昨年、5年ぶりのスタジオアルバムであり、第66回グラミー賞で新設された最優秀オルタナティブジャズアルバムを受賞した『The Omnichord Real Book』を発表したばかりのミシェル・ンデゲオチェロ(Meshell Ndegeocello)がわずか1年足らずで早くも新作を発表した。
創作スパンの短さにも驚かされることながら、
その内容もまたユニークである。
『No More Water: The Gospel of James Baldwin』
タイトルに冠されたアフリカ系アメリカ人の思想家・ジェームズ・ボールドウィン(James Boldwin)。
彼にインスパイアされた本作は、近年のアートポップ路線でありながらも、ポリティカルでより人間の内面を炙り出すようなメッセージ性の強い作品に仕上がった。
“読む音楽”と呼びたくなる示唆に富んだミシェル・ンデゲオチェロの最新作を紐解いていきたい。
8年前から始まった、ジェームズ・ボールドウィンとの邂逅
コロナ禍という強制的な外的要因によって、新たな音楽との向き合い方を模索し、じっくりと長い期間をかけて作り上げられた前作に対し、抑圧されたクリエイティビティが解放されたかのような、この1年のンデゲオチェロの活動には目を見張るものがある。
その中の一つが、アフロフューチャリズムを体現した偉大なアーティストの一人、サン・ラ(San Ra)のコンピレーション『Red Hot & Ra : The Magic City』であろう。
カルチャーを通じたエイズ撲滅に向けたチャリティーを目的とするRed Hot シリーズには、過去フェラ・クティのトリビュート作品『Red Hot + Riot:The Music and Spirit of Fela Kuti』に参加しているが、約20年ぶりとなる本作はプロデュースという形で全編に渡りクレジットされており、そういった意味ではミシェル・ンデゲオチェロの作品と言ってもいいほどに彼女のクリエイティビティが詰まった一作となっている。
しかし、一方でこの活動が本作のトリガーになったかというと、そうでもないようだ。
遡ること8年前。2016年にハーレム・ステージ・ゲートハウスで行われたボールドウィンのトリビュート・イベントの際、人種差別や階級主義が描かれたボールドウィンの作品『次は火だ(The Fire Next Time)』に対しンデゲオチェロは「まるで私の家族のことが書かれているよう」「啓示のようなもの」と語っている。
また、偶然にもボールドウィンが敬愛するジャズシンガー、ニーナ・シモン(Nina Simone)は、ンデゲオチェロが過去『Pour Une Âme Souveraine』でトリビュートしたアーティストでもある。
様々な共通項を重ねながら、作品世界に入り込んでいったンデゲオチェロが、ジェームズ・ボールドウィンの生誕100周年である2024年に本作を発表したことはまさに必然であったと言える。
聴く人に爪痕を残す音楽を超えた音楽
本作は前作同様、ブルーノートから発表されている。
参加ミュージシャンもまた、ンデゲオチェロ作品常連のマルチアーティスト、ジュリアス・ロドリゲス(Julius Rodriguez)をはじめ、ジョシュ・ジョンソン(Josh Johnson)、エイブ・ラウンズ(Abe Rounds)、ジャスティン・ヒックス(Justin Hicks)など、前作から引き続き若手のアーティストを多数起用。
また、アルバム・タイトルの『ノー・モア・ウォーター』(No More Water)は、ボールドウィンの著作や黒人霊歌「Mary Don’t You Weep」の歌詞、そしてさらに遡ると旧約聖書の『創世記』の「ノアの箱舟」の章で登場するフレーズであり、このタイトルからもボールドウィン作品や上述のアフロフューチャリズムの影響を色濃く受けていることがわかる。
力強いポエトリーリーディングから始まる(1)「Travel」に続き、ジャスティン・ヒックスがボーカルをとる(2)「On the Mountain」は、タイトル通りボールドウィンの処女作である『山にのぼりて告げよ』(Go Tell It on the Mountain)からインスパイアされたと思われる楽曲。また、ピューリッツァー賞受賞作家であり、「GOD MADE MY FACE: A COLLECTIVE PORTRAIT OF JAMES BALDWIN by James Baldwin」など、ジェームズ・ボールドウィン関連の作品も発表しているヒルトン・アルスも参加。楽曲の冒頭でコメントを残している。
上記のように本作では、非常にポエトリーパートが多いのが特徴だ。(3)(16)のポエトリーはロバート・グラスパー(Robert Glasper)やタナ・アレクサ(Thana Alexa)などの作品にもフィーチャーされているジャマイカの詩人で活動家のステイシーアン・チン(Staceyann Chin)。(4)でも ジョシュ・ジョンソンの幻想的なサックスをバックにチンが警察制度について語るなど、本作でも一際存在感を示している。
一方でサウンドに目を向けると本作は大きく3つに大別される。一つ目は(6)「What Did I Do?」や(9)「Eyes」に顕著な抑圧された社会を表すかのような重く息苦しい楽曲群。二つ目は(7)「Pride Ⅰ」(8)「Pride Ⅱ」と続くアフロアメリカンを鼓舞するようなアフロビート。そして三つ目は(11)「Thus Sayeth The Lords」や(12)「Love」に代表される、救いを見出すようなメッセージ性あふれるドラマチックな楽曲群だ。
特に(11)は活動家の仲間でもあり、エッセンス誌で歴史的な対談でボールドウィンにジェンダーについて挑んだ作家、オードリー・ロード(Audre Lorde)に敬意を表した曲であり、(14)「Tsunami Rising」では上述のステイシーアン・チンが、自らを「闘士」と評したロードを意識してか、語気の強いリーディングを披露している。
アフリカンリズムのパーカッションから入り、ジャスティン・ヒックスの慈しみ深いボーカルが差し込まれる、ジェームズ・ボールドウィンの作品と同名の(15)「Another Country」を経て、迎える最終曲(17)「Down at the Cross」はンデゲオチェロが影響を受けた「次は火だ」の出版した時の題。一部ンデゲオチェロがボーカルをとる本曲で、本作は終わりを告げる。
感想としてはあまりにも重く、心がザワつく作品であり、正直、気軽にBGMとして聴くことのできる類のものではないことはお伝えしておきたい。
しかし、ジェームズ・ボールドウィンや当時同じく活動を共にしたマルコムX(Malcolm X)、マーティン・ルーサー・キング(Martin Luther King Jr.)、オードリー・ロードらの歴史的背景、今なお現実問題として現代に続くBlack Lives Matter、それらを看過せずに作品として残すことを選択したンデゲオチェロやステイシーアン・チン、ヒルトン・アルスなどの想いを知れば知るほど、本作の重要性に気づかされるはずだ。
音楽を超えた”読む音楽”
ミッシェル・ンデゲオチェロの作品世界の深みを知ることの出来る、素晴らしいアルバムであった。
プロフィール
ミシェル・ンデゲオチェロは1969年に米軍に所属していた父親(サックス奏者でもあった)の赴任先だったベルリンで生まれている。本名はメアリー・ジョンソン。ミシェル・ンデゲオチェロは、”鳥のように自由”という意味のスワヒリ語である。ミシェルは70年代の初めに家族と共にベルリンから米国のヴァージニア州に移り、それからワシントンD.C.で暮らすようになる。ワシントンD.C.では、地元のゴー・ゴー・ミュージック・シーンに加わり、クラブで演奏しながらベースの腕を磨いた。加えて、彼女は名門ハワード大学で音楽を学び、本格的にプロのミュージシャンを目指すようになった。ハワード大学は全米でもっとも有名な黒人大学で、ダニー・ハサウェイやロバータ・フラック、リロイ・ハトスンなども、この大学の出身者である。やがてンデゲオチェロは、ニューヨークに進出し、さまざまなバンドのオーディションを受ける。そのバンドの中には、リヴィング・カラーも含まれていて、一時はバンドに加入するという噂も流れた。しかし、ンデゲオチェロはソロ・アーティストとして活動する道を選択する。
単に優れたベーシストという枠にとどまらず、自分で曲を書き、歌も歌い、キーボードやギターなども演奏するし、自らアレンジ。すなわちシンガー・ソングライターにしてマルチ・インストゥルメンタリストであるミシェル・ンデゲオチェロは、一方でこれまで数多くのレコーディングやライヴのセッションに参加し、マドンナ、ローリング・ストーンズ、サンタナ、プリンス、チャカ・カーン、ジョン・メレンキャンプ、スクリッティ・ポリッティ、アラニス・モリセット、ジョー・ヘンリー、サラ・マクラクラン、ベースメント・ジャックス、ハービー・ハンコック、スティーヴ・コールマン、マーカス・ミラー、ハーヴィ・メイスンなど、多彩なアーティストと共演を重ねるなど、今なお活動の幅を広げている。 (Universal Music 公式アーティストプロフィールより抜粋)