アラブ社会と西洋音楽の架け橋を担うウードの巨匠アヌアル・ブラヒム、ガザの悲劇に寄り添う新作

Anouar Brahem - After the Last Sky

ウード奏者アヌアル・ブラヒム新譜『After the Last Sky』

チュニジア出身のウード奏者/作曲家アヌアル・ブラヒム(Anouar Brahem)の新譜『After the Last Sky』がリリースされた。ECMの傑作のひとつと称賛された前作『Blue Maqams』以来、実に8年ぶりとなる新作で、彼にとって初めての試みとなるチェロを加えた最大4人の編成でアラブ音楽やジャズ、クラシックを自然に融合させた美しい室内楽を聴かせてくれる作品となっている。

アルバムのタイトルは、パレスチナを代表する詩人マフムード・ダルウィーシュ1(Mahmoud Darwish, 1941 – 2008)の詩の一節「最後の空の後、鳥たちはどこへ飛ぶのか?」に由来している。この詩は、パレスチナ系アメリカ人の文学者エドワード・サイード(Edward Said, 1935 – 2003)がパレスチナの亡命と記憶について考察した著書『After the Last Sky』(1986年)のタイトルとしても使われたもので、アヌアル・ブラヒムも今作の制作期間中で起こったパレスチナ、とりわけガザ地区での出来事を強く意識したものだ。楽曲のタイトルや雰囲気にもその影響が色濃く反映されているが、彼自身は「音楽、特に器楽は抽象的な言語であり、明確なメッセージを伝えるものではなく、聴く人の感情や感覚に訴えかけるもの」と述べており、具体的な政治的主張よりも感情的な共鳴を重視したもののようだ。

カルテットのメンバーには1998年作『Thimar』以来の盟友であるイギリス出身のベース奏者デイヴ・ホランド(Dave Holland)、前作『Blue Maqams』(2017年)で初共演したイギリス出身のピアニストのジャンゴ・ベイツ(Django Bates)、そして今回新たに加わったクラシックを軸にジャズやタンゴでも活躍するドイツ生まれのチェリストのアニャ・レヒナー(Anja Lechner)が名を連ねる。特にチェロの存在感はいくつかの曲で主導的で、これまでのアヌアル・ブラヒムの音楽のイメージに新鮮な1ページを加えている。

(2)「After the Last Sky」

前述したように、今作は中東の過酷な社会情勢が音楽観に強く影響を与えたものとなっている。
ピアノとチェロのみによる静かなストーリーテリングである(1)「Remembering Hind」は、ガザ地区に住んでおり、戦禍から逃れようと家族たちと車で避難する最中にイスラエル軍の戦車によって惨殺された5歳の少女ヒンド・ラジャブ2(Hind Rajab, 2018 – 2024)への追悼が込められている。

アルバムのタイトル曲である(2)「After the Last Sky」は、祈りを捧げるようなウードの音色から始まり、カルテットによる深い瞑想のようなアンサンブルへと繋がっていく。同名の著書を持つ前述の文学研究者エドワード・サイードは、著書『オリエンタリズム』(1978年)の中で「欧米ではパレスチナ人は政治的に存在しないとされており、アメリカのオリエンタリストには文化的にも政治的にもアラブに心から共感したものはいないし、共感があったとしても、リベラルなアメリカ人がユダヤ人のシオニズム に対して示す共感のような許容的な態度をとることはない」と記しているが、これがアラブ社会に育ちながら欧米の芸術文化の中に身を置くアヌアル・ブラヒムの感情を代弁しているようにも思える。

Anouar Brahem 略歴

アヌアル・ブラヒムは1957年にチュニジアの首都チュニスで生まれたウード奏者/作曲家。
幼少期から音楽に親しみ、10歳でチュニス国立音楽院に入学し、ウードの名手アリ・スリティに師事。伝統的なアラブ音楽を深く学び、15歳で地元のオーケストラに参加するなど早くから才能を発揮した。
彼の関心は伝統音楽に留まらず、映画音楽や演劇音楽の作曲にも広がり、1980年代にはチュニジア国内で100曲以上の作品を手掛ける。この時期、チュニジアの文化的アイデンティティを探求しつつ、西洋音楽の影響を取り入れる独自の道を模索し始めた。

国際的な注目を集めたのは、1991年にヨーロッパを代表するジャズ・レーベルであるドイツのECMレコードからリリースされた最初のアルバム『Barzakh』だ。同郷の打楽器奏者ラスド・ホスニ(Lassad Hosni)、ヴァイオリン奏者ベシン・セルミ(Bechir Selmi)を迎えて録音されたこの作品は、アラブ音楽と室内楽的な感性を融合させ、批評家から高い評価を受けた。以降はECMと長期的な関係を築き、『Conte de l’Incroyable Amour』(1992年)、『Madar』(1994年)など次々と傑作を発表。特に1998年の『Thimar』では、ジャズ界の巨匠デイヴ・ホランドとジョン・サーマン(John Surman)と共演し、ジャズとアラブ音楽の架け橋となった。

2000年代以降も創作意欲は衰えず、『Le Pas du Chat Noir』(2002年)ではピアノとアコーディオンを加えた繊細なアンサンブルを展開し、『The Astounding Eyes of Rita』(2009年)ではパレスチナの詩人マフムード・ダルウィーシュへのオマージュを込めた。2017年の『Blue Maqams』では再びホランドと共演し、ジャンゴ・ベイツを迎えて即興性を強調。そして2025年リリースの『After the Last Sky』では、チェロを含むカルテットでパレスチナの苦難に寄り添う深い感情を表現した。

アヌアル・ブラヒムはウードを単なる伝統楽器ではなく、現代社会における異なる文化での対話のための道具として操り、アラブ世界と西洋の間をつなぐ架け橋とし、国際的に広く支持されている。

Anouar Brahem – oud
Anja Lechner – cello
Django Bates – piano
Dave Holland – double bass

  1. マフムード・ダルウィーシュ(محمود درويش)…パレスチナを代表する詩人で、パレスチナの独立宣言の起草者。パレスチナ人をめぐる抑圧や不安、そして抵抗を託した彼の詩は多くの人に愛され、ヘブライ語、日本語を含む22の言語に翻訳された。アヌアル・ブラヒムは2009年のアルバム『The Astounding Eyes of Rita』でもマフムード・ダルウィーシュへのオマージュを込めている。 ↩︎
  2. ヒンド・ラジャブ(هند رجب)…パレスチナ・ガザ地区に住んでいた5歳のパレスチナ人少女。家族6人でガザ市のテル・アル・ハワ地区から車で逃げている途中、イスラエル軍による攻撃に遭った。イスラエル軍の戦車は彼女が乗った車を撃ち、彼女と従兄弟以外の全員を殺害。従兄弟は車の中から救助を求める電話をかけている最中に撃たれ殺害され、その後電話はヒンドが継ぎ、負傷しながらも救助隊と3時間電話を繋いでいた。二人の救助隊が現地に向かったが、音信不通となり、12日後にヒンドを含む6人と救助隊2人が遺体で発見された。ヒンドとその家族たちが乗った車には335発の銃弾の痕跡が認められた。この事件は、イスラエル軍による戦争犯罪の象徴的なものとして国際的な注目を浴びた。(参照:Wikipedia – Killing of Hind Rajab
    ↩︎
Anouar Brahem - After the Last Sky
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