ほどのアルバムをリリースし世界中で人気を博した。
その後はソロ活動や、ギタリストとヒューマンビートボクサーとの変則トリオなどユニークな活動を行なっており、現在は作品のほとんどをドイツの名門ACTレーベルからリリースしている。近年はドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン(DKPB)やベルリン・フィルハーモニーといったオーケストラとの共演も多い。
Iiro Rantala HEL Trio :
Iiro Rantala – piano
Anton Eger – drums
Conor Chaplin – bass
Mathias Heise – harmonica (11)
- ストックホルム症候群…精神医学用語。誘拐事件や監禁事件などの現場において、被害者が加害者と時間や場所を共有することにより、加害者との間に好意や共感など心理的なつながりを築くことをいう。1973年8月にスウェーデンのストックホルムで発生した銀行強盗人質立てこもり事件が由来。 ↩︎