ナディア・ラルチェルのソロ・デビュー作『Trinar(La flor)』
アルゼンチン北西部、カタマルカ州の自然に恵まれた小さな町アンダルガラ(Andalgalá)で生まれ育ったシンガーソングライターのナディア・ラルチェル(Nadia Larcher)は、彼女のソロデビュー・アルバム『Trinar(La flor)』で、祖母マリアの記憶、花や鳥や川といったアンダルガラの自然、そして大規模採掘1問題で揺れる地域の環境問題を、伝統的なフォルクローレと洗練されたジャズを融合した美しいサウンドに乗せて力強く表現している。
(1)「Trinar」は、彼女の母方の祖母マリアについての歌だ。マリアは山でヤギを育てながら生き、音楽を愛した女性で、歌を歌うことを「トリナール(trinar、鳥のさえずり)」と表現し、家族に伝えていた。マリアが生きた時代、この山奥では歌うことは喜びに満ちた奔放な女性の象徴とされ、好ましいものではなかったという。マリアはナディアら家族に“女性は決して諦めてはいけない”と常に言い聞かせていたが、再び歌うことなくこの世を去った。
歌詞では「マリア、歌って!あなたの声を風に届け、時間を超えて叫べ」と、祖母の声を解放する願いが込められている。
象徴的に引用されたアタウアルパ・ユパンキ(Atahualpa Yupanqui)による山岳地帯の住民の孤独を物語る曲(2)「La viajerita」を経て、(3)「Cariño」では、軽快なバイレシート2のリズムを基調に、愛情で結ばれた人々の温かな関係について歌う。ゲストでギタリスト/シンガーのフアン・キンテーロ(Juan Quintero)とチャランゴ奏者のミゲル・ビルカ(Miguel Vilca)も参加し、今作を代表する情緒豊かな楽曲となっている。
(4)「Caminantes」は社会環境問題という大義を掲げ、アルゼンチン国内の全く異なる地域で活動する2つの女性グループからインスピレーションを得ている。一方は先住民族マプチェ族の女性たちによる、良き暮らしのためのデモ行進。2021年に南部の森林火災を告発するために歩き出した彼女たちは、1ヶ月間歩き続け、嘆願書を持って議会に到着し、国の代表者に森林火災を止めるように訴えた。
もう一方はカタマルカ出身の女性ウォーカーたちで、彼女らは汚染から水を守り、資本家たちによる搾取に反対するため、象徴的にアコンキハ(カタマルカ州にある町)の丘を囲むことを決意した。
ここでは歌手ルナ・モンティ(Luna Monti)がゲスト参加し、ナディアいわく「私が伝えたかった力強さをすべて、彼女の声で表現してくれた」と語る叫びを響かせている。
(5)「Música hermana」はアルバム全編に参加するギタリストのペドロ・ロッシ(Pedro Rossi)と、ゲストでニコラス・イバルブル(Nicolás Ibarburu)が参加している。静かな曲調だが、そのテーマは「常に何かを生み出し続けなければならない重圧、自分の仕事を認めてもらうためにもっと努力しなければならないという重圧」についての歌だ。この現代社会の構造上の病について、彼女は「音楽が私に教えてくれたように、物事は謙虚に捉えるべきだ」と自らを諭すように歌いあげる。
アルバムのラストの2曲──(8)「Almar」、(9)「Por el agua de tu río」は、いずれも水について異なる視点で捉えたものだ。前者は彼女が北アメリカで夜の太平洋を目にしたときのインスピレーションを反映しており、ストリングスとピアノを中心に生きていることの実感について深く考察。後者はSSWアグスティン・プリオット(Agustín Priotto)に捧げられた曲で、アルゼンチンに豊かな恵みをもたらすパラナ川についての歌でもある。
ナディア・ラルチェルはアルバムの第二部として、2025年末に録音予定の『Trinar (El fruto)』の制作を予定している。この作品では、ラルチェルの音楽的探求がさらに深化し、第一部(今作)で提示されたテーマが「果実」として結実する予定だ。
Nadia Larcher 略歴
ナディア・ラルチェルは1986年にアルゼンチン北西部カタマルカ州アンダルガラに生まれた歌手/ギター奏者/作曲家。独学で音楽を学び、幼少期から家族や地域のフォルクローレに親しんだ。
2011年、伝統音楽ビダーラを探求するドキュメンタリー『El país de la Vidala』を共同監督。2013年にブエノスアイレスに移り、フォルクローレの音楽家ルイス・ビクトル・ヘンティリーニ(Luis Víctor Gentilini)の作品を再解釈するグループ「Proyecto Pato」を結成し、2016年と2019年にアルバムを発表。イグナシオ・ビダル(Ignacio Vidal)とのデュオ「Seraarrebol」では2017年に『Halo Bestia』をリリースし、ルイス・アルベルト・スピネッタ(Luis Alberto Spinetta)の影響を受けた実験的フォルクローレで注目を集めた。
アンサンブル「Don Olimpio」では2018年の『Dueño no Tengo』でガルデル賞にノミネート。2020年、ノエリア・レカルデ(Noelia Recalde)、ミカエラ・ビタ(Micaela Vita)と実験的トリオ「Triángula」を結成。2024年にアルバム『MUTÁNTICA』をリリースしている。また、アルゼンチンの交響楽団オルケスタ・スィン・フィン(Orquesta Sin Fin) との共演コンサートは、フアン・キンテーロ(Juan Quintero)との共演日との録音も交えて『Estaciones Sinfónicas 1』としてアルバム・リリースされた。
Nadia Larcher – vocal
Andrés Pilar – piano, vocal
Pedro Rossi – guitar, vocal
Fernando Silva – contrabass, fretless bass, vocal
Guests :
Mariano “Tiki” Cantero – drums, percussion (3, 4, 7, 8)
Miguel Vilca – charango (1, 3)
Santiago Segret – bandoneon (9), vocal (6)
Juan Pablo Di Leone – flute (1)
Nicolás Ibarburu – guitar (5)
Juan Quintero – vocal (3)
Luna Monti – vocal (4)
Ensamble SurdelSur – strings (8)
Ramiro Flores – saxophone (7)
Sergio Wagner – trumpet (7)
Juan Canosa – trombone (7)
- 大規模採掘…ナディア・ラルチェルの故郷アンダルガラは、メガマイニング(大規模採掘)プロジェクトに対する住民の強い反対運動で知られている。彼女もこの運動に共感し、過去の音楽作品で環境保護のメッセージを発信。地域では鉱業による水源汚染や生態系破壊への懸念が、住民たちのアイデンティティと結びついている。 ↩︎
- バイレシート(bailecito)…「小さな踊り」を意味するボリビア発祥の舞曲。先住民族の音楽とヨーロッパ由来の音楽が融合したリズムやメロディーが特徴で、19世紀半ばにボリビアからアルゼンチン北西部に伝わり、流行した。 ↩︎