フィリップ・レム・トリオ新譜『Echo The Sun』
オランダ出身のドラマー/作曲家フィリップ・レム(Philippe Lemm)の4枚目となるスタジオ・アルバム『Echo The Sun』。今作ではトリオにインド出身ピアニストのシャーリク・ハサン(Sharik Hasan)を新たに迎え、太陽の恵みによる光と温かさ、回復力をテーマとした音楽的探求を特徴とした素晴らしい現代ジャズを展開する。
収録曲はフィリップ・レムのオリジナルを中心とした9曲。表題曲(1)「Echo The Sun」はその曲名が象徴するように生命の活力の源である太陽の輝きをよく表しており、明るい曲調と、とりわけシャーリク・ハサンのシンセソロが非常に印象的だ。フィリップ・レムのドラムスはオーソドックスなリズムパターンだが、低音を淡々と支えるジェフ・コーク(Jeff Koch)のベースとともに力強く音楽を推進する。
歴史の歩みや時に流れに伴う人々の喪失や再生をメランコリックな情感で描く(2)「1855」も秀逸。12/8拍子の躍動感のあるリズムでトリオの演奏が見事に噛み合い、彼らの音楽的な完成度の高さを誇示する。
(3)「Kalino Le, Malino Le」はブルガリア民謡「Kalino, Malino」にインスパイアされたもので、ブルガリアの伝統音楽に特有の複雑な変拍子をさらに発展させつつ、独特の優れた郷愁感のある旋律が心に響く素晴らしい演奏となっている。
(5)(6)「After We Knew」は10分を超える今作のテーマの中核を担う楽曲。思索的なピアノのイントロに導かれ、テーマに則った内省的・知性的なアンサンブルが印象深い。近年の社会を席巻する反知性主義へのアンチテーゼのような響きを内包した演奏で、その長い演奏の最後もトニック1で終止しないため宙に浮いた印象を残し、人々が漠然と感じる未来への不安を象徴している。
今作の中でも最も異質な印象を受ける(7)「Brincando Com Theo」は、ブラジルのフルート奏者であり天才的な作曲家として知られるレア・フレイリ(Lea Freire)の代表曲の原曲に忠実なカヴァーだ。この独創的な美しさと魅力をもつ楽曲が取り上げられたことには驚いたが、フィリップ・レムは裏拍の強調やスネアドラムを細かく刻むブラジルらしい奏法を取り入れ、南米のアーティストたちの演奏にも引けを取らない見事な演奏を披露している。
シャーリク・ハサン作曲の(8)「Confluence」ではインド音楽の旋律や古典的なビバップの要素を取り入れ、彼らの音楽性の幅広さを示す。
今作はフィリップ・レム、シャーリク・ハサン、そしてジェフ・コークという音楽家たちの才能を世界に知らしめるには充分すぎるほどの出来栄えだ。自身の内面的な想いを作曲に反映し、卓越した演奏の中で表現した最高の音楽作品だ。
ラストの(9)「New Light」ではヴィブラフォン奏者のシモン・ムリエ(Simon Moullier)とアコーディオン奏者のベン・ローゼンブルーム(Ben Rosenblum)をフィーチュアしたクインテットで、起伏に富んだドラマティックな物語を表現している。
Philippe Lemm 略歴
フィリップ・レムは1985年オランダ・アムステルダム生まれ。16歳から音楽の道を歩み始め、19歳でアムステルダム音楽院に入学し、その2年目にはジャズトランペッターのサスキア・ラルー(Saskia Laroo)と国際ツアーを行うとともに、自身のグループ「Wazabe」を率いるなど早くから才能を発揮した。
2009年には自身のリーダーグループ「Philippe Lemm Group」を結成し、2枚のアルバムをリリースしヨーロッパで精力的にツアーを行う。2011年にはオランダで最も名誉ある奨学金の一つ、Huygens Scholarshipを受賞し、これを機にニューヨークに移住しマンハッタン音楽学校で学びを深めた。2013年に同校でジャズドラムの修士号を取得し、オランダ人ドラマーとして初めてこの学位を獲得した人物となった。
彼のキャリアにおけるメイン・プロジェクトであり、2025年現在も活動を続けるフィリップ・レム・トリオ(Philippe Lemm Trio)は2011年にニューヨークで結成された。初期メンバーはアンジェロ・ディ・ロレト(Angelo Di Loreto, p)、ジェフ・コーク(Jeff Koch, b)で、4枚目のアルバムである今作『Echo The Sun』でピアノがインド出身のシャーリク・ハサン(Sharik Hasan)に代わっている。
Philippe Lemm – drums
Sharik Hasan – piano, synthesizer
Jeff Koch – double bass
Guests :
Simon Moullier – vibraphone (9)
Ben Rosenblum – accordion (9)
- トニック(tonic)…そのキーの中心音を根音としたコード(和音)のこと。例えばハ長調(C major)であれば「C」のコードがトニックである。調性音楽は、一般的にトニックに帰結しようとする性質をもつ。 ↩︎