自然派SSWトム・コーエン・ショシャン、様々な音楽的要素を高度に織り交ぜながら“日常”を感じさせる極上のソロデビュー作

Tom Cohen Shoshan - כאבי כמיהה

イスラエルのSSW/マルチ奏者 Tom Cohen Shoshan『渇望の痛み』

イスラエルのシンガーソングライター/マルチ奏者トム・コーエン・ショシャンTom Cohen Shoshan, ヘブライ語:תום כהן שושן)の新作『כאבי כמיהה』(日本語訳:『渇望の痛み』)が素晴らしい。ジャズ、クラシック、ブラジル音楽、プログレッシヴ・ロックといった様々なジャンルの音楽からの影響を感じさせる作編曲で、ピアノを中心に据え、適度なエレクトロニックも交えた洗練されたサウンドと、彼の自然体のヴォーカルが組み合わさって美しい音風景が繰り広げられる。

今作はこれまでアル・ハエツ(על העץ)というデュオ・ユニットで活動してきたトム・コーエン・ショシャンのソロデビュー作だ。ヨガ講師としての肩書きも持つなど、自然と共に生きることや精神的なウェルビーイングを重視する彼のライフスタイルが強く反映されており、複雑な社会や人間関係、孤独といったものから生じる”渇望の痛み”を深く感傷的な詩とともに綴っている。作詞作曲やヴォーカルだけでなくピアノやギター、トランペット、パーカッション、サウンドエフェクトなどほぼ全ての楽器をトム・コーエン・ショシャンが担っており、彼の多才さが発揮されているという意味でも興味深い。

アルバムの幕開けとなる(1)「מניפולציות」(マニピュレーション, 操作)は人間関係で無視することのできない“駆け引き”をテーマにした曲で、歌詞は感情の揺らぎを描いている。トム・コーエン・ショシャンは西洋クラシックの素養を感じさせる美しいピアノを中心に、感情豊かな歌を乗せる。3/4拍子の踊るようなイントロの直後、厳かな4/4拍子のリズムの上で展開されるメロディーの旋律もコード進行も繊細な美しさがあり、彼の音楽家/ストーリーテラーとしての稀有な才能を感じさせてくれる。

(1)「מניפולציות」

(3)「שירה」(詩)は詩や歌そのものをテーマに、創造性や表現の痛みを描く。リズム面ではトム・コーエン・ショシャンがこれまでに少なからず影響を受けたブラジル音楽の要素が表立ち、幾重にも重なる彼のコーラスや、トランペットを含めた多重録音がサウンドを華やかに彩る。

(5)「מתי תהיי איתי?」(いつ私と一緒にいてくれるの?)はイスラエルの伝統的なフォークの系譜に根差したアンニュイなメロディーラインやコード進行が印象的な楽曲。ジャズの要素も自然と加えられており、高度なハーモニーやトランペットが象徴する懐古的なサウンドもとても良い。

(5)「מתי תהיי איתי?」

キャッチーだがプログレッシヴな表現が際立つ5拍子の曲(6)「ענבל」(インバル)は、数曲でヴォーカリストとしてクレジットされている女性インバル・コーエン=オール(Inbal Cohen-Or)への個人的な表現だろうか。美しさと不穏さが共存する曲調が非常に印象的で、アルバムのテーマである愛や人間関係の痛みを巧みな表現力で描き出す。

この曲を含むアルバムのほぼ全編にわたって、ベーシストのガル・マエストロ(Gal Maestro)、ドラマーのダニエル・ドール(Daniel Dor)が演奏に参加。イスラエル・ジャズとの距離も近い。

(7)「סוף (כל מה שאמרת לי)」

(9)「חור」(穴)ではイントロとアウトロにムソルグスキーの「展覧会の絵」がモチーフとして引用されている。

イスラエルの政治は2025年11月現在も混迷を極めているが、ここにあるのは彼の国で日々を平和のうちに暮らしたいと願う一人の若者のある種の”現実逃避”とも言える日常だ。アルバム全編を覆うのは彼の音楽への尽きぬ愛情、複雑に相互作用する人間の感情や自然への感性豊かな洞察であり、それ以外の何物でもない。
だからこそ、これはイスラエルの充実したシンガーソングライターの系譜に連なる、新たな傑作と言える作品だろう。

Tom Cohen Shoshan – vocals, piano, keyboards, organ, synthesizers, guitar, trumpet, percussion, sound design, effects
Gal Maestro – double bass (except 3, 5)
Omri Porat – double bass (3, 5)
Daniel Dor – drums (except 3, 5)
Eitan Yehezkeli – drums (3, 5)
Tomer Einat – violin
Uri Ben Zvi – electric guitar (2)
Inbal Cohen-Or – vocal (2, 5, 6)

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