レバノンからパリに亡命したマルチ芸術家タニア・サレー、抑制された表現で伝える不安と希望

Tania Saleh - Fragile

母国を愛するが故に亡命を余儀なくされた歌手タニア・サレー 新作

レバノンを代表する歌手、タニア・サレー(Tania Saleh)は母国の様々な状況(彼女はそれを“一連の不幸な出来事”と呼ぶ)から、ついに祖国を離れる選択をし、2022年にフランス・パリに移住した。

私は木、カモメ、魚たちと空想の会話を交わし、彼らにとっての「領土」の概念を理解しようとしました。この地球上で自分の居場所を見つけるまでの間、私はスーツケースという脆い空間に安らぎを見出しました。頭の中の煤を全て洗い流し、新たなスタートを切り、単調な生活の音を変え、領土と感情の安定へと向かう長く物悲しい道のりを続けるには、洗脳が必要だと感じていました。

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レバノンの政治はずっと不安定だ。2019年の大規模な反政府抗議デモ、経済危機、2020年のベイルート港爆発事故、そして不安定な電力・インターネット供給といった社会情勢の中、2人の息子が海外(マンチェスターとパリ)で学業を続けるためにレバノンを離れたことで自身も「特別才能ビザ」を取得してパリに移った。そうした状況で制作された最新作『Fragile』は、スーツケースに貼られた“壊れやすい”を表すその言葉の通り、故郷を離れることによる心理的な重荷や、亡命者が抱く根無し草のような感覚をテーマに作られている。

今作にはノルウェー出身のピアニスト、オイヴィン・クリスティアンセン(Øyvind Kristiansen)がピアノやプログラミングで全面的に参加。さらにパレスチナ出身のネイ/クラリネット奏者モハメド・ナジェム(Mohamed Najem)やチュニジア出身のウード奏者イスレム・ジェマイ(Islem Jemai)らが参加し、タニア・サレーの音楽に特徴的なアラブ音楽と西洋音楽、伝統音楽と現代の音楽の融合が積極的に試みられている。エレクトロニックも非常に効果的に取り入れられサウンドの核を形成しながら、感情的な軸は歌やネイなどの演奏によって生々しく表現される。

(1)「Ghasseel Dmegh」

タニア・サレーは、レバノンのインディーズ音楽シーンにおける先駆者として知られ、30年以上にわたり政治的・社会的なメッセージを音楽に込めてきた。今作ではレバノンやアラブ世界全体に対する直接的な声明を控え、個人の内面に焦点を当てているものの、その抑制された表現こそが強いメッセージ性を放つ。彼女は、戦争や危機を経験した子どもたちへの思いやりから、2024年に子供向けのアルバム『Child’s Play』をリリースするなど故郷への強い愛着を保ちつつ、海外での新たな生活を模索している。このアルバムは、彼女自身がレバノンの文化的アイデンティティ(音楽、詩、ビジュアルアートなど)をヨーロッパで広めるために設立した組織「Tantune」の活動とも連動している。

(4)「Qul」

アルバムからは(2)「Matrah」と(4)「Qul」がシングルで先行リリースされた。これらはアルバム全体のテーマである亡命者の脆さを象徴しており、彼女の母国語であるレバノン方言のアラビア語で歌われている。

(2)「Matrah」

祖国を離れ亡命者となった彼女は、こう語っている:

そして私は問いかけます。 この巨大な機械の中で、私の居場所はどこにあるのでしょうか? 「空だけ」が残されたとき、私たちに何が残るのでしょうか? 家はどこにあるのでしょうか? 愛はどこにあるのでしょうか?

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Tania Saleh 略歴

タニア・サレー(アラビア語:تانيا صالح)は、1969年レバノン・ベイルート出身のシンガーソングライター/ビジュアルアーティスト。レバノンのインディーズ音楽シーンを牽引する先駆者として、30年以上にわたりアラビア語による詩的な歌詞と西洋音楽の融合で知られている。

彼女の幼少期と十代は、両親の離婚、レバノン内戦、そして母親が二人の娘を一人で育てていたという事実によって影響を受けた。サレーは家計を支えるため、幼い頃から働き始める必要があった。17歳の頃、彼女は様々な合唱団で歌い、ラジオCMのジングルを書き、フリーランスのイラストレーター兼グラフィックデザイナーとして働いていた。

1990年代に広告業界でアートディレクターとして活躍後、音楽に専念。2002年に初のアルバム『Tania Saleh』をリリースし、フォーク、ジャズ、ボサノヴァを基調とした独自のスタイルを確立。2011年の『Wehde』ではレバノンの社会的・政治的テーマを鋭く描き、国際的な評価を得る。2018年の『Intersection』と2021年の『10 A.D.』はドイツレコード批評家賞を受賞。2022年、母国の社会情勢の不安定を背景にパリへ移住。2025年に9枚目のアルバム『Fragile』をリリースし、亡命と脆さをテーマに内省的な作品を発表。またフランスで「Tantune」を設立し、アラブ文化を発信するなどマルチディシプリナリーなアーティストとして絵画や詩も創作し、文化的抵抗と希望を表現し続けている。

Tania Saleh – vocals, backing vocals
Øyvind Kristiansen – piano, music programming
Mohamed Najem – ney, clarinet
Elies Gourabi – percussion
Islem Jemai – oud
Nidhal Jaoui – kanoon

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