Ludereによるバーデン・パウエル未発表曲集『Baden Inédito』
ブラジルのカルテット、ルーデレ(Ludere)が2020年にリリースした『Baden Inédito』は、2000年に他界したブラジルの伝説的ギタリスト、バーデン・パウエル(Baden Powell)が書き残した未発表曲を集めたアルバムだ。
ギタリストのいないカルテットが、繊細なメロディーや選び抜かれたハーモニーといったバーデンの世界観はそのままに、見事なまでにモダンなサウンドに昇華させた。ルーデレのメンバーの一人は、バーデンの忘れ形見であるフィリップ・バーデン・パウエルだが、彼が弾く鍵盤のサウンドが前面に出ることはなく、それでいて、バックで聴かせるコードや短いソロフレーズの中で、しっかりとインパクトを与えている。(4)「Partido」や(8)「Baden Blues」のソロパートの流れるようなメロディラインは、いかにもバーデンのサウンドに囲まれて育ったフィリップらしい。
冒頭で心地よい女性ボーカルが流れたとたん、気分はリオに飛んでいきそうだ。暑い夏の昼下がりに、冷えたドリンクを飲みながら、あるいはまったりと過ごしたい夜に、繰り返し聴きたくなる、珠玉の一枚。
それにしても、バーデンの曲は、やっぱり素晴らしい・・・
と、彼自身も制作過程で実感したという、フィリップ・バーデン・パウエル。
偉大な音楽家の遺作を甦らせる冒険的な試みに至った背景や、制作秘話、父バーデンへの思いなどを、たっぷりと語ってくれた。
LUDERE :
ルビーニョ・アンチュネス(Rubinho Antunes)- トランペット/フリューゲルホルン
フィリップ・バーデン・パウエル(Philippe Baden Powell) – ピアノ/キーボード
ブルーノ・バルボーサ(Bruno Barbosa) – ベース
ダニエウ・ヂ・パウラ(Daniel de Paula) – ドラムス/パーカッション
Philippe Baden Powell インタビュー
── まずはLUDEREの結成について教えてください。
Philippe Baden Powell トランペットのロビーニョと、フランスで出会ったのが始まりだ。
生物学者である彼の妻がパリの大学で博士号をとることになり、一緒に滞在していたロビーニョと、共通の知り合いだったブラジル人ベーシストを通じて知り合った。
ロビーニョはサンパウロの出身。サンパウロはブラジル経済の中心地で、リオ以上に音楽シーンは発展している。素晴らしいミュージシャンが集まり、音楽学校も数多く存在していて、ボサノバだけでなく、ジャズとクラシックをかけあわせたフュージョンといった、いろいろなジャンルの音楽が発展している点でも、ブラジルの音楽の中心地と呼べる街だ。
そして初対面のときから、僕は彼が持つ音楽に対するエネルギーに圧倒された。
彼は僕が知る中でも最大級に「この世に不可能なことはない」と信じている人物だった。
とにかくモチベーションがすごくて、彼といるとこちらまでそのモチベーションに感化された。
彼は優秀なトランペット奏者であるだけでなく、作曲家であり指導者でもあったから、彼がフランスに来たことで、こちらで活動しているミュージシャンたちにとっては、新風が吹き込まれたような感じだった。
とくに僕自身には、衝撃的な出会いだった。
すぐに意気投合して、いろいろなプロジェクトで一緒に演奏するようになった。
彼がやっていた90年代音楽のバンドやデュオ、それからLudereの前身ともいえる5人編成のバンドなど、いろいろだ。
しかし3年間の滞在期間が終わると、彼はブラジルに帰ることになった。
彼のことは素晴らしい音楽パートナーだと思っていたから、ものすごく残念だった。
そうして、彼が去って2、3ヶ月くらいした頃、彼からメールを受け取った。
「一緒にバンドをやらないか?」
もちろん異論はなかった。彼のことはものすごく気の合うパートナーだと思っていたからね。
ただ、自分はフランスに住んでいるし、物理的に実現できるとは考えられなかった。
そうしたら彼は、例のポジティブ思考で、
「心配ないさ」と。
メンバーの一人になるベースのブルーノはプロデューサーでもあって、プロジェクトを立ち上げるための資金繰りなどにも長けているから大丈夫だと彼は言い、それにさっきも言ったように、ロビーニョは不可能なことなんてない、という人物だったから、その点でも絶大な信頼が置けた。
「それならぜひやろう!」
と返事をした2、3日後にさっそくブルーノから電話があって、ブラジルでパフォーミングアーツを披露する場を提供しているSESC(セスキ;ブラジル商業連盟社会サービス)の会場でコンサートができるという話だった。
そこからはWhatsAppで連絡をとりあって、自分で書いた音楽を送りあったりアイデアを交換しあったり。ものすごくワクワクする楽しいやりとりが始まった。
それからロビーニョが4人目のメンバー、ドラマーのダニエウを選んだ。
僕自身は彼のことは知らなかったけれど、ロビーニョは全員のことをよく知っていたから、一緒にプレーしたときにどうなるかを考えての選択だった。
彼の慧眼は正しくて、僕たち4人は音楽的にものすごく噛み合っているだけでなく、言い争いのようなこともまったくない。何かあったときはすぐに解決法が見つけられて、あらゆることに対して、お互いがお互いを尊重する・・・グループを組んだとき、こんな関係が育めるのは珍しいことだから、本当に幸せに感じているよ。
『Baden Inédito』の誕生
僕たちみんなで曲を書き始めて、オリジナル曲をメインにライブ演奏をするようになった。
その活動がしばらく続いたあと、
「何か特別なプロジェクトが欲しいな」
という話になった。オリジナル曲以外で何かできないか、と。
僕を含めたメンバー4人はみな父バーデン・パウエルの作品の大ファンだった。
これまでも、1、2曲、バーデンの曲を自分たち流にアレンジしたものをコンサートでやると、お客さんからものすごく反応が良かったのを実感していた。
2015年くらいからツアーを始めたLudere は、2017年に3枚目のアルバムを出し、2018年に初のヨーロッパツアー、そこから2年後の2020年は、父の没後20周年だった。だからそれを記念して何かやるのはどうかとブルーノに提案してみた。
ブルーノはすぐに「素晴らしいアイデアだ!」と賛同してくれた。
けれど、ただ単に没後20年のメモリアルにするのではなく、以前からロビーニョが探し始めていたバーデンの未発表曲をとりあげる、という特別なものにするのはどうかと重ねて提案した。
ただ、その上で僕としては、息子である自分がこのプロジェクトのリーダーにはなりたくない、という思いがあった。
みんなが参画して、みんなでアイデアを出し合ったものにしたいと。
それぞれが聴いたもの対して感じたビジョンや曲の解釈を生かして、ギター曲であるという原曲の枠にとらわれすぎずに、自分たちのグループに合った楽曲を選び、自分たちらしいアレンジを施そうと。
とはいえ、僕自身にとっては、これは相当なチャレンジだった。
息子だということで特別な期待をもたれることは当然あるし、バーデンは彼独特な奏法や表現法で人気を得ていたから、それと比べてどのようなものになるのか、という比較は免れない。
しかも僕たちはそれを、ギター奏者のいないカルテットでやろうとしている。
息子の僕が弾くのはギターではなくピアノだ。
このプロジェクトは、その意味でも、多くの人とってサプライズになることはわかっていた。
でも僕たちは、これはものすごく良い機会だ、と思った。それと同時に十分に用心しようとも話し合った。リスペクトやトリビュートの気持ちを忘れないこと、そして何より、父が遺したレガシーを汚すことのないように、と。
その上で、僕がバンドのメンバーに念押ししたことがある。
僕たちがコンサートでバーデンの曲を演奏したときに、観客からの反応が良かったのは、息子である僕がこのカルテットのメインパーソンだからじゃない、ということだ。
Ludereを見て、僕がバンドのメイン奏者だと感じる人は誰もいない。実際僕はサイドマンで、グループの一員にすぎないからね。
自分たちがこの考え方ややり方を貫く限り、きっと大丈夫だ、と。
それでバンドも覚悟が決まって、自信をもってこのプロジェクトを始めることができたんだ。
すべてはパンデミック下で行われた
去年の3月、僕たちのヨーロッパツアーが企画されていて、3月12日に最初のコンサートを終えたところで、16日からフランスはロックダウンに入った。
しばらく様子を見ていたが、結局すべてのコンサートは中止になった。
メンバーはブラジルに戻ったけれど、そこでブルーノが、
「今こそこのプロジェクトを進める時だ」
と提言した。
すでにそのための予算も組まれていたから、具体的にいつまでにこれをやる、といった具合に進めていく必要があった。
そこでまずは曲探しからスタートした。
父が遺した莫大な数のオリジナルスコアや、使っていたギターなど、すべてはずっと母が管理していたのだけれど、僕も弟もそれぞれの生活があって忙しく、管理しきれないということで、いまはリオにあるモデイラ・サレスという、写真と音楽を管理するインスティチュートに保管されているんだ。ピシンギーニャ(Pixinguinha)の作品もすべてそこにある。
音楽研究家のビア・パエス(Bia Paes Leme)が管理してくれている父のスコアはすべてデジタル化されているから、インスティチュートのウェブサイトから手に入れることができた。
ロビーニョがまずその全曲に目を通し、その中から使えそうなメロディーをピックアップして、僕に送って本当に未発表曲かどうかを確認した。
それから、これは、と思ったスコアは、トランペットでメロディーを弾いて送ってくれた。
ロビーニョはスコアに、僕たちが演奏した状態を想像しやすいようなアレンジを書き加えたものも合わせて送ってくれた。
それから、メンバー一人一人が1曲につき2バージョンずつアレンジを書いて持ち寄った。
それぞれアレンジに個性があるけれど、グルーヴ感、構成、ソロパートまで、それぞれがこのグループで演奏することをイメージして、想像力を駆使して書いた。
グループですでに何年か活動していたから、過去に一緒にプレーしたときの印象がイマジネーションの元になった。
それにそれぞれのミュージシャンの演奏スキルや表現力を考慮しながらアレンジを完成させていった。
それらをメールやWhatsAppで交換しあいながら煮詰めていった。
最終的に曲のアレンジの多くを担当したのはロビーニョで、僕はそれを聴いて、
「これはバーデンの世界観からちょっと離れすぎているから、この部分をもう少しこういう感じに・・」
といった具合に調整していった。
結果的に、このアルバムには未発表曲9曲を収録した。
ブラジルにいるブルーノとダニエウとロビーニョはプロ仕様のスタジオでレコーディングした。
そのとき、友人のギタリスト、チアゴ・カヘリ(Thiago Carreri)が、トランペットを吹くときのハーモニーをガイドする役目として演奏に参加してくれた。ドラムとベースだけではトランペットを合わせるのが難しいから、アコースティックギターでコードを弾いてもらったんだ。けれど、彼の演奏がものすごく良かったから、アルバムのところどころに彼のコンピングを残すことにした。
ピアノパートはすべて僕の自宅のスタジオと、講師をしているパリのビル・エヴァンス・ピアノアカデミーに置いている僕のピアノ(ヤマハのグランドピアノ)で録音したもの。だからすべてホームスタジオでのレコーディングだった。
そうして実際にアルバムが完成したあとで聴いたとき、僕は父のレガシーをものすごく強く感じた。オリジナルのメロディーやハーモニーはそこにしっかりと残されていたから。
僕らがやったのは、ピアノ、ドラム、ベース、トランペットのカルテット用にアレンジしたことで、さらにコンテンポラリーな要素も加えて、21世紀に合った作品になった。
全体的には、よりジャズやアフロアメリカンの要素が強いものになっている。
サンバもあれば、エレクトロニックなエフェクトを用いたものもある。僕も電子ピアノを弾いている。
これらは直接的には父が用いた表現方法ではないけれど、シンセサイザーやアフロアフリカンミュージックなどは彼もものすごく好きで、僕にも、「こういった音楽のエレメンツは素晴らしいから、おまえもよく聴いてチェックしておくように」とよく言っていた。
それに電子ピアノはすごく好きなんだ。とくに、コントラストを生み出せるところが気に入っている。
曲によってなぜ電子ピアノを選んだのか、ということは、口ではうまく説明がつけられないけれど、たとえばショーロの曲「Choro Para Estudo」では、ショーロはトラディショナルな形態だから、そこにトラディショナルでないピアノサウンドを合わせることでコントラストが生まれる。あの曲には電子ピアノがベストだったと感じているよ。コードもしっかりめにクリアに弾いてリズムも刻んでいるけれど、クラシックなピアノではないサウンドでそれをやることで良いアクセントになっている。
「音楽が求めているものを形にする」
曲をピックアップする過程で、いくつかのメロディーは、インストルメンタル用の楽曲ではなく、歌用だな、と感じた。
父はギターを極めた人だったから、楽器用のインストルメンタルの曲を書く才には長けていた。
でもそれだけでなく、歌詞がうまく乗るようなメロディーを書くのもうまかった。ソングライターであり作曲家であることは、彼が持つ両刀使いの才覚だったんだ。
そして歌が入っている2曲(Vai Caracao, A Lua Nao Me Deixa)については、ある日ブルーノが電話をかけてきた。
「自分たちはインストルメンタルのカルテットだが、この2曲は、実によく歌詞が乗りそうな気がするんだけど、どう思う?」
─音楽が求めているものを形にする─
というのは、自分たちが目指していることだった。
そのためには、ある種の「エゴ」を手放すことが大切で、自分たちは楽器弾きだからインストゥルメンタルにこだわりたい、というような思いは捨てて、音楽がもっと他の形も求めているなら、それを与えてやるべきだと僕たちは考えていた。
そこでニュージェネレーションのサンバ音楽のコンポーザーやプロデューサーの第一人者であるプリチーニョ(Pretinho da Serrinha)に声をかけた。
彼はまだ子供のとき、すでにサンバスクールのディレクターに任命されたという、ものすごい経歴の持ち主だ。10歳かそこらでカーニバルでミュージシャンたちを束ねていたんだよ!
彼とは何年も前に別のプロジェクトで一緒にやったことがあったから、彼に詞をつけてくれるようお願いした。サンバのスピリッツを体現するのにうってつけの人物だと思ったからね。
サンバ調の歌詞というのは、ものすごく雰囲気がある。
ヴィニシウス・ヂ・モラエス(Vinicius de Moraes)が綴るような、文学の香りがする詩的で洗練されたリリックスではないけれど、詩的さはあっても、そこにはストリートで生きる者の狡猾さのようなニュアンスや、リアルな生活観のようなものが映し出される。
そんな感じが欲しかった。
父バーデンの曲の多くはヴィニシウスが歌詞をつけているけれど、パウロ・セザール・ピニェイロ(Paulo Cesar Pinheiro)のものもある。彼はまさに、サンバのストリートワイズさを体現していて、なにより父のルーツこそが、そうしたサンバやショーロの世界だ。
だから、ぜひともプリチーニョに詩をつけて欲しいと思った。
それから2人のシンガーを招いた。
2人とも素晴らしいシンガーだ。
バーデンの曲の多くは、エリス・レジーナ(Elis Regina)やエリゼッチ・カルドーゾ(Elizeth Cardoso)、クララ・ヌネス(Clara Nunes)といったブラジルを代表する偉大なアーティストに歌われてきた。
なので、シンガーに関しては、この系譜を受け継ぎたかった。
ニュージェネレーションの歌い手から、今日のブラジル音楽シーンを代表する2人を招いた。
2人ともパワーとグルーヴ感がある歌声の持ち主だ。
バーデンのメロディーを歌う女性シンガーに求められたのは、「凛とした強さ」だったから、それを備えていること、それからプリチーニョが書いたサンバの世界観を体現できること。
彼が書いた「Vai Caracao」はヴァネッサ・モレーノ(Vanessa Moreno)にお願いした。
そして「A Lua Nao Me Deixa」はファビアーナ・コッツァ(Fabiana Cozza)に。
ファビアーナはとくにアフロブラジリアン音楽の作品を多く歌っているから、その経験は、バーデンの世界観を体現するのにうってつけだった。
「A Lua Nao Me Deixa」の詩を書いてくれたエデュアルド・ブレショー(Eduardo Brechó)は、サンパウロ出身の若いコンポーザーで、プリチーニョほどの知名度はないけれど、彼と同じアプローチでコンテンポラリーやヒップポップ、ファンキーなアフロブラジリアンスタイルなども手がけている気鋭の実力派だ。
彼とも別のプロジェクトで一緒にやったことがあったから、彼に曲を託した。
2人には何もオーダーせずにメロディーのインスピレーションから自由に書いてもらった。「A Lua Nao Me Deixa」(月は私を置き去りにしない)というタイトルをつけたのも彼で、歌詞の中のフレーズの一部なんだ。
アルバム収録曲のタイトルについては、「Choro Para Estudo」は、バーデンの書き残したスコアにすでにつけられていたもので、「Lamento Para Milton Banana」は、「Milton Banana」とだけあったから、そこに「Lamento」とつけ加えた。
バーデン・パウエルの未発表曲について
── バーデンの未発表曲はまだありますか?
10年ほど前にやったアフロサンバジャズ・プロジェクトの中でも、6、7曲、バーデンの未発表曲をフィーチャーしていて、今回が9曲。
あと10曲くらいはあると思う。
バーデンが書き残しているもの自体はもっともっとたくさんあって、曲の形として完成しているものだけじゃなく、数小節だけのものとか、同じフレーズを繰り返しているもの、他の人が作った曲を書き起こしているオリジナルでない直筆スコアも残っているんだ。
曲として完成しているものの中でも、すごく短かったりして、レコーディング曲として採用できるものばかりじゃなかった。
だから、今回のプロジェクトも最初はリサーチからとりかかった、という感じで、その中から、曲として完成しているものを最終的に選んだ。
でもまだいくつかは未発表曲があるはずだ。
「父バーデンの存在をそこに感じた」
── このプロジェクトを進める中で特別な思いはありましたか?
このプロジェクトの作業をしている間、なんともいえない感情がこみあげてきた。
それは父の存在をそこに感じたから。
とくに曲を探すのにリサーチしていたときは、とても信じられないようなメロディーを発見したりして、息子として感じるよりも前に、ミュージシャンとして、その楽曲の素晴らしさに対して、敬服する思いがこみあげてきた。
それから息子としては、自分の中に小さい頃から蓄積されたサウンドの根源のようなものを呼び起こされた気になった。
まるで彼がそこにいて、ギターを弾いて聴かせてくれているような…。
それらの曲の数々は、まさにバーデンらしいものだったから。
聴いた瞬間すぐに、「ああ、彼だ」とわかるような。
だからこの作業をしている時は、ものすごく強い感情、それも、幸せな感情に包まれた。
このような素晴らしい名作を埋もれさせておくなんてできない。
彼はこの世に存在していないけれど、ここに、彼の音楽として存在しているんだ、と思った。
だから一曲一曲を聴いて、これらの曲がバーデンにつながっているのをイメージしたとき、心から幸せで、エネルギーが湧き上がってくるような感じがした。
「ああ、まさに僕の父さんだ!」
と。
曲を聴いてそれを実感できたとき、父の存在が、そこにあるかのように思えた。
とても素敵なフィーリングだったよ。
そしてそれを、ブルーノ、ダニエウ、ファビーニョと一緒に共有できることもうれしかった。
僕は、バーデンの生物学的な息子だけれど、これらの遺作を蘇らせた僕ら4人は全員、バーデンの音楽的な息子になった。だから彼らは僕にとって音楽的な兄弟だ。
弟のマルセルともそう話したんだ。僕らは生物学的なバーデンの息子だけれど、彼らはバーデンの音楽的息子だって。
だから、彼らとこのプロジェクトができたことが本当にうれしいんだ。
この作品をともに作り上げたことで、自分たちの音楽的なブラザーフッドに太鼓判を押せた。お互いの強い絆をあらためて確認できた。
「僕たちのやり方で、新しいバーデン・パウエルを形にした」
実は、アルバムが出たあと、僕は少し不安だったんだ。
人々がどんな反応をするだろうか、ってことがね。
いつもはそんな心配はまったくしない。
自分が満足いくものを作れたら、きっとみんなも気に入ってくれるだろうと思える。
でも今回だけは別で、父の未発表曲を発表しただけでなく、それを再構築した形になったから。
白状すると、怖かった。
みんなどう受け取るかと。
とくにプレスはどう反応するか。
でも実際にインタビューや取材を受けたら、みんなに同じことを言われたよ。
「これは嬉しい驚きだった」
とね。
「これはバーデンそのものじゃないけれど、でもバーデンの面影はある」、と。
これまで多くのトリビュートを聴いてきた。
たとえばジョビンの家族は、ジョビンの曲のトリビュートを出している。
ジョビンが弾いていたようなスタイルで彼の音楽を再現しているのだけれど、でも実際そこにジョビンはいないから、何かが欠けている寂しさのような思いをどうしても抱いてしまう。
僕は、これだけは避けたいと思っていた。
だから、父が弾いていたようなスタイルでトリビュートはやらないでおこうと前から決めていたんだ。
ただ、その思いを聴衆が汲み取ってくれるかどうかはわからなかった。
でも、こちらも素晴らしいフィードバックが得られた。
ついでに言うと、弟と母親の反応を知るのもちょっと怖かった。
弟のスタイルは父に近いトラディショナルなスタイルだし、母親も父の音楽観に傾倒しているからね。
僕は家族の中の「黒い羊」なんだ(笑)
ギターは弾かないわ、ブラジルには住んでないわ…
でも母も弟もすごく気に入ってくれたから、本当にやってよかったと思えた。
そして父がよく言っていたことをあらためて思い出した。
「何かをやりたいと思ったとき、すでにあるものと違うようにやる場合に限り、それをやることが許されるのだ」と。
自分のやり方でやること。それをどうやるかを自分自身で考え出すこと。
すでに存在しているものから学んだら、あとは自分自身のやり方でやること。
聴衆にとっては、ギターが入っていないカルテットということで、バーデンらしさを感じない曲もあるかもしれないけれど、メロディーに集中すると、バーデンらしさを感じるはずだと思う。とくに初期の作品、カルテットアルバムや彼がヨーロッパでレコーディングしていた時代のアルバムの曲の感じに近いかな。
バーデンの曲自体、ひとつの枠にあてはまらない多様性があったから、その意味で「バーデンらしさ」というのを語るのは難しいかもしれないけれど、歌詞がついたものでもインストルメンタルでも、彼の曲のメロディーを聴き込んでいる人なら、バーデン独特の洗練された音作りをこれらの未発表曲の中に感じ取れるのではないかと思う。
彼はブラジルの伝統的なリズムを使っていて、僕たちはそうではないけれど、メロディーや構成、コードはバーデンを感じる部分だ。
僕が弾くピアノのコードは彼がよく弾いていたオープンストリングスのコードで、ソロのときにスペースを空ける演奏スタイルなんかも彼っぽい。
彼が生きていたら、このアルバムについてどんな感想をもつかはわからないし、彼自身が、これらの曲をどのように形にしていたかはわからないけれど、でもひとつだけ確実にわかっているのは、父はいつも、その先を見ていた、ということだ。
まったく新しいコードを見つけ出したり、新しい弾き方を考えたり。最新テクノロジーのようなものこそ使っていなかったけれど、いつもそれら新たな潮流の到来を楽しみにしていた。
そしてこのアルバムで僕たちが実現したことは、まさにそれを形にしたものだ。
この思いがあったから、思い切って、まったく別のスタイルでやることに踏み切れたのだと思う。
『Baden Inédito』ツアーについて
── パンデミックが終わったらツアーを?
もちろん!
いつパンデミックが終わるかわからないけれど、その期待は持ち続けているよ。
ヨーロッパツアーはキャンセルになってしまったけれど、プロモーターとはコンタクトをとりあっているから、別の日に再演になるかもしれないし。
終わり次第ツアーを再開するつもりだ。
それに次にリリースする作品の準備もすでに始めているんだ。
僕がフランスにいることで、このグループには常に「地理的な距離」という障害があるけれど、でもそれにうまく対応する手段を身につけて、実現したいものを形にしていきたいと思っている。
コンサートはその表現法のひとつで、実際これまでは年に2回はブラジルに行ってLudereの活動もしていたけれど、それ以外にも、いまのようなパンデミックの期間中でもプロジェクトを進めていける、ということは自分達の強さでもある。
グループ名の『LUDERE』はラテン語で、遊び心を意味する単語、Ludicの語源だ。
つまりは Play ということ。
楽器を演奏することも Play というよね。楽器を演奏して、そして楽しむ、という僕たちの姿そのものを表した言葉、それが Ludere なんだ。
LUDERE :
Rubinho Antunes – trumpet, flugelhorn
Philippe Baden Powell – piano, keyboards
Bruno Barbosa – electric & acoustic bass
Daniel de Paula – drums, percussion
Guests :
Thiago Carreri – guitar
Vanessa Moreno – vocal
Fabiana Cozza – vocal
Gabriel Grossi – harmonica