今年6月、レディオヘッドの革新的サウンドの中核を担うギタリスト、ジョニー・グリーンウッド(Jonny Greenwood)が、長年の友人でもあるイスラエルの音楽家ドゥドゥ・タッサ(Dudu Tassa)とともに、中東全域から歌手やミュージシャンを集め、中東全域から集められた古典的なラブソングのコレクションを録音したアルバム『Jarak Qaribak』を発表した。アルバムタイトルの意味は、「あなたの隣人はあなたの友達です(Your neighbour is your friend)」。各国から集められた歌手(パレスチナ人、シリア系レバノン人、エジプト人、ドバイ人、チュニジア人、イラク人、モロッコ人、UAE[アラブ首長国連邦]人)は、自分の出身国ではない国の歌を歌った。
⚫︎ツアーのキャンセル
リリースから5ヶ月後の11月、彼らはヨーロッパを回るツアーを行う予定だったが、ツアーはキャンセルされた。
キャンセルに際し、ジョニー・グリーンウッドとドゥドゥ・タッサは、以下のようにコメント出した。
「あなたの隣人はあなたの友達です」─ ジョニー・グリーンウッドとドゥドゥ・タッサがこのアルバムに込めた思い、架けようとした音楽的な架け橋は、10月に突如始まった武力紛争(2023年パレスチナ・イスラエル戦争)によって霧散してしまったのか… 本作『Jarak Qaribak』について、更に知りたい。
⚫︎ジョニーとドゥドゥの交友関係
ジョニー・グリーンウッドは、2000年代初頭にレディオヘッドとしてイスラエルを訪れた際に(レディオヘッドは1990年代前半からイスラエルでコンサートを行っている)、ドゥドゥ・タッサの音楽を初めて聴いた。ジョニーはドゥドゥの2009年のアルバム『Basof Mitraglim Le’Hakol』の録音に参加し、ドゥドゥは2017年のレディオヘッドのツアーでオープニングアクトを務めた。
ジョニーは、長年にわたりイスラエルに親近感を抱いていて、ジョニーはイスラエル出身の美術家であるシャロナ・カタン(Sharona Katan)と結婚している。
⚫︎録音
『Jarak Qaribak』は、Tel Aviv(テルアビブ|イスラエルの人口第2位の都市)と Oxfordshire(オックスフォードシャー|イングランド南東部の地域)を中心に、中東全域のスタジオで録音された。というのも、参加したほとんどのボーカリストは自国で録音したから。
ジョニーとドゥドゥは、楽器奏者たちと、テルアビブとオックスフォードシャーを行き来して、アルバムの制作を進めた。ミックスには、レディオヘッド関係の録音でも有名なイギリス出身のプロデューサー / エンジニアナイジェル・ゴッドリッチ(Nigel Godrich)を迎えている。
アルバムで取り上げたのは、中東各地に伝わる古典的なアラビア語のラブソング。ロマンスと失恋が中心となっており、必ずしも政治に焦点を当てていない。
ドゥドゥは言う。「私たちは、政治的な主張をしているようには思われたくなかったのですが、この地域で何かをするとすぐに政治的になってしまうことは理解しています。たとえそれが芸術的なものであってもです…実際には、芸術的な場合には、特にそうかもしれません」
東洋音楽のマイクロトーナルスケールと絡み合ったメロディーと、西洋の和音の調性の間にある差異は大きいはずだが、東洋の古典的ラブソングに電子音楽などの現代的な要素をスキルと感性でフィットさせた。しかし、その音楽的な橋渡しの困難さは、このプロジェクトが存在するために必要だった困難に比べると、かすんでしまうだろう。ドゥドゥは、これらのアーティストと一緒に仕事をするために、多数の努力が必要だったことを示唆している。
本作『Jarak Qaribak』は、歴史を背負った上で、音楽の豊かさで未来を描こうとした事例だった。中東全域から集められた古典的なラブソングを、中東各国の歌手が歌う。しかも、自国以外の国の歌を歌う。音楽の可能性の限界を再定義しようとする、開かれた試みであった。
しかしながら、ここまで読んで下さった人でも、このアルバムに対する思いは様々だろう。ただ、「世界で最も解決が難しい紛争」と言われるパレスチナ問題を中心とする中東の状況に対して、音楽で未来を描こうとした試みが、2023年にも確かにあった。「あなたの隣人はあなたの友達です」⎯⎯ このメッセージが、空虚に響くだけのだろうか。また、愛の歌を交換することはできないのだろうか。
Dudu Tassa プロフィール
デイヴィッド・”ドゥドゥ”・タッサ(1977年2月10日生まれ)は、ミズラヒ系ユダヤ人の血を引くイスラエルのロック・ミュージシャン。シンガー、ソングライター、レコード・プロデューサーである。イスラエルでソロ活動を成功させたほか、2011年からは Dudu Tassa & the Kuwaitis のリーダーとして、タッサの亡き祖父 Daoud と大叔父 Salih Al-Kuwaity が作詞・作曲したイラクとクウェートの古い曲を演奏している。
祖父 Daoud と大叔父 Salih Al-Kuwaityは、クウェート生まれで、イランとイラクの血統で、イスラエル国家が形成された後に、ミズラヒ(Mizrahi)と呼ばれるようになった中東と北アフリカのユダヤ人の流浪民だった。イラクでは、王侯の宮廷でバイオリンとウードを演奏し、アラブ世界の最高の歌手たちのために新しいスタンダードを作曲し、20世紀のイラクのクラシック音楽を再構築する存在だったDaoud と Salih Al-Kuwaity だが、1950年代初頭にイスラエルに移住した後、彼らの地位と収入は急落して、演奏場所が、コンサートホールからプライベートパーティーに落ちた。
イスラエル生まれながら、「中東」という視点で、本作のような作品を完成させることができるのには、彼の上記のような出自も関係するのだろう。
※アラビア語を話す人々が住む国々のことを「アラブ」と呼ぶ。アラビア半島全域とイラク、シリア、レバノン、パレスチナ、ヨルダン、そしてエジプト、スーダン、リビア、アルジェリア、チュニジア、モロッコ、モーリタニアが含まれている。隣接する国の中でトルコとイラン、さらにイスラエルとアフガニスタンは「アラブ」には含まず、「アラブ」にこれら4カ国を加えた地域の総称を「中東」と呼ぶ。
Jonny Greenwood プロフィール
レディオヘッドやザ・スマイルでの活動とともに、ソロ・アーティストとしても20年近くのキャリアを持つ。多くの映画スコアも手掛け、その中には「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」や「ザ・マスター」の映画スコアも含まれ、2度アカデミー賞にもノミネートされている。
本作以前に、ワールドミュージック/グローバルミュージックと括られる音楽に取り組んだ前例として、インドとイスラエルを拠点に活動する作曲家/ミュージシャン、シャイ・ベン・ツールとインドのミュージシャンたちと一緒に作り上げた2015年の『JUNUN』がある。