「結婚」という枠組みの中で翻弄された女性たちの声を暴く、マガリ・サーレの新作
カタルーニャのシンガーソングライター、マガリ・サーレ(Magalí Sare)の2026年新譜『DESCASADA, Vol. 1』は、単なる美しい楽曲のコレクションではない。これは、数世紀にわたり女性を縛り付けてきた「結婚」という制度、そしてそこからの解放を巡る、壮大な音楽的人類学の試みであり、アーティストとしての彼女にとって重要なマイルストーンでもある。
このアルバムの構想は、2023年に彼女がスロバキアをツアーした際のある体験に遡る。彼女はそこで、女性たちが歌う地元の古い伝統歌に出会った。それは、結婚式という祝祭の場で歌われるにもかかわらず、故郷や家族との永遠の別れを嘆き悲しむという、驚くほど悲劇的な歌だった。
結婚が必ずしも幸福の象徴ではなかった時代がある──。その気づきが、マガリ・サーレの探求心を刺激した。その後彼女は中世から近代に至るまでのヨーロッパ、ラテンアメリカ、そして故郷カタルーニャの伝承や文献を紐解き、「結婚」という枠組みの中で翻弄された女性たちの声を、現代の音楽として蘇らせることを決意した。
約3年間におよぶリサーチを経て完成した今作は、そのテーマに相応しい素晴らしい完成度を誇る。
アルバムにはマガリ・サーレの姉であるジュリア・セセ・ララ(Julia Sesé Lara)が指揮者を務めるブルックナー・バルセロナ合唱団(Cor Bruckner Barcelona)をはじめ、総勢90名近いミュージシャンが参加。前作『Esponja』で見せた繊細なジャズ・フォークの質感はそのままに、今作では古典的なバロック音楽やオペラ、そして現代的なアバンギャルド・ポップまでもが融合し、まるで映画を見ているかのようにドラマチックな展開が印象的だ。
未婚、離婚、児童婚、家父長制…「女性と結婚」をテーマに据えた作品
冒頭に収められた(1)「Anunci al diari」は、かつての新聞に実際に掲載されていたという結婚相手募集の広告にインスパイアされている。その広告主は29歳の女性で、”美しく、健康で、教養があり、家事もできる娘”。そして彼女が夫となる人物に求める条件は“タバコを吸わず、お酒を飲まず、私を殴らないこと”。合唱団を伴った歌唱はどこか滑稽で、かつ痛烈な響きを持って歌われるこの曲は、当時の女性たちにとって結婚がいかに生存に直結する“賭け”であったかを物語っている。
(6)「Mira la boca」はカタルーニャの詩人ジュゼファ・クンティジョー(Josefa Contijoch, 1940 – )の詩にインスパイアされたもの。タイトルは「口を見て」の意だが、歌詞の中には歴史的に女性が強いられてきた沈黙や、自由な発言を禁じられた状況のメタファーである“縫い合わされた口(la cosida boca)”といった表現が含まれており、これが音楽に落とし込まれることで女性たちが沈黙を破りついに歌い始める、という物語へと昇華される。
ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi, 1678 – 1741)のオペラ『バヤゼット』から引用された(12)「Sposa son disprezzata」のカヴァーは、アルバムの中核をなす一曲だ。クラシックの形式美を保ちつつ、マガリ・サーレはそこに現代的な解釈を加え、裏切られた妻の怒りと悲しみを普遍的な人間ドラマとして見事に描き出している。
(13)「Cravo roxo」(紫のカーネーション)はブラジルの音楽形式であるショーロが取り入れられている。ショーロは、その語源である“泣く(choro)”が表すように華やかさと悲しさが同居する音楽だ。カーネーションはイベリア半島から中南米にかけて、伝統的に結婚式や求愛を表すと同時に、カーネーション革命1に象徴されるように政治的メッセージも含む。ここではこれらの様式が合わさって、“一見すると華やか(結婚式の花)だが、その実態には悲嘆を含んでいる”というメッセージが読み取れる。
イギリスの伝説的なヴォーカル・グループ、キングズ・シンガーズ(The King’s Singers)が参加した(15)「The Secret Marriage」では、秘密の恋と結婚を巡る繊細なハーモニーが展開される。ここでは、制度としての結婚に抗い、自らの愛を貫こうとする人々の秘められた情熱が、透き通るような歌声で表現されている。
「Descasada」という言葉に込められた想い
アルバムタイトルの「DESCASADA(デスカサーダ)」には、重層的な意味が込められている。直訳すれば「未婚」や「独身」を指すが、マガリはこの言葉に“結婚という制度から自分を切り離した女性”、あるいは“自立した個としての女性”というポジティブな意味を再定義。とりわけアルバムの後半、特にラストにかけての展開は、過去の抑圧を嘆くだけではなく、そこから脱却し、自らの脚で立ち上がる力強さを感じさせる。彼女が歌うのは、過去の女性たちの物語であると同時に、現代を生きる私たちが直面している「役割」や「期待」からの解放でもある。
Magalí Sare 略歴
マガリ・サーレ(Magalí Sare, 本名:Magalí Sesé i Lara)は、1991年にスペイン・バルセロナに生まれたシンガーソングライター/マルチ器楽奏者。ジャズ、フォーク、クラシック、ポップスといった多様なジャンルの境界を自在に行き来する、現代音楽シーンにおいて最も独創的なアーティストの一人と目されている。バルセロナのリセウ高等音楽院でジャズとモダン・ミュージックを学び、その確かな技術に裏打ちされた変幻自在なヴォーカル・スタイルを確立した。
ア・カペラ・グループ「Quartet Mèlt」のメンバーとして、2015年にカタルーニャのTV番組「Oh Happy Day」で優勝したことで脚光を浴びる。その後、ソロ活動を本格化させると同時に、ギタリストのセバスティア・グリス(Sebastià Gris)やピアニストのマネル・フォルティア(Manel Fortià)らとのデュオ、あるいはジャズ界の巨匠ジュリア・カルボネル(Julià Carbonell)との共演など、多岐にわたるプロジェクトを成功させてきた。
2020年に発表したアルバム『A boy & a girl』では、クラシックの歌曲を電子音響やジャズの感性で再構築し、2022年の『Esponja』では、自身のアイデンティティや身体性をテーマにした実験的なポップスを展開した。彼女の作品に共通するのは、深い知的好奇心と、それを詩的かつ感情豊かな音楽へと昇華させる並外れた構成力だ。
最新作『DESCASADA, Vol. 1』(2026年)で彼女は、歴史的な「結婚」という制度をテーマに据え、90名規模の合唱団やオーケストラを動員した壮大なコンセプト・アルバムを作り上げた。マガリは、単なる歌手としての枠を超え、歴史文献のリサーチから作曲、編曲までを一手に担うクリエイターであり、その声は時に無垢に、時に鋭く社会を問い直す。言葉の響きを大切にする彼女の音楽は、母国語であるカタルーニャ語だけでなく、多言語を通じて世界中のリスナーに普遍的な感動と深い思考を促している。
- カーネーション革命…1974年4月25日にポルトガルで発生した、若手将兵による無血軍事クーデター。40年以上続いた「エスタド・ノヴォ」と呼ばれる独裁体制を打倒し、民主化を実現した歴史的出来事。市民が兵士の銃口にカーネーションを挿して祝福したことから名付けられた。 ↩︎