【特集】クラシックとアフリカのリズムから生まれた優雅で楽しいブラジル音楽「ショーロ」の系譜

ショーロのイメージ

ブラジルが誇る粋な音楽、ショーロ

ショーロ(Choro)とは、19世紀半ばにリオデジャネイロで成立したブラジルの音楽ジャンル。ポルトガル語で「泣く」を意味する「chorar」が語源と言われており、ブラジルに渡ったヨーロッパ人によって持ち込まれた西洋クラシック音楽と、奴隷として連れてこられた黒人たちのアフリカ由来のルンドゥ(lundu)と呼ばれる音楽が起源とされている。
即興演奏を重視した音楽としてはジャズよりも歴史が古く、また世界最古のポピュラーミュージックのひとつとも言われている。

現在ではギター、カヴァキーニョ、バンドリン、フルート、パンデイロといった楽器で演奏されることが多く、日本でもカフェや雑貨屋などおしゃれなお店のBGMとして定番となっており、「ショーロ 」という言葉を知らなくともきっと多くの人が聴いたことがある音楽ジャンルだ。

この記事では、そんなショーロの成り立ちに関わり、現在も愛される名曲を数多く残したブラジルの作曲家たちを生年順に紹介しようと思う。

シキーニャ・ゴンザーガ(Chiquinha Gonzaga

ショーロ最初期の最重要人物が、この女性作曲家/ピアニストのシキーニャ・ゴンザーガ(Chiquinha Gonzaga, 1847年10月17日 – 1935年2月28日)だ。
ショーロの最初のピアニストとしても知られている。

シキーニャ・ゴンザーガは軍人の父親とムラート(ヨーロッパ系とアフリカ系の混血)の母親のもとに生まれた。父親は彼女の生後、元帥となったほどの高官で、彼女には読み書き計算に加え、音楽、特にピアノを学ぶ機会が充分に与えられた。

16歳で8歳年上の海軍の役人と結婚するが、夫は彼女が音楽を追求しようとすることを認めない人物だった。結婚生活はうまく行かず3人目の子供を出産後に破綻するが、以降、立場上そのことを決して認めたくない父親からは死んだことにされ、その名前を口に出すことも許されなくなってしまう。

その後、当時は男性向けとされていた舞踏会やショーロの集まりに顔を出すようになり、そのピアノの実力が認められ、フルート奏者ジョアキン・カラード(Joaquim Callado)のバンドで初の女性奏者として活動を開始する。30歳の頃に初めて出版した「Atraente」は新聞の一面を飾るなど大人気となり、その後もヒット曲を連発し人気作曲家となった。

シキーニャ・ゴンザーガの代表曲として知られる「Gaúcho (O Corta-jaca)」。
この動画でピアノを演奏するエルクレス・ゴメスは古いショーロを軽やかなピアノで現代に鮮烈に蘇らせている。
シキーニャ・ゴンザーガの最初のヒット曲「Atraente」。
3姉妹ユニット、Choro das Tres の演奏。

シキーニャ・ゴンザーガの代表曲としては「Atraente」の他、「Gaúcho」「Água do Vintém」「Biónne」などが今も広く演奏されている。彼女が作曲した音楽はクラシックの室内楽に大きな影響を受けた軽やかな曲調のものが多く、優雅で古典的なショーロとして特にピアニストに好まれている。

52歳のときに16歳の男性と恋に落ち、公には彼を“養子”として家族として迎え入れ、1935年に88歳で亡くなるまで人生を共にした。

男性優位の社会の中で厳しい批判にも晒され続けてきたが、ブラジルにおける黒人奴隷制の廃止や先住民族出身者の差別撤廃に向け奮闘した他、共和主義運動にも加わるなど、当時の保守的な社会の中で奮闘した女性でもあった。

2012年5月、シキーニャ・ゴンザーガの誕生日である10月17日を「ブラジルのポピュラー音楽の記念日」と定める法律が制定されている。

エルネスト・ナザレー(Ernesto Nazareth)

“ブラジルのショパン”とも称され、ショーロの発展に大きな貢献をした作曲家/ピアニストがエルネスト・ナザレー (Ernesto Nazareth, 1863年3月20日 – 1934年2月4日)だ。

あまり豊かではないが、中産階級に生まれた彼は幼少期よりショパンを愛する母親からピアノの手解きを受け、モーツァルト、ベートーベン、ショパンなどを弾くようになった。14歳でポルカ「Voce Bem Sabe」を作曲し出版している。10代後半でショーロのサークルに入り、ショーロの曲を書くようになった。ナザレーはアカデミックな教育こそ受けなかったものの、それが逆に彼の朴訥な作風が愛される理由ともなっている。

エルネスト・ナザレーは長年、映画館「オデオン座」の待合室でピアニストとして働いている。彼の代表曲「Odeon」はこの映画館に因む。
他にも「Fon-Fon」「Famoso」「Ouro Sobre Azul」など気持ちが踊るような楽しい小品が彼の特長だ。

エルネスト・ナザレーの代表曲「Odeon」
ナザレーの代表曲のひとつ「Apanhei-te Cavaquinho」。
長調と短調を目まぐるしく行き来する展開が楽しい。

エルネスト・ナザレーは後にブラジルを代表する音楽家になるエイトル・ヴィラ=ロボス(Heitor Villa-Lobos)などにも大きな影響を与えたが、彼の晩年は決して幸せではなかった。

1917年にインフルエンザによって最愛の娘を亡くしてからは徐々に塞ぎ込むようになった。20代の頃より発症していた聴覚障害も悪化し彼を悩ませ続け、1929年に妻を亡くすとうつ病が悪化。1933年に精神病院に入院するも翌年に「家に帰る」と言い残したまま行方不明となり、後日森の中の滝の側で溺死体で発見された。

ゼキーニャ・ジ・アブレウ(Zequinha de Abreu)

ショーロでもっとも知られている曲「チコチコ(Tico Tico no Fuba)」は、おそらく多くの人が聴いたことがあるのではないだろうか。
「トウモロコシの粉の中の小鳥」という意味のこの可愛らしい曲の作者は、ゼキーニャ・ジ・アブレウ(Zequinha de Abreu, 1880年9月19日 – 1935年1月22日)という作曲家。

「チコチコ」は1943年のディズニー映画『ラテン・アメリカの旅』で使われたほか、1947年の映画『コパカバーナ』でブラジル人歌手カルメン・ミランダ(Carmen Miranda)が歌い世界的ヒット曲となった。今もなお、ショーロに止まらずオーケストラ、吹奏楽、ジャズといったあらゆるフォーマットで愛されている名曲だ。

ゼキーニャ・ジ・アブレウは「チコチコ」の他に「Branca」「Tardes de Lindóia」など生涯に120曲ほどを遺しているが、チコチコ以外の曲が演奏される機会は残念ながら少ない。

一台のギターをなぜか二人で演奏。曲は「チコチコ(Tico Tico no Fuba)」
ブラジル・バイーア州のオーケストラが壮大に演奏する「Tico Tico no Fuba」。
ショーロらしいアレンジを探すのが難しいほど、この曲は様々な解釈がなされ世界中で演奏されている。

ピシンギーニャ(Pixinguinha)

作曲家/フルート・サックス奏者のピシンギーニャ(Pixinguinha, 1897年4月23日 – 1973年2月17日)は、数々の名曲を遺し“ブラジル音楽の父”と呼ばれている。
“ブラジル第二の国歌”とまで呼ばれ愛されている「カリニョーゾ(Carinhoso)」や、1919年にコパ・アメリカ(サッカーの南米大会)でブラジル代表がウルグアイ代表を1対0で破った記念に作られた「Um a Zero」が特に有名。

ピシンギーニャは当初はフルート奏者であったが、1922年に行ったフランスでの演奏旅行でジャズに出会い、サックスに持ち替えている。ジャズは彼の作曲にも大きな影響を与え、前出のシキーニャ・ゴンザーガやエルネスト・ナザレーの作品が比較的素朴であったのに対し、ピシンギーニャは巧みな転調を用いるなど音楽的にもショーロを大きく発展させた。「Rosa」「Lamento」など官能的な美しさを持った曲も数多い。
1920年代後半から1930年代にかけてはオーケストラを率いて多くの録音を残している。

「Um a Zero」はショーロを代表する楽しい曲だ。
天才バンドリン奏者、ダニロ・ブリートの超絶テクも堪能できる動画。
“ブラジル第二の国歌”と呼ばれる「Carinhoso」。
ピシンギーニャはジャズの影響も受け、それまでにないショーロ音楽を数多く生み出した。
リオ五輪開会式でブラジル国歌を演奏したパウリーニョ・ダ・ヴィオラと、ブラジルを代表する歌手マリーザ・モンチによる極上の演奏をどうぞ。

ショーロをひとつの音楽ジャンルとして確立させたピシンギーニャは、その後のブラジルの作曲家たちに大きな影響を与えており、ボサノヴァの創始者のひとりである作曲家アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)も強く影響された。

ピシンギーニャの誕生日である4月23日はのちに「ショーロの日」として制定されている。

ジャコー・ド・バンドリン(Jacob do Bandolim)

公務員や保険外交員、薬屋の店員など様々な職業に就きながらショーロのバンドリン奏者として活躍したジャコー・ド・バンドリン(Jacob do Bandolim, 本名Jacob Pick Bittencourt, 1918年2月14日 – 1969年8月13日)も特筆すべきアーティストだ。

バンドリンとは、マンドリンに似た小さな4コース8弦の複弦楽器。煌びやかな音色が美しい、ショーロの花形楽器だ。その名手であったジャコーは、“バンドリンのジャコー(=ジャコー・ド・バンドリン)”と呼ばれ尊敬された。

彼が作曲した「Noites Cariocas(カリオカの夜)」は映画『コパカバーナ』でカルメン・ミランダによって歌われ、歴史的な名曲となった。

ジャコー・ド・バンドリンはまた、現在も活動を続けるショーロの名門グループ、エポカ・ジ・オウロ(Epoca de Ouro)の創立者でもある。

ショーロらしい名曲「Noites Cariocas(カリオカの夜)」。
哀愁の旋律が美しい「Vibrações(ヴァイブレーション)」も魅力的なショーロの楽曲のひとつ。

ヴァルジール・アゼヴェード(Waldir Azevedo)

ヴァルジール・アゼヴェード(Waldir Azevedo, 1923年1月27日 – 1980年9月20日)は今ではショーロに欠かせない4弦楽器カヴァキーニョ(Cavaquinho)の奏者としてショーロの確立に大きな影響を与えた音楽家。

ヴァルジール・アゼヴェードはそれまで伴奏楽器として認知されていたカヴァキーニョを、バンドリンに並ぶソロ楽器にまで引き上げた。
彼が作曲した「ブラジレイリーニョ(Brasileirinho)」は時に超高速で演奏され、カヴァキーニョ奏者がその腕を知らしめるための曲として浸透している。

長いキャリアを誇る女性4人組のショーロユニット、Choronasによる「Brasileirinho」の演奏。

ヴァルジール・アゼヴェードはほかに「Pedacinhos do Céu」「Chiquita」、「Vê Se Gostas」といった名曲を遺している。

ゼキーニャ・アブレウの代表曲「Pedacinhos do Céu」

ショーロを知るためのおすすめ作品

ショーロは古い音楽だが、今もなお愛され続け、多くのミュージシャンによって演奏され続けている。
近年録音された音源を中心に、いくつかのショーロのおすすめ作品をここに紹介したい。


エポカ・ジ・オウロ(Conjunto Epoca De Ouro)は1964年にジャコー・ド・バンドリンによって創立された歴史のあるショーロバンド。ジャコーが1969年に亡くなって以降もメンバーの入れ替えを繰り返しながら活動を続け、2019年には最新作『De Pai Pra Filho』をリリースしている。
彼らが様々なゲストミュージシャンを迎え2001年にリリースした『Cafe Brasil』は近年のショーロの大名盤。この記事で取り上げたような作曲家による名曲も多く収録されている。これを聴けば誰もがショーロの虜になる…はず!!


ショーロ黎明期に活躍した女性作曲家シキーニャ・ゴンザーガの楽曲を知るなら、新鋭ピアニスト、エルクレス・ゴメス(Hercules Gomes)によるシキーニャ・ゴンザーガ曲集『No Tempo da Chiquinha』がおすすめ。
エルクレス・ゴメスはサンパウロ出身の若手ピアニストだが、テクニックでも表現力でも、ショーロのピアニストとして右に出るものはいない天才だ。


ショーロ・ダス・トレス(Choro das 3)は、長女コリーナ(フルート)、次女リア(7弦ギター)、三女エリーザ(バンドリン、クラリネット)の3姉妹によるバンド。実際にはこの三人に加え、父親であるエドゥアルド・フェレイラ(Eduardo Ferreira, パンデイロ)が中心メンバーとなっている。
美人三姉妹というビジュアルの良さもありながら、特に幼少期から天才と呼ばれた三女エリーザのバンドリンの素晴らしさもあり、デビュー当時は大いに話題となった。2015年作『Meu Brasil Brasileiro』がおすすめ。


ブラジルを代表するピアニスト、アンドレ・メマーリ(Andre Mehmari)によるエルネスト・ナザレー曲集『Ouro Sobre Azul – Ernesto Nazareth』はナザレーの名曲の数々をジャズ風に解釈した傑作。


19世紀半ばに成立したショーロ。時を同じくして発明されたレコードの歴史にも大作曲家たちの偉大な演奏が刻まれている。
ここに紹介するアルバム『Choro 1906-1947 Anthology』は、そのタイトルが示す通り1906年から1947年にかけて録音されたピシンギーニャ、ジョアン・ペルナンブーコ、ベネジート・ラセルダ、そしてジャコー・ド・バンドリンといった伝説的ミュージシャンの演奏を聴ける貴重な記録だ。

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