ムガームジャズの継承者エルチン・シリノフ 新たな音楽世界への扉を開く名盤

Elchin Shirinov & András Dés - Maiden Tower

これぞ現代のムガーム・ジャズ!

ムガームジャズって何? と思った方は、まずはとにかくこのアルバム『Maiden Tower』を聴いてもらいたい。

アゼルバイジャンの首都バクー出身のジャズピアニスト、エルチン・シリノフ(Elchin Shirinov)と、ハンガリーの若手パーカッショニスト、アンドラーシュ・デーシュ(András Dés)の双頭名義の作品だが、(1)「Maiden Tower」を聴いていただければわかるように、異国情緒マジハンパない驚異の音楽が繰り広げられている。

この異様な音楽の正体こそが、ムガーム・ジャズだ。

12世紀に建てられたアゼルバイジャンの首都バクー旧市街にある世界遺産、メイデン・タワー(乙女の塔)。
アゼルバイジャン固有の文化はもとより、アラブ、イラン、ロシアなどの影響と文化が共存するバクー独自の景観の象徴であるこの歴史的建造物が、エルチン・シリノフのアルバム『Maiden Tower』のテーマでもある。

ムガーム(Muğam)とはアゼルバイジャンの伝統的な音楽で、最初にこのムガームをジャズに取り入れたのが早世の伝説的ピアニスト、ヴァギフ・ムスタファザデ(Vagif Mustafazadeh, 1940 – 1979)だった。

ヴァギフ・ムスタファザデの死後、彼の娘であるピアニスト/ヴォーカリストのアジザ・ムスタファ・ザデ(Aziza Mustafa Zadeh)にムガームジャズは受け継がれ、ヨーロッパを中心にアルバムを1500万枚売り上げる(wikipediaより)など成功したが、近年までこの親子以外にムガームジャズと呼ばれる音楽を演奏するミュージシャンはなかなか現れなかった。

ムガームジャズの復興

2010年代になると、ムスタファザデ親子の音楽に影響を受けたイスファール・サラブスキ(Isfar Sarabski)、シャヒン・ノヴラスリ(Shahin Novrasli)、エミール・アフラシヤブ(Emil Afrasiyab)といったアゼルバイジャン出身のピアニストが欧州を中心に活躍するようになり、徐々にではあるが再びムガーム・ジャズ隆盛の予感を漂わせている、というのが昨今の状況である。

そんなムガームジャズ(アゼルバイジャニ・ジャズとも)の中で、現在知名度で頭ひとつ抜きん出てきたのが、今回アルバムを紹介する1982年生まれのエルチン・シリノフだ。
2018年には現代ジャズ最高峰のベーシスト、イスラエル出身のアヴィシャイ・コーエン(Avishai Cohen)のトリオに大抜擢され、日本にも2回ほど来日。ブルーノート東京でも公演を行ない、多くのジャズファンにその存在を知らしめた。

アヴィシャイのトリオではまだまだ抑え気味なのか、世界的ベーシストのプレイに押され気味なのか、個人的には彼らしいプレイが堪能できない気がしているのだが、やはり自身のバンドとなると自由に開放的なプレイが聴ける点も嬉しい。

『Maiden Tower』はムガームジャズ新世代のマスターピースだ

そんな只今急成長中の要注目ピアニストであるエルチン・シリノフとともに、共作者としてクレジットされているのがハンガリー出身のパーカッショニスト/ドラマー、アンドラーシュ・デーシュ(András Dés)。自身のリーダー作『The Worst Singer in the World』などでは実験的なサウンドにも挑戦する、こちらも要注目の音楽家である。

今作でも彼の多彩なパーカッションやドラム演奏が、同じくハンガリー出身のギタリスト(エレキ、アコースティック)であるマールトン・フェニヴェシ(Marton Fenyvesi)が奏でる煌びやかな弦の音と共に楽曲に独特の彩りを与え、とても奥の深い至高のサウンドに大貢献している。

表題曲でもあり、アゼルバイジャンのバクーにあるユネスコ世界遺産「乙女の塔」を題材にした(1)「Maiden Tower」は、ムガーム独特の音階や、ヴァギフ・ムスタファザデにも特徴的だったピアノの高速トリルなどが印象深い11拍子のオリジナル曲。
(4)「Lucid」も11拍子であり、このアルバムに見られる独特のリズム感覚はムガームのみならず、ハンガリーの伝統音楽にも起因するものかもしれない。

他にも独特のスケールや変拍子が特徴的な音楽が展開されており、ムガームジャズの入り口として、そして今後の中東音楽の発展を占う一枚として、多くの音楽ファンにとって聴き逃すべきではない一枚である。

Elchin Shirinov & András Dés - Maiden Tower
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