シャイ・マエストロ新作は更なる音響的進化を遂げた大傑作
現代ジャズを代表するピアニスト/作曲家のシャイ・マエストロ(Shai Maestro)の新作『The Guesthouse』は、時空すらも操っているのではないかと思わせるほど優れた傑作だ。彼の音楽は世界のユートピアを描くと同時に、ディストピアも体現する。その場の感情を、彼らがその長い人生のなかで培ってきた技術で即興的に表出する音楽である「ジャズ」を、ここまでアーティスティックに昇華した作品はほかになかなか見られない。個人的にシャイ・マエストロは2016年の名盤『The Stone Skipper』が頂点だと感じていたが、今作はそれを遥かに超えてきた。
今作は13世紀のペルシャの神秘主義詩人ルーミー1の有名な詩「The Guest House」から影響を受けている。この詩は人間の人生や心を「ゲストハウス」に例え、喜び、悲しみ、怒りなどのあらゆる感情を予期せぬ訪問者として受け入れ、歓迎すべきものとして描いたもので、近年ではマインドフルネス2の根幹的な概念として広く知られている。シャイ・マエストロはこのコンセプトをアルバムの基盤とし、多様な感情をありのまま受け入れ、音楽として表現しようと試みた。
アルバムでまず強く印象に残る曲は(1)「The Time Bender」、(4)「Moon of Knives」、(7)「GG’s Metamorphosis」の3曲であろう。これらはいずれもホルヘ・ローダー(Jorge Roeder, b)、オフリ・ネヘミヤ(Ofri Nehemya, ds)、ガディ・レハヴィ(Gadi Lehavi, key)との編成を軸としているという点で共通している。ホルヘ・ローダーは1980年ペルー生まれで、ジュリアン・ラージ(Julian Lage)のグループでの活躍など現代のジャズを代表するベーシスト。オフリ・ネヘミヤ(1994年生まれ)とガディ・レハヴィ(1996年生まれ)はイスラエルジャズ新世代を代表するトリオ「GTO Trio」で知られる名手だ。
以上のメンバーから成る新生“シャイ・マエストロ・ゲストハウス・カルテット”で演奏されるアルバム冒頭曲(1)「The Time Bender」は、牧歌的でどこか望郷を感じさせる可愛らしいワルツで始まるが、途中で度重なる転調を挟みながらエキサイティングな17/8拍子という複雑な物語へと繋がってゆく。「時を歪めるもの」というタイトルが示唆する通り、サイエンス・フィクションの本質を音楽で表現したような超絶的な演奏が繰り広げられている。
(4)「Moon of Knives」も“ゲストハウス・カルテット”を軸にしたフラメンコの要素を取り入れた印象的な楽曲だ。解像度の高いリズムの上で絶妙に絡み合うピアノとシンセ、曲を通して打たれる情熱的なパルマ(手拍子)。ゲスト参加のニツァン・バール(Nitzan Bar)のギターも目立ちはしないが重要なエッセンスを加えている。
シャイ・マエストロの特筆すべき今作の新たな挑戦として、「作詞」が挙げられる。今作ではポルトガルを代表する歌手マロ(MARO)が(3)「Gloria」で、アメリカのジャズ歌手マイケル・メイヨー(Michael Mayo)が(5)「Strange Magic」で、イスラエルのSSWであるアロン・ロトリンガー(Alon Lotringer)が(10)「The Lion and Me」にそれぞれ参加。これらの楽曲の歌詞のすべては、マエストロが彼らの声を念頭に置いて書いたという。彼はここ数年で詩について学びを深め、特にポール・サイモン(Paul Simon)、ジェームス・テイラー(James Taylor)、ラウ・ノア(Lau Noah)、そして数多くのスタンダードナンバーの歌詞から影響を受けたと語っている。
(3)「Gloria」は、マエストロの前作『Solo: Miniatures & Tales』でソロピアノで演奏されていた曲で、彼のパートナーの名前を冠した秘密主義的な美しさを感じさせる曲。ここではMAROによる神秘的な声と、古いピアノのハンマーの近くにマイクを設置するという独特の録音方法によってピアノの打弦を生々しく捉えた録音手法によって、より楽曲の魅力が増している。
アルバム中、唯一のスタンダード・ナンバーである(2)「Nature Boy」には、アメリカ出身の現代ジャズを象徴するサックス奏者イマニュエル・ウィルキンス(Immanuel Wilkins)や、同じく米国の気鋭トランペッター、フィリップ・ディザック(Philip Dizack)、そしてスペイン出身のフルート奏者フェルナンド・ブロス(Fernando Brox)が参加。
シャイ・マエストロは新型コロナ禍によるロックダウン期間中に音楽ソフトウェアを学び、ジェイコブ・コリアー(Jacob Collier)などの影響を受けながら、電子機器とアコースティック楽器の融合を深く探求していた。「Nature Boy」での生楽器と電子的なレイヤーによる独特のテクスチャーには、そうした背景がある。
アロン・ロトリンガーが歌う(10)「The Lion and Me」は、アンビエント的な音響実験とアコースティック・ピアノ、そして歌の融合を探求したひとつの完成形だろう。音楽的な派手さはないが、静かな空間の中に潜む感情の機微を描き出した美しい楽曲だ。
Shai Maestro 略歴
シャイ・マエストロは1987年イスラエル生まれのジャズピアニスト/作曲家。5歳でクラシックピアノを始め、8歳でキース・ジャレットやオスカー・ピーターソンを通じジャズに魅了される。10代でイスラエルの音楽シーンで頭角を現し、数多くの優れた音楽家を輩出するテルアビブのテルマ・イェリン高校で学び、その後ボストンのバークリー音楽大学で研鑽を積んだ。19歳の2006年、世界的ベーシストのアヴィシャイ・コーエン(Avishai Cohen)のトリオに加入し、『Gently Disturbed』(2008年)などで国際的に注目されるようになった。
2011年に自身のトリオを結成し、2012年にデビューアルバム『Shai Maestro Trio』をリリース。叙情的で複雑な作曲が高く評価された。ECM Recordsと契約後、『The Dream Thief』(2018年)や『Human』(2021年)をリリースしている。
Shai Maestro – piano, keyboards
Ofri Nehemya – drums (1, 4, 7, 8)
Jorge Roeder – bass (1, 2, 4, 7, 8, 10)
Gadi Lehavi – keyboards (1, 4, 7, 8)
Immanuel Wilkins – saxophone (2)
Philip Dizack – trumpet (2)
MARO – vocals (3)
Michael Mayo – vocals (5)
Alon Lotringer – vocals (10)
Fernando Brox – flute (2)
Manuel Cantarote – palmas (2, 4)
Juan Diego Valencia – palmas (2, 4)
Nitzan Bar – guitar (4)
Jake Sherman – Hammond organ (6)
Tal Mashiach – guitar (9)