“ムガーム・ジャズ”の立役者。テロに没した音楽家ラフィク・ババーエフと今も色褪せない名曲たち

Rafiq Babayev

ムガーム・ジャズの立役者、ラフィク・ババーエフ

1960年代になってアゼルバイジャンで正式にジャズが解禁されると、その後の10年間にわたってこの国の即興音楽は大きな発展を遂げた。その中心にいたのはピアニスト/作曲家のヴァギフ・ムスタファザデ(Vagif Mustafazadeh, 1940 – 1979)だが、もうひとり、ラフィク・ババーエフ(Rafiq Babayev, 1937 – 1994)も無視できない存在である。

彼は幼くして父親が旧ソ連によって拘束・投獄され、5人の子どもたちは母親によって貧困の中で育てられた。やがて兄弟姉妹たちは全員がミュージシャンとなったが、中でも最も成功したのが4番目の子どもであった彼ラフィクだった。アサフ・ゼイナリー音楽大学で学んでいた1957年、若きラフィク・ババーエフはモスクワで開催された第4回青年学生世界音楽祭に参加し、エスニック・モーダル形式の最初の作品を発表。その後はいくつかのグループを結成し、アメリカ、フランス、ベルギー、カナダ、メキシコ、インド、リビア、シリアなど、いくつかの国をツアーし創作活動を徐々に発展させていった。

3歳年下のヴァギフ・ムスタファザデ同様にジャズや民族音楽を組み合わせた作風で人気を得つつ、1983年から1989 年まで交響楽団の指揮者を担当し大編成のアレンジャーとしても才能を発揮し、数多くの洗練された音楽を残している。またラフィクのもうひとつの偉大な功績としてはアゼルバイジャンのジャズに電気/電子楽器を初めて持ち込んだパイオニアであるということも挙げられる。伝統的な民族音楽、西洋のクラシック音楽、そしてジャズや(とりわけ)フュージョンの融合はヴァギフ早世の後のアゼルバイジャンのジャズの発展に大きな足跡を残した。

「Bird Bazaar」

テロによる悲劇の死と、彼が残した今も色褪せない音楽たち

アゼルバイジャンのジャズの発展に大きな貢献をしたラフィク・ババーエフは、1994年3月17日にバクーの地下鉄でテロリストによって巻き起こされた爆破事件によって帰らぬ人となった。

彼の残した素晴らしい音楽は、ようやく最近になってサブスクリプション・サービスで聴けるようになった。ブラジルのジャズ・サンバの影響を受けた「Bird Bazaar」、電子楽器が効果的に用いられた「B.P.」、ムガーム色の濃い民族的なフュージョン「10/8」、クラシックを引用した「Portrait」など個性的で優れた楽曲・演奏は今も色褪せていない。

「10/8」

今回は、現時点でサブスクでリリースされているラフィク・ババーエフの名曲たちをプレイリストでまとめてみた。過小評価され埋もれてしまった偉大な音楽家について興味を持っていただけたら嬉しい。

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