リオの新世代ピアニスト、ジョナサン・フェール
ニューヨークやロンドンの現代ジャズ・シーンがかつてなく熱いように、南米ブラジルにもこれらのムーヴメントに呼応するような優れた現代ジャズのシーンが形成されている。
アントニオ・ロウレイロ(Antonio Loureiro)やフレデリコ・エリオドロ(Frederico Heliodoro)、ディアンジェロ・シルヴァ(Deangelo Silva)といった日本でも大人気のミナス勢に加え、リオのアントニオ・ネヴィス(Antônio Neves)、ペルナンブーコのアマロ・フレイタス(Amaro Freitas)、サンパウロのルーイッジ・ウーレイ(Louise Woolley)などなど、話題に事欠かないのが現代のブラジリアン・ジャズの最前線だ。彼らの音はブラジルの伝統的な音楽であるサンバやショーロといった所謂“ブラジルらしい音”よりも、前述したニューヨークなどで様々な文化が混ざり合って生まれる音の坩堝に似ている。
今回紹介するブラジルのピアニスト/作曲家ジョナサン・フェール(Jonathan Ferr)もそんなブラジリアン・ジャズ新世代を代表する注目すべきアーティストの一人だ。
リオ近郊のモーホ・ダ・コンガーニャ(Morro da Congonha)出身。音楽学校に通いながら既にパゴーヂやヒップホップのグループで活動していた18歳の頃、ジョン・コルトレーンの名盤『A Love Supreme(邦題:至上の愛)』でジャズという音楽との衝撃の出会いを果たしたという。そのたった一枚のアルバムは彼に深い感動を与え、彼の音楽観を大きく転換し、ジャズピアニストとしての道を歩む決心をさせた。
そこからハービー・ハンコックやマイルス・デイビスといった偉大なジャズの巨人たちの作品からも多くを学ぶとともに、彼が少年時代から影響を受けてきたカリオカのファンクやヒップホップといった音楽のエッセンスも凝縮し盛り込んだ音が2019年のデビュー作『Trilogia Do Amor』として結実した。この優れた作品は世界的にはほとんど話題にならなかったが、今聴いてみても相当に洗練されたかっこいいアルバムだと思う。
ピアニストとしての表現に磨きがかかった新譜『Cura』
第2作目となる2021年の新譜『Cura』では、前作以上にピアノにフォーカスしながら、ジャキス・モレレンバウム(Jaques Morelenbaum)などゲストも迎え新たな魅力を印象付けている。前作が現代的で都会的な外向きのサウンドだとしたら、今作のベクトルは自身の内面に向く。そしておそらくは意図的にミニマリズムを意識した音でメッセージ性を強調したつくりとなっている。前作でもフィーチュアされていたキング牧師の「I Have a Dream」のモチーフは今作でもその断片が顔を覗かせる。これは彼にとって最も重要なテーマのひとつなのだろう。
タイトルにCura、つまり“癒し”を冠した本作は、アフロ・ブラジリアンの古い伝統曲を素朴な風合いを残しながらもドラマチックにアレンジした(1)「Sino Da Igrejinha」で幕を開ける。ジョナサンは長年キリスト教徒だったが2016年に仏教に改宗し、アマゾンのシャーマンの儀式も経験、タロットなども学んだ。このアルバムではそうした自身のスピリチュアルな変化も大きく反映されているように思う。
2020年にブラジルに破滅的な被害をもたらしたパンデミックに心を痛めたときも、ピアノは彼のすぐ傍にあって心を癒してくれたという。彼はピアノを演奏することによる癒しを“ピアノセラピー”とも呼ぶ。
各楽曲につけられた(3)「Choro(泣く)」、(4)「Esperança(希望)」、(5)「Felicidade(幸せ)」、(7)「Amor(愛)」といった単純明快なタイトルは自身の感情や、パンデミックによって分断されてしまった人々への想いを端的に表す。
この美しい音楽作品はジョナサン・フェール自身の癒しであると同時に、世の中に向けた普遍的なメッセージでもある。