世界の不条理の中で、音楽に祈りを込める“現代最高の歌手”ガナーヴィヤの新譜『Nilam(土地)』

Ganavya - Nilam

奇跡の歌手ガナーヴィヤ、“土地”にまつわる想いを伝える新作

米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(The Wall Street Journal)は彼女を“現代音楽界で最も魅力的な歌手の一人”と評価したが、私もそれに全面的に賛成だ。

前作『Daughter of a Temple』(2024年)が英紙ガーディアン(The Guardian)によって「2024年トップ10ベスト・グローバル・アルバム」に選出され、ジャイルス・ピーターソン(Gilles Peterson)の「BBC Radio 6 Music 年間最優秀アルバム」にも選ばれたシンガーソングライター/マルチ奏者ガナーヴィヤ(Ganavya)が、新作『Nilam』をリリースした。“スピリチュアル”という形容が相応しい控え目な楽器群の音と、それに溶けるようなおおよそ私達と同じ人間の歌唱とは信じがたい声によって、この若いアーティストがどれほど奇跡的な音楽家であるかを思い知らせるような作品と言って過言ではないだろう。

アルバムのオープニング・トラック(1)「Land」はパレスチナ難民の子である詩人スヘイル・ハマド(Suheir Hammad)1の詩にインスパイアされた曲。愛を“忍耐強く祈りに満ちたもの”と捉えた彼女の詩は、今作の軸となる「前進し続けるために必要なことをする」というテーマを反映している。ちなみにアルバムのタイトルである「Nilam」も、タミル語で「土地」を表す単語のようだ。

南インドのアイデンティティを強く反映し、2分31秒と短いながらも本作で最も印象的な作品である(4)「Sinathavar Mudikkum」

(4)「Sinathavar Mudikkum」

(5)「Nine Jeweled Prayer」にはゲストとしてガナーヴィヤの両親、ガネサン・ドライスワミー(Ganesan Doraiswamy)とヴィディヤ・ドライスワミー(Vidya Doraiswamy)が参加し、家族の絆や伝統を強調する。

(6)「Pasayadan」

偉大な音楽家であった亡き祖母による「たとえ混沌としているように見えても、愛と喜びを讃えなさい」という教えは、ガザでの停戦を呼びかけたことでSNSのコミュニティ・ガイドラインに抵触し、一時的にアカウントが停止されてしまった後に書かれた(7)「Sees Fire」などの曲に反映されている。この曲はガナーヴィヤが幼少期に家族と音楽を通して言葉にできないことを表現していたことに根ざした手法で、詩的なメタファーの中に理不尽な現代社会への抗議の気持ちを込めている。

アルバムタイトル「土地」に込めた想い

ガナーヴィヤは今作のテーマである土地(Nilam)について、「この言葉は、動くように、あるいはじっとしているようにという命令にもなり得る」と語る。「無意味に静かにしている人にとっては、正しいことのために立ち上がれという命令。無意味に騒がしい人にとっては、じっと立っているようにという命令。私にとって、それはバランスであり、人生、変化、土地、着地の真のリズムの核心なのです」

目まぐるしく変化し続ける社会の中で、ときに不条理に悩み、表現する方法さえ分からなくなることもあるが、幼少期から親しんだ音楽や歌は、常にガナーヴィヤにとっての揺るぎない真の“土地”だった。このメタファーに満ちた作品は、そのユーモアと真剣さの中に込められた微かな希望を誰かが見つけてくれるかもしれないという、そんな儚い祈りのようだ。

Ganavya 略歴

ガナーヴィヤ(Ganavya Doraiswamy)はニューヨークで生まれ、南インドのタミル・ナードゥ州で育った。彼女の祖母であるシーサ・ドライスワミー(Seetha Doraiswamy, 1926 – 2013)はカルナティックの有名なマルチ楽器奏者で、とりわけ水で満たされた茶碗のようなものを叩くジャルタラン(jal tarang)の巨匠として知られ、この忘れかけられた楽器の復興と継承に多大な貢献をした人物である。

ガナーヴィヤは子供の頃に巡礼などを通して学んだ古代インドの精神性や歌唱法と、現代音楽やジャズの融合というニッチな分野を切り拓いてきた。演劇と心理学の学位を取得し、現代パフォーマンスと民族音楽学の学位も取得している。バークリー音楽大学では大学院の特別研究員として「インド音楽のサウンド」というタイトルのコースをつくり、そのためのテキストも執筆。ハーバード大学の博士課程でも学ぶなど、特別な才能で幅広く活躍している。

キューバのピアニスト、アルフレッド・ロドリゲス(Alfredo Rodríguez)の傑作アルバム『Tocororo』(2012年)にゲスト参加しタイトル曲を歌ったことでその名が広く知られるようになり、2018年には初のソロ作『Aikyam: Onnu』をリリース。ニューヨーク・タイムズ誌やダウンビート、オール・アバウト・ジャズなど米国でも高く評価された。

現在の米国のジャズシーンを代表する女性歌手/ベース奏者エスペランサ・スポルディング(Esperanza Spalding)が様々な分野の専門家と協力し“究極のヒーリング・アルバム”として制作し、第64回グラミー賞で最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞を受賞した2021年作『Songwrights Apothecary Lab』では南インド音楽の専門家としてリード・リサーチャー/ヴォーカリストとして参加。
さらに2023年にはブラジル出身のベーシスト/作曲家ムニール・オッスン(Munir Hossn)とのデュオアルバム『Sister, Idea』を発表するなど、多様性を増す音楽界で確固たる独自性を築いてきた。

ガナーヴィヤはこうした実績から、米国内外で関心が高まるインド音楽の第一人者として深い信頼を積み重ねている。

  1. スヘイル・ハマド(Suheir Hammad, سهير حماد)…1973年生まれのアメリカの詩人、作家、政治活動家。パレスチナ難民の両親のもと、ヨルダンのアンマンで生まれ、彼女が5歳の頃に家族でニューヨーク市ブルックリンに移住した。ヒップホップ・シーンに強い影響を受け、両親や祖母が経験したガザ地区やヨルダンでの苦難、イスラム教徒という立場を生々しく描き、社会に根付いた性差別と闘う詩人として“土地の剥奪”を一貫したテーマに据えて活動を行っている。 ↩︎

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