文化が集い、混ざり合う地・カーボベルデ
カーボベルデは西アフリカ・セネガルの西方約620kmの大西洋上に位置するバルラヴェント諸島とソタヴェント諸島を領土とする島国で、16世紀からヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカの交易の中継地として重要な役割を果たしてきた。
すべての島々を合わせても滋賀県(4,017㎢)ほどしかない陸地面積4,033㎢ほどの小国だが、文化の混交地点として他の国々にはない特異な特徴を持つ国でもある。
1975年までポルトガルの領地であったため公用語はポルトガル語となっているが、実際に多く話されている言葉は貿易の拠点らしくアフリカやヨーロッパ(特にポルトガル)の商人が話す単語が混ざりあったクレオール言語(カーボベルデ・クレオール語)がほとんどである。
カーボベルデでは言葉同様に音楽も混合した
カーボベルデは、音楽においても文化の混交地らしい特色を持っている。
ポルトガルや西アフリカ、ブラジルといった地域の文化が持ち込まれた結果、それぞれの文化が持つ音楽の特徴も混ざり合った独特の音楽文化が発展してきた。
彼の地の最も著名なミュージシャンといえば、“裸足のディーヴァ”こと女性歌手のセザリア・エヴォラ(Cesária Évora, 1941 – 2011)だろう。グラミー賞の受賞者とも知られている彼女は、その圧倒的な歌唱力でカーボベルデに根付く“モルナ”と呼ばれるアフリカ音楽やポルトガルのファド、南米音楽にも繋がる要素をもった音楽を歌い、同国の独自の音楽を世界中に知らしめた。
この国の音楽が話題にのぼる機会は残念ながらかなり少ないが、脈々と受け継がれてきたカーボベルデの音楽は勿論セザリア・エヴォラで終わっている訳ではない。マイラ・アンドラーデ(Mayra Andrade)、サラ・タヴァレス(Sara Tavares)、チェカ(Tcheka)といった歌手やシンガーソングライターは世界的にもその実力を知られている。
そして今回紹介したいのは、SSWのエリーダ・アルメイダ(Elida Almeida)。1993年、電気もなく必需品も満足に揃わないサンティアゴ島東部のペドラ・バデージョの貧しい家に生まれ、母親の行商を手伝いながら17歳の頃から教会で歌ってきた注目の作曲家/ギタリスト/歌手だ。2014年末にカーボベルデで、翌2015年5月には全世界でリリースされたデビュー作『Ora Doci Ora Margos』は日本でもボーナストラックを加えた国内盤も発売されるなど話題となった。
カーボベルデの歌姫、エリーダ・アルメイダ
そんなエリーダ・アルメイダの4枚目のアルバムとなる『Gerasonobu』(2020年)がリリースされた。
より洗練された印象の今作だが、根底にあるのはカーボベルデの音楽に特徴的な郷愁感(ソダーデ)、そして彼女の過酷な人生から滲み出る歌の深みだ。曲調は洗練されつつも親しみやすいが、決して軽さはない。この軸のブレなさも彼女の強さだ。まだ27歳。彼女の音楽からは瑞々しさとともに、既に成熟しきった完成度が感じられる。
冒頭の(1)「Bidibido」からして、ブラジルの伝統音楽や西アフリカの音楽にも通じるリズムや旋律が混ざり合った見事なクレオール音楽でとても良い。
(2)「Pagamentu Buru」は高音でコードとリズムを刻むカーボベルデらしさのあるカヴァキーニョ(スティール弦が張られたブラジルの4弦の楽器で、ポルトガルを起源とする)の音が実に気持ちいい。
(4)「Obrigadu Papa」は彼女が幼い頃に他界した最愛の父への感謝を歌う。
今作の中でも、もっとも深い情感を込めて歌うエリーダ・アルメイダの歌唱が胸を打つ。
エリーダ・アルメイダは、伝統とその進化を加速させる
アルバムタイトルの『Gerasonobu』は、カーボベルデ・クレオール語で“新世代”を意味する。
全編を通して打楽器成分多めのアコースティック・アンサンブルがサウンドの中心だ。エレクトリック・ギターやシンセサイザーも主役ではないが効果的に用いられており、文化の混交地としての伝統に根ざした“今のカーボベルデ”を印象付ける。
カーボベルデ以外の人々にとって、カーボベルデの伝統に根ざした音楽とはセザリア・エヴォラだ。だがエリーダ・アルメイダは、セザリアですら多くの人にとっての伝統音楽(=ずっと変わらず、昔からあるもの)そのものではないと言う。
常に国外からの風に晒され、絶え間なく変化し続けてきたこの大西洋の島国に育った彼女にとって、伝統の定義とは常にさまざまなものに影響され永続的に変化(進化)していくものなのだ。
アルバムを聴き進めると、彼女の作品が単に伝統音楽へのリスペクトに終始しないことに気付かされる。実験的にエレクトロ要素を強めてみたり(ex.(14)「Nha Bilida」)、猛るパーカッションに加えてシンセサイザーやエレクトリック・ギターをフィーチュアしたり(ex.(5)「Mundu Ka Bu Kaba」)、随所に革新を持ち込もうとする。その枝葉が今後生き残るのか、それともどこかで途絶えるかは誰にも分からない。しかし、多くの枝葉なくして進化はありえないのは生物の歴史を見れば一目瞭然である。
進化とは常にそういうものなのだ。