「これはビヨンセのアルバム」。カントリー・アルバムを発表したビヨンセが伝えたかったこと。

タイラ(Tyla)アリアナ・グランデ(Ariana Grande)と新旧のポップアイコンの新作ラッシュが続いた24年3月。
しかし最も衝撃的だったのはビヨンセ(Beyoncé)が発表した新作だろう。
タイトルは『Cowboy Carter』
その名の通り、カントリー・アルバムである。
本作でソロとしてリリースしている全8作のアルバム全てにおいて初登場1位を記録。
全米カントリー・アルバム・チャートでは黒人女性史上初の1位獲得という歴史的快挙も達成し、セールスも順調な本作に対し、ビヨンセはこう語っている。

「これはカントリー・アルバムではありません。これは”ビヨンセのアルバム”です」

ビヨンセのこの発言の意図とは。
そして本作で伝えたかったこととは。
27曲約80分にもおよぶ超大作を、楽曲の解説も合わせて紐解いていきたい。

ビヨンセの音楽、そしてカントリー・ミュージックに対する想い

ビヨンセの生まれはテキサス州ヒューストン。黒人の母と白人の父の間に生まれた彼女は、一般的に幼少期からゴスペル・ソウル・R&Bに親しんできたと言われているが、同時にカントリーミュージックに触れる環境であったとも言える。
実際に2016年作の『Lemonade』では、「Daddy Lessons」というカントリー・ソングを収録。テキサスや父への思いを歌った素晴らしい楽曲ではあるが、一方で保守的なカントリー・ミュージックファンからはSNSで様々な批判を受けたという。

かつて、彼女はアルバムのタイトルにもなっていた「Sasha Fierce」というオルター・エゴを持ち、音楽表現を行ってきた。音楽は彼女にとって自己表現であったとも言える。
そんな彼女にとって自由に自分の表現が出来ない、表現が制限されることが、どれだけ辛いことであったかは想像に難くない。

しかし、そこはやはりビヨンセであると言わざるを得ない。
そこで屈するわけではなく、改めてのチャレンジを選んだのだ。

2022年にリリースされた7作目『RENAISSANCE』のAct Ⅱと位置づけられた本作。
本来であれば、前作より前に出す予定だったようだが、5年以上の歳月をかけてじっくり作り込んだ事でより素晴らしい作品になったと自身も語っている。

冒頭の発言の真意、それはまさにカントリー・ミュージックをすることが目的なのではなく、一度閉ざされた自己表現を今まで以上の強い想いと覚悟で切り開く彼女自身の音楽を表現することであり、それがこのアルバムなのである。

自伝的内省がもたらす聴き手の感情移入

ここからは実際に曲を聴いていきたい。
本作の幕開けを静かに告げる(1)「AMERICAN REQUIEM」はクイーン(Queen)のような多重コーラスから始まる5分におよぶ大曲。タイパと言われて久しい昨今において、1曲目から5分の長尺はなかなか珍しく、本作の冒頭のメッセージ表明として、いかに彼女がこの曲を大事にしているかがわかる。
なお、共同作詞作曲とプロデュースを手掛けたのは2年前の第64回グラミー賞で最優秀アルバム賞を受賞したジョン・バティステ(Jon Batiste)ノー・I.D.(No I.D.)。特にNo.I.D.はHipHop畑のプロデューサーであり、意外な組み合わせだ。
続く(2)「BLACKBIIRD」は言わずと知れたビートルズ(The Beatles)のカバー。(1)と打って変わって優しく歌いあげるビヨンセの歌声が心地良い本曲は元々ポール・マッカートニー(Paul McCartney)が公民権運動を受けて書いた曲ではあるが、カントリー・ミュージックの世界からNoを突きつけられたビヨンセの置かれた状況は時代は違えど同じであり、彼女のメッセージを伝えるにふさわしいカバーであると言える。
(3)「16 CARRIAGES」はビヨンセの自伝的とも言える歌詞が印象的なカントリーソング。

It’s been umpteen summers
, and I’m not in my bed

On the back of the bus and a bunk with the band

Goin’so hard, gotta choose myself 

Undеrpaid and overwhelmed

もう何十年前の夏だろう。わたしはベッドにいない。

バスの荷台で、バンドと一緒の寝台で

厳しい日々に身を置いてきた。
無給でもいっぱいいっぱいでも。

16 CARRIAGESより

16歳からデスティニーズ・チャイルド(Destiny’s Child)として活動を始め、今なおスーパースターであり続ける苦悩を本曲では隠すことなくさらけ出している。

また、別のバースではこのようにも言っている。

It’s been thirty-eight summers
,and I’m not in my bed

On the back of the bus and a bunk with the band

Goin’so hard, Now I miss my kids 

Overworked and overwhelmed

38回目の夏、私はベッドにいない。

バスの荷台で、バンドと一緒の寝台で

厳しい日々の今は、子供たちが恋しい。
働き過ぎでいっぱいいっぱいだから

16 CARRIAGESより

少女だった頃から状況は変わらないが、今は子供たちが彼女を救ってくれている。
非常に救いのある歌詞であるとともに、続く(4)「PROTECTOR」の冒頭で次女のルミ・カーター(Rumi Carter) が可愛らしい声でこう告げる。

Mom,Can I hear the lullaby?

ママ、子守唄を聴かせて?

PROTECTORより

本作が壮大な大作でありながら、まったく長さを感じないのは、ビヨンセという物語にいつの間にか感情移入し、入り込んでしまうからなのだろう。

ビヨンセの自伝的とも言える(3)「16 CARRIAGES」

カントリー・ミュージックへのリスペクトと先入観の破壊

またこういったサプライズゲストは作品中、様々な形で散見される。
(6)「SMOKE HOUR ★ WILLIE NELSON」もその一つだ。タイトル通り、テキサス出身でカントリー界のレジェンド、ウィリー・ネルソン(Willie Nelson)が参加。レジェンドからの曲振りというお墨付きを受け、流れるのは本作からの先行シングル(7)「TEXAS HOLD ‘EM」だ。底抜けに明るい、本曲の力強さ・スター性はまさにビヨンセの真骨頂。ザ・カントリーソングでありながら、ジャンルに縛られることのない、まさにビヨンセの曲であると言える。
なお、本曲のプロデュースにはラファエル・サディーク(Raphael Saadiq)がクレジットされているのも見逃せない。
同様に(9)「DOLLY P」ではカントリー界のレジェンド、ドリー・パートン(Dolly Parton)がゲスト出演。直後に流れるのが同アーティストの(10)「JOLENE」というのもなかなか憎い演出だ。また、この曲のMVでは、夫であるジェイ-Z(Jay-Z)と共演。荒野を逃避行する2人はまさに映画『俺たちに明日はない』のボニー&クライドのようである。(なお、Jay-Zとビヨンセは約20年前にもその名の通り「’03 Bonnie & Clyde」を発表している)

ここまで、カントリー・ミュージックを軸にした楽曲できた本作は(12)「SPAGHETTII」で急展開を迎える。
まずはイントロでリンダ・マーテル(Linda Martell)が語る言葉を聴いていただきたい。

Genres are a funny little concept, aren’t they?

Yes, they are

In theory, they have a simple definition that’s easy to understand

But in practice, well, some may feel confined

ジャンルって少しおかしな考え方だと思わない?
だってそうじゃない。
確かに定義しちゃった方がわかりやすいかもしれないけど、実際それを窮屈に感じる人もいるはずだわ。

SPAGHETTIIより

上述のウィリー・ネルソンやドリー・パートンと同じレジェンド枠でありながら、核心を突いたこの言葉をイントロに置くあたり、今までとは役割の違う楽曲であることがありありとわかる。
これまでのレジェンド枠はいずれも”白人”カントリーアーティストであった。
これらの役割はいわゆる既存のカントリー業界への目配せではないだろうか。
レジェンドも巻き込みながら、正しくカントリーマターに沿うことで、カントリー・ミュージックに対して正しく向き合っていることを示すこと。
一方、黒人のアーティストとして初めてカントリー・ミュージックで商業的な成功を収めたリンダ・マーテルとこの言葉は、まさに既存のカントリー業界への意志表明である。
ジャンルに縛られるのではなく、「ビヨンセの音楽をやる」という意志表明。
当然、「ビヨンセの音楽」にはカントリーも含まれれば、HipHop、R&Bも含まれる。
突如挟まれるハードなHipHopナンバーは作品の中ではInterludeに近い位置づけなのだと思うが、本作を語る上では非常に重要な曲であることに間違いない。
なお、共演するラッパー・ShaboozeyもまたカントリーとHipHopをクロスオーバーするアーティスト。
(26)「SWEET★HOME★BUCKIN’」にも参加しており、彼もまた本作における重要な役割を果たしている。
そして、彼の本曲でのこのライン

Keep the code, break the rules
規範を守り、ルールを破る

SPAGHETTIIより

がまさにこのビヨンセの意思表明を体現していると言えるのではないだろうか。

本作の先行シングルとなった(7)「TEXAS HOLD ‘EM」

ブランド、曲、全てを巻き込む現代のスーパースター。

上述の通り、これ以降本作は徐々にビヨンセ色が強くなっていく。
(13)〜(18)はビヨンセなりのカントリー解釈ともいうべき珠玉のアコースティックサウンドが並ぶ。
アンニュイな歌い口が沁み渡る(13)「ALLIGATER TEARS」、ウィリー・ネルソンのIntroduceに続く、(15)「JUST FOR FUN」はXファクター出身のカントリー・シンガー、ウィリー・ジョーンズ(Willie Jones)と共演。29歳とは思えない渋みのある歌声を聴かせてくれる。
(16)「Ⅱ MOST WANTED」は今年のグラミーの最優秀レコード賞を受賞したマイリー・サイラス(Miley Cyrus)と、グラミーの最多受賞を誇るビヨンセの夢の共演。マイリーはカントリー・ミュージックの聖地とも呼ばれるテネシー州・ナッシュビル出身。彼女の父・ビリー・レイ・サイラス(Billy Ray Cyrus)もまたカントリー・シンガーであり、意外にも初共演となった本作のコラボはまさに必然だったのかもしれない。実際に2人が奏でるハーモニーは、既に来年のグラミーが楽しみになるほどの完成度。本作の一つの山場と言ってもいいのではないだろうか。
続く(17)「LEVII’S JEANS」ではポスト・マローンと共演。生まれはニューヨークだが、テキサスで育った彼もまた、カントリー・ミュージックからの影響を語っており、カントリー・フィーリングを持ったラッパーの一人だ。また、本曲のタイトルにジーンズブランド、リーバイス(Levi’s)が反応。本曲にちなみ、一時的にブランドロゴを「Levis」ではなく「Leviis」にし話題となっている。(なお、本作のタイトルで「I」を重ねた表現が多いのは、本作が前作『RENAISSANCE』に続くactⅡにあたるからと言われている)
そして、本章の最後に紹介したいのは(20)「YA YA」である。上述のリンダ・マーテルが再度登場し、「幅広いジャンルにまたがる、ユニークなリスニング体験」と語る本曲は、まさにカントリー・ミュージックの呪縛から逃れ、彼女自身の音楽へと昇華した完全なる「ビヨンセによるカントリー」。アップテンポなリズムと、ビーチ・ボーイズ(Beach Boys)の「Good Vibration」を引用するなど、「TEXAS HOLD ‘EM」同様、地域・年齢・性別問わず、周りの全ての人を巻き込むバイブスに包まれた、ジャンルで括るのが馬鹿らしくなるほどの力強い音楽がそこには存在している。

過去作を振り返っても屈指の名曲と言える(16)「Ⅱ MOST WANTED」

カントリーの新しい解釈とアメリカへの祈り

ここまでくると、もはやカントリー・ミュージックは一つの味付けでしかなくなる。
本作の中でもカントリー濃度の高い(21)「OH LOUISIANA」は30秒程度のInterlude的な扱いとなり、変わって前作『RENAISSANCE』で見せたハウス要素が顔を覗かせる。
(23)「RIVERDANCE」はまさに4つ打ちのダンスサウンド。続く(24)「Ⅱ HANDS Ⅱ HEAVEN」もまた然りだ。
トラップ調のR&B(25)「TYRANT」を経て、(26)「SWEET★HOME★BUCKIN’」で本作は大団円を迎える。
プロデュースするのはファレル・ウィリアムズ(Pharrel Williams)。音楽的説明は言うまでもないが、彼もまたブランド、ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)の24-25秋冬コレクションで”ラグジュアリー・ウェスタン”を打ち出したりと、カントリーの新しい解釈を進める一人だ。
そして最終曲。
締めくくりにふさわしい、慈しみ深い(27)「AMEN」で本作は終わりを告げる。
なお、最後に歌われるフレーズは冒頭の(1)「AMERICAN REQUIEM」と同じものである。
時代は繰り返す。再び同じようなことに心を痛めることもあるかもしれない。
その時にもまた同じように自分なりの表現を求め、闘い、新たな文化を作り出す、もしくは作り出される。
そういった意味が込められているのではないだろうか。

本作を締めくくる(27)「AMEN」。

誰もがビヨンセのように強くはないはずだ。
圧倒的に誰かによって作り出される文化の方が多いだろう。
この先、繰り返す未来で誰かによって作り出されるかもしれない文化は明るいものなのか、はたまた再び愚かな争いを繰り返すものなのか。
音楽だけではない人間が考えていくべき”何か”を、ビヨンセは本作を通して伝えてくれたような気がする。

これはカントリー・アルバムではなく、ビヨンセのアルバム。
ジャンルというものを一度忘れ、彼女の声の耳を傾けてみて欲しい。

プロフィール

1997年にデスティニーズ・チャイルドとしてデビューし、これまでにグループとして(ベスト盤含む)計5枚、ソロ・アーティストとしても数多くのアルバムをリリースし、その全トータル・セールス1億枚以上を誇る世界的スーパー・アーティスト。
2010年、第52回グラミー賞において、「最優秀楽曲賞」を含む6部門を獲得し、自身が第46回(2003年度)で樹立したタイ記録(5部門)を塗り替え、女性アーティスト史上最多新記録を樹立。
2011年、ソロ4作目の『4』はアメリカ、イギリスを始め、フランス、スペイン、スイス、アイルランドなど世界約10カ国で1位を獲得。
2015年に行われた第57回グラミー賞では更に3部門での受賞を果たして自らの記録を更新し、2016年に入ってからは毎年恒例の注目イベントとなっているスーパーボウルのハーフ・タイム・ショ―内でコールドプレイ、ブルーノ・マ―ズ、マーク・ロンソンらと共に圧巻のパフォーマンスを披露した。
2020年6月、故郷でもあるアメリカ・テキサス州で奴隷が1865年6月19日に完全に解放されたことから、<ジューンティーンス>(June Nineteenthの混成語)として祝われている6月19日に新曲「ブラック・パレード」をサプライズリリース。
2021年3月、第63回グラミー賞にて、最優秀R&Bパフォーマンス賞、最優秀ラップ・パフォーマンス賞、最優秀ラップソング賞、最優秀ミュージック・ビデオ賞の計4部門で受賞しこれでビヨンセのグラミー賞受賞数は28回となり、女性アーティストとして最多数受賞の新記録を樹立。
2022年7月29日、7枚目の最新アルバム『ルネッサンス』を発売 し、全米チャート1位を獲得。これにより、同チャートにおいて7作連続全米初登場1位という女性アーティスト最高記録を達成。
2023年には第65回グラミー賞にて32個目のグラミーを獲得し、史上最多受賞アーティストとなった。
(Sony Music公式プロフィールより抜粋・加筆)

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