アルバニア紛争をチェロとともに逃れた少年
1989年のベルリンの壁崩壊は、バルカン半島南西部の当時社会主義国家だったアルバニアにも経済危機と貧困、そして激しい紛争をもたらした。
紛争は首都ティラナの音楽院でチェロを学んでいた一人の少年も無縁ではいられなかった。
日々激化する暴力から逃れるために、少年はわずかばかりの荷物と、音楽院から貸し出されていたチェロを抱え、年の離れた兄を頼りにイタリアに亡命した──。
少年の名はレディ・アサ(Redi Hasa)。当時13歳、1990年のことだった。
時が経ち、やがてその少年はイタリア随一のチェロ奏者となり、巨匠ルドヴィコ・エイナウディ(Ludovico Einaudi)と共演するなど国際的なチェリストとして活躍、その名を馳せている。
“盗まれたチェロ”の物語
そんなアルバニア出身のレディ・アサの初のソロアルバムが、今作『The Stolen Cello』(2020年)である。“盗まれたチェロ”とは、なんともセンセーショナルなタイトルだ…
レディ・アサ自身の作曲と、チェロ一本の多重録音を軸に表現力豊かに作りあげられた今作は、音だけ聴いても、はっきり言って2020年を代表する傑作だ。
しかしその背景にある物語や、13歳でチェロ(彼の当時のもっとも高価な“財産”だった)を抱えて戦火から逃れた彼を想えば、この作品はより幾重にも複雑に押し寄せる感情の波から逃れることはできないだろう。
収録曲は故郷アルバニアへの郷愁に満ちている。
靴下を丸めたボールでサッカーをした思い出が三拍子の短調のメロディーで語られる(4)「Little Street Football Made of Socks」は切なくも無邪気で、胸が締め付けられるし、1990年のアルバニア脱出を描いた(6)「1990 Autumn Escape」は新天地への希望に胸躍らせる少年の気持ちがよく現れている。
レディ・アサ略歴
レディ・アサ(Redi Hasa)は1977年、チェリストの母親、クラシックバレエのダンサーの父親のもと、アルバニアの首都ティラナに生まれ、6歳から母親の勧めでチェロを始めている。
内戦が激化するなか、彼にアルバニア脱出を勧めてくれたのはイタリアに住む11歳年上の兄だった。1990年に、ティラナ音楽院から貸し出されたチェロと、わずかな荷物を持ってイタリアに逃亡、言葉の分からない中、“盗まれたチェロ”を武器に第二の人生をスタートした。
その後はルドヴィコ・エイナウディと共演したアルバム『Seven Days Walking: Day 1』(2019年)が英国のクラシック・チャートで1位となるなど、今がまさに乗りに乗った時期となっている。
故郷を追われたレディ・ハサは語る。
「私の思い出、故郷、子供時代。私の記憶は、夢のようなものです。私はその夢に戻りたい」
チェロは、もっとも人間の声に近い音域の楽器といわれている。
“盗まれたチェロ”が紡ぐ音楽は、アルバニアの歴史に翻弄された罪なき一市民の心の叫びのように聴こえる。
Redi Hasa – cello