豊かな叙情を湛えたピアニスト、アーロン・ディール新譜
米国オハイオ州コロンバス出身の作曲家/ピアニスト、アーロン・ディール(Aaron Diehl)の2020年新譜『The Vagabond』は、限りなく叙情的、詩的な美しさを湛えた逸品だ。クラシック音楽からの影響が彼の作曲や演奏スタイルに大きく寄与しており、ヨーロッパのジャズかと思わせるほど。
アルバムはピアノのアーロンほか、ベースのポール・シキヴィー(Paul Sikivie)、ドラムスのグレゴリー・ハッチンソン(Gregory Hutchinson)というピアノトリオ編成で全曲が録音されている。前半7曲がオリジナル、その後の4曲はカヴァーという構成。
どの曲・演奏も本当に素晴らしいのだけど、オリジナルでは(1)「Polaris」や(3)「Magnanimous Disguise」、(5)「The Vagabond」といった楽曲が彼の“柔と剛”のバランス感覚が垣間見え、お気に入りだ。個人的に、彼のピアノはイタリアの巨匠エンリコ・ピエラヌンツィ(Enrico Pieranunzi)が持つセンスを彷彿させる瞬間がいくつもある。
(8)「March from Ten Pieces for Piano, Op.12」はロシア/旧ソビエトを代表する作曲家セルゲイ・プロコフィエフ(Sergei Prokofiev)の小品だが、特徴的なテーマは最後の種明かしまで断片的にしか提示されないため、よほどのクラシック・ファンでないとプロコフィエフだと気付くことはないだろう。
(9)「A Story Often Told, Seldom Heard」はアーロン・ディール同様にクラシックで学んだ技術をジャズに持ち込んだ巨匠ローランド・ハナ(Roland Hanna)の楽曲。元々典雅な曲だが、ここでのアーロン・ディールの演奏はより美しい陰影を帯びる。
クラシック出身、ジャズの衝撃
アーロン・ディールは1985年生まれ。祖父はピアニスト兼トロンボーン奏者のアーサー・バスカービル(Arthur Baskerville)で、幼少時から祖父の演奏する音楽に強い興味を抱いていたという。
7歳から始めたクラシックピアノを始め、バッハやベートーベンの音楽に魅了された。
12歳の夏、クラシックピアノを学ぶために参加したミシガン州インターロッケン芸術アカデミー主催のサマーキャンプで、キルギス共和国出身の2歳年下の天才ジャズピアノ少年エルダー・ジャンギロフ(Eldar Djangirov)がオスカー・ピーターソンやアート・テイタムの曲を演奏する姿が彼に強烈な印象を与え、これが彼のその後の人生を大きく左右する出来事となった。
ジャズに傾倒した彼は17歳のとき、リンカーンセンターのエッセンシャル・エリントン・コンペティションでジャズのファイナリストとなり喝采を浴び、これをきっかけに巨匠トランペッター/音楽教育者のウィントン・マルサリス(Wynton Marsalis)のセプテットの一員として招待され、共にヨーロッパをツアーし、多くのことを学んだという。
その後ジュリアード音楽院に進学、多くのセッションやスタジオミュージシャンなどをこなし、2009年に初のリーダー作となるライヴ盤『Live at Caramoor』、2013年に初のスタジオアルバム『The Bespoke Man’s Narrative』をリリースしている。
ジャンルの間の“綱渡り”
アーロン・ディールはクラシックとジャズ、その両方を深く尊敬するピアニストだ。
作曲家の意図を汲み取り、その細部まで再現しようとするクラシック音楽。
作品をテーマとして扱い、自由に解釈して即興演奏するジャズ。
特に聴衆いおいては、しばしばこの両者の間には高い壁が存在していることも彼はよく知っている。クラシックとジャズの境界が曖昧なジョージ・ガーシュウィンの「Rhapsody In Blue」を演奏した時でさえ、聴衆から「それはガーシュウィンじゃない」という野次が飛んだことすらあるという。
伝統に固執せずに、作曲家への敬意を払うこと、それを拡大して解釈する自由を持つことはバランスが取れるはずというのが彼の信念であり、探究の道でもある。
Aaron Diehl – piano
Paul Sikivie – double bass
Gregory Hutchinson – drums