スイス出身ピアニスト、マノン・ミュレナーの新作『Stories』
スイス出身、ニューヨークで活動するジャズピアニスト/作曲家マノン・ミュレナー(Manon Mullener)が、世界中で出会った人々の人生の物語にインスパイアされ制作した新譜『Stories』が素晴らしい。キューバ音楽に影響を受け、現代NYで演じられるヨーロピアン・ジャズといった独特の趣のある作品で、多様なアイディアの発現からこの若手音楽家の才能が確信できる秀でた作品となっている。
ピアノのマノン・ミュレナー以下、セクステット編成を基本としており、ドラムスに実兄のルシアン・ミュレナー(Lucien Mullener)、同郷スイス出身のサックス奏者サミュエル・ウルシェラー(Samuel Urscheler)、フランス出身のトロンボーン奏者ヴィクトール・ドゥカン(Victor Decamp)、キューバ出身の打楽器奏者エドガー・マルティネス・オチョア(Edgar Martínez Ochoa)、米国出身ベーシストのディーン・トーリー(Dean Torrey)というバンドで、アルバムではそれぞれ異なる人物の知られざる“物語”をドラマティックに音楽で表現している。
アルバムの幕開けとなる(2)「La Esquina del Buen Olor」(良い香りの角)は、キューバの95歳のゾイラが1950年代のハバナで夫と経営していた香水店を回想する物語に着想を得ている。キューバの伝統的なソンやダンソンといったリズムが感じられる温かみのある旋律とリズムが特徴的で、どこか異国の風の高揚感を感じさせるラテン・ジャズだ。
(3)「Départ」はジャズとしては珍しい、ブラジルの打楽器パンデイロの強烈なリズムが強い印象を残す。
(5)「Xchel」はメキシコのユカタン州で出会ったタクシー運転手の、マヤ文化への深い愛情を反映した曲だ。エキゾチックなリズムと情緒的なピアノが印象的です。
(7)「Nostalgia」は、旅先での出会いや別れから生まれた郷愁をテーマにした楽曲で、ラテンジャズの要素が繊細に織り込まれている。
アルバム後半には注目のゲストも参加
ラウ・ノア(Lau Noah)が作曲し、ギターと歌を担当する(10)「Dominique」は今作中唯一のマノン・ミュレナー以外の人物によって書かれた曲で、ラウ・ノアの個性が強く表れた楽曲となっている。ピアノとガットギター、歌、そして幻想的なコーラスによって構成された曲で、ラウ・ノアの名盤『A Dos』(2024年)に収録されていても不思議ではないほどの豊かな情緒を湛えている。
この「Dominique」にはこんな物語がある:
ある日マノンがNYのウエストビレッジを歩いていて見つけた古着屋の女性店主の名だという。混雑した店内にはたくさんの古着や帽子が並べられ、壁には1940年代の俳優の写真が飾られ、BGMにはジャズが流れていた。ドミニクは母親から店を継いだ2代目で、最近のアメリカに悲観し、昔の方が音楽も人も良かったとマノンに語った。しばらくおしゃべりをして、マノンが彼女に「これまでに経験したもっともクレイジーなこと」を尋ねたところ、ドミニクはこう答えた:ある日、男が店にやってきて、20ドルを渡してきた。なぜお金をくれるのかとドミニクが尋ねると、男は10年前に自分はこの店で盗みを働いてしまった、当時はお金がなかったからそうするしかなかった、だから今返済に来たのだと。その物語を聞いたマノンはドミニクに「今の人たちもそう悪くはないでしょ?」と言った。
(11)「Party」にはカナダのトランペット奏者レイチェル・テリエン(Rachel Therrien)が、そして(12)「Flor de Juventud」にはチリ出身のギタリストのカミラ・メサ(Camila Meza)がフィーチュアされている。
Manon Mullener 略歴
マノン・ミュレナーは1997年スイス・フリブール生まれのピアニスト。音楽一家に生まれ、4歳でフリブール音楽院でピアノを始めた。17歳のときにキューバを訪れ、現地のソンやダンソンといった音楽に深い感銘を受け、この経験が彼女の音楽的アイデンティティに大きな影響を与え、ラテンのリズムやグルーヴを自身のスタイルに取り入れるきっかけとなった。
スイスのベルン芸術大学でジャズと作曲を学ぶ。2019年にデビューアルバム『Reflejos』をリリースし、ジャズとラテン音楽の融合で注目を集める。2023年の『Insomnia』では内省的なスタイルを深化させ、2025年にはニューヨークで録音した『Stories』を発表。このアルバムではゲストアーティストと共に、世界各地の物語を音楽で表現し、情熱的なリズムと繊細な旋律で「新世代のジャズの才能」と評されている。
Manon Mullener – piano
Lucien Mullener – drums
Dean Torrey – bass
Victor Decamp – trombone
Samuel Urscheler – saxophone
Edgar Martínez Ochoa – percussion
Guests :
Lau Noah – guitar, vocal (10)
Rachel Therrien – trumpet (11)
Camila Meza – guitar (12)