グローバル化の過渡期を象徴する金字塔的作品:文化的流浪の民・シュバ・サラン『Inglish』

Shubh Saran - Inglish

外交官の息子として異文化の中で育ったインド人ギタリスト、シュバ・サラン

NYを拠点に活動するインド人ギタリスト/作曲家、シュバ・サラン(Shubh Saran)の2枚目のフルアルバム『Inglish』(2021年)は、急速にグローバル化する社会の潮流とその中で起こる摩擦や対立、受容や融合といった複雑な糸玉同士のもつれを可視化したような驚異的な作品だ。

このアルバムを聴く上で、まずはインドの外交官の息子として生まれ育ったシュバ・サランの文化的な背景を知ることは欠かせない(予備知識としてそれがなくても、聴いているうちに自然とこの音楽を生んだ人間のバックグラウンドはきっと気になるはずだ)。

インドで生まれた彼はこれまでにエジプト、スイス、カナダなどを転々として育ち、それぞれの文化から影響を受けてきた。2010年にボストンのバークリー音楽大学で学ぶために渡米し、以降はNYを拠点として北米やアジアなど各地でライヴを行っている。彼の複雑な音楽にはそうした文化的な多様性が強く反映されており豊かな音楽性を感じさせる一方で、それと同時にインド英語を始めとする自身のアイデンティティを実直に表現したアルバムタイトル“Inglish”に表れているように感情のコンプレックスも見え隠れする。

驚異的な魂のミクスチャー音楽

シュバ・サランの音楽はジャズ、ロック、ネオソウル、インド音楽、中東音楽などのミクスチャーと言ってしまえば簡単だが、それは決して表面的な軽いものではない。彼の音楽はいわゆる“伝統音楽”ではないが、前述のように異なる文化に肌で触れてきた経験があるからこその説得力があり、もうそれはほとんど魔法のようにさえ感じられる。

(1)「Enculture」のような変拍子は表面上は統率が取れているようだが実際は予測不可能で問題の尽きない人間の集団の営みを体現する。予測できず絶え間なく変化する音はまさに現代社会そのものだし、さらに彼の音楽が凄いのはそうした時間の流れに伴う変化だけではなく、人々が地域を移動することによって生まれる渦のような動きも表現されている点にある。
過去のある瞬間を切り取って残す写真や、ひとつの時間の中に留まり静止する絵画と違い、音楽は時間芸術だ。時代の変化と地点の変化という二つの軸を自在に行き交うシュバ・サランは、誇張なしに究極的な音楽の表現者であると思う。

(1)「Enculture」

サウンド面ではやはりツインドラム体制がもたらす効果が大きい。ジョシュア・ベイリーJoshua Bailey)、アンジェロ・スパンピナートAngelo Spampinato)の二人がドラムスを担当し、狂喜乱舞のパーカッシヴなグルーヴを生み出す。
上物には中国系鍵盤奏者クリスチャン・リChristian Li)による空間を演出するシンセパッドが効いている。
(3)「Postradition」ではラシカ・シェカールRasika Shekhar)が吹くインドの竹製の横笛バンスリの音も聴こえる。

複雑なコンポジションも、圧倒的なアンサンブルも最高に魅力的だ。誤解を恐れずに言えば、パット・メセニーとティグラン・ハマシアンががっつりと協働したようなサウンド、と言えば分かりやすいかもしれない。だが、実際のシュバ・サランの音楽はその想像を遥かに超えている。

(2)「Intra」は現代的なインディアン・ジャズミクスチャー

文化的流浪の民の金字塔的大傑作

シュバ・サランは2017年に『Hmayra』でデビューしている。
2019年後半にEP『Becoming』をリリースし米国とインドでツアーを行い米国に帰国直後にパンデミックによるロックダウンに直面し、すぐに『Inglish』の制作に着手した。今作では初めてインドや中東の楽器を取り入れ、さらにモジュラーシンセサイザーの使用を拡大することで新しい音楽の領域を切り開いている。

彼がこれまでに行った国々では数々の苦悩があったことは想像に難くないが、それでもルーツであるインド文化への深い敬愛をまったく失わずに持ち続けていることにグローバル化が進む社会の過渡期の象徴を感じた。
シュバ・サラン『Inglish』は、文化的流浪の民の金字塔的な大傑作だ。

EP『Becoming』収録の「Storm」ライヴ演奏動画

Shubh Saran – guitar, banjo, synthesizers
Joshua Bailey – drums
Angelo Spampinato – drums
Julia Adamy – bass
Adam Neely – bass
Christian Li – piano, keyboards, synthesizers
Jared Yee – tenor saxophone
Alex Silver – tenor saxophone
Gabi Rose – tenor saxophone
Brian Paultz – alto saxophone
Billy Duffy – trombone
Rasika Shekhar – bansuri
Sarthak Pahwa – percussion
Mt Aditya Srinivasan – tabla
Gilbert Mansour – percussion, Indian instruments

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