「最近、音楽の価値が下がったように感じる」
日々音楽を探し、聴き、そしてムジカテーハを通じて発信をしながら、最近そんなふうに感じることがあります。
毎週新しいアルバムがリリースされ、SpotifyやApple Musicを開けば、世界中の音楽をほとんど無限に聴くことができます。かつてならCDショップを何軒も回らなければ見つからなかった希少な作品も、いまでは数秒で再生できてしまいます。
音楽を聴く環境だけを考えれば、これほど恵まれた時代はありません。
それなのに、なぜか一枚のアルバムが以前ほど「重く」感じられない。
これは、音楽そのものの価値が下がったということなのでしょうか?
この感覚について、日々新しい音楽を探し、紹介する立場という視点も交えながら考えてみると、少し違った景色が見えてきました。今回はそんな切り口で記事をしたためてみます。
音楽は、むしろ以前より聴かれている
まず、データを見る限り、人々が音楽から離れているわけではありません。
IFPI(国際レコード産業連盟)の調査によれば、世界の人々が音楽を聴く時間は2023年時点で平均週20.7時間。1日あたりに換算すれば約3時間になります。
また、音楽を聴く方法も平均で7種類以上に増えています。
録音音楽市場も成長を続けています。世界の録音音楽売上は2025年に317億ドルとなり、11年連続で成長しています。現在の音楽産業を支えているのは、もちろんストリーミングです。
つまり、「音楽が以前よりも聴かれなくなった」という話ではないのです。
それよりもむしろ、私たちはかつてないほど大量の音楽を聴いています。
それでも、音楽の価値が下がっているように感じてしまう。
この矛盾を考えるには、「音楽の量」と「一つの作品に向けられる注意」を分けて考える必要があります。
ムジカテーハを始めて、最初に気づいたこと
ムジカテーハでは、できるだけまだ日本で広く知られていない優れた音楽を探し、紹介しています。
南米、アフリカ、中東、オセアニア、ヨーロッパ etc…
大きなレコード会社から世界的に宣伝されている作品だけではなく、まだ日本ではほとんど紹介されていないアーティストの作品にも目を向けています。
そして、現在のストリーミング環境は、この活動にとって非常にありがたいものです。
ひと昔前なら、こうした作品を探すだけでも手掛かりが少なく、本当に大変でした。
海外のレコードショップを探したり、輸入盤を取り寄せたり、専門誌を読んだり、現地の音楽事情に詳しい人から情報を得たりする必要がありました。
いまでは、南米の小さなレーベルからリリースされたアルバムであっても、サブスクリプション・サービスを利用すれば数秒で再生・試聴することができます。
これは間違いなく、音楽史上の大きな進歩です。
ところが、そこで新しい問題に気づきます。
音楽を見つけることが簡単になった結果、音楽を「見つけた」と感じ、喜びを得ることが難しくなったのです。
音楽が多すぎる
毎日のように新譜を調べていると、それを実感します。
昨日まで知らなかったアーティストが、今日には何人も見つかります。
そして、その中には本当に素晴らしい作品があります。
しかし、次の日にはまた新しい作品が出てきます。
さらに、その翌日にも新しい作品が出てきます。
音楽は待ってくれません。
これは以前には考えにくかった状況です。
CDの時代なら、一ヶ月に購入できるアルバムの数には、金銭的な限界がありました。
しかし、ストリーミングではその制約がありません。
だから私は、以前なら「一枚買うかどうか」を真剣に考えていた時間を、「どの作品を一枚通して聴くか」を選ぶ時間に使うようになりました。
そして、その選択肢があまりにも多い。
音楽が不足しているのではありません。
音楽が過剰なのです。
3000円を払うことには、「聴く理由」が含まれていた
CDを3000円で買ったとします。
その時点で、そのアルバムには「3000円の価値がある」と自分自身で(無意識のうちにも)判断しています。
だから、たとえ最初の一曲があまり好みではなくても、「せっかく買ったのだから、もう少し聴いてみよう」となるわけです。
その結果、何度か聴くうちに好きになった作品もあったと思います。
ムジカテーハの記事を書くためにアルバムを聴いていると、現在でもそれと同じことがあります。
最初の一回では、それほど印象に残らない。
ところが二回目、三回目と聴くうちに、ある曲の意味が変わってくる。
曲順の意味が分かってくる。
ミュージシャンがその音楽を通じて伝えたい想いが見えてくる。
そして、「これは良いアルバムだ」と気づく。
音楽には、真摯に聴くことで初めて価値が現れる作品があるのです。
しかしストリーミングでは、その「もう一度聴いてみる」という行為が、以前より起こりにくくなっているのではないでしょうか。
一曲目が合わなければ、次の作品に行けばいいからです。
事実、私は現在では「最初の数秒」で、そのアルバムに“一枚通して聴くだけの価値があるか”を判断するようになってしまっています(特に、まったく初めて触れるアーティストでは尚更です… こう書きながら、ほんとにこれが正しい行為なのかどうかと、少しの罪悪感を感じていることも正直に記しておくべきかもしれません)
ムジカテーハがやっていることは、実は「注意を取り戻す」ことなのかもしれない
ここで、ムジカテーハの役割について考えるようになりました。
ムジカテーハは、音楽そのものを提供しているわけではありません。
SpotifyやApple Musicがあれば、読者は紹介した音楽をすぐに聴くことができます。
では、何を提供しているのでしょうか。
おそらく、聴くためのきっかけと理由です。
「このアルバムを聴いてみてください」と言うだけではありません。
どんな背景から生まれたのか。
どんな音楽とつながっているのか。
なぜ、この作品が面白いのか。
どこに耳を向ければいいのか。
そうした情報を文章にすることで、一枚の優れたアルバムに向き合うための「入口」を作る。
音楽が無限に存在する時代には、この入口が以前より重要になっているのではないでしょうか。
アルゴリズムが「次の曲」を探してくれる時代に
Spotifyのようなストリーミングサービスは、膨大な音楽の中から自分が好きそうな曲を探してくれます。
これは非常に便利です。
でも、アルゴリズムが得意なのは、
「あなたが次に好きそうな音楽」
を提示することです。
一方で、人間による音楽紹介には別の役割があります。
「あなたがまだ知らないけれど、聴いてみる価値のある音楽」
を提示することができるのは、(少なくとも今のところは)人間だけが為せる行為でしょう。
この二つは似ているようで、実は違います。
前者は「好みの最適化」。
そして後者には、「好みを広げる」という役割があります。
ムジカテーハが目指したいのは、後者です。
今まで知らなかった国や地域の音楽。
聴いたことのなかった、名前も知らない楽器。
存在すら知らず、興味を持ち得なかったジャンル。
一度聴いただけでは魅力が分からないアルバム。
──そうしたものに出会うきっかけを作る。
それは、音楽が無限に存在する時代だからこそ、必要なことなのではないでしょうか。
「アルバム一枚」に1時間を使うという贅沢
現在、音楽を聴くこと自体はほとんど無料に近い行為になりました。
しかし、人間の時間は無料ではありません。
1日は24時間しかありません(この事実は、人間社会の数少ない“平等”のひとつです!)。
Spotifyには何千万、何億という規模の楽曲が存在しても、音楽が所謂“時間芸術”である以上、一人の人間が聴ける音楽の量には限界があります。
だからこそ、いま最も希少なのは音楽ではなく、聴き手の注意なのです。
一枚のアルバムを最初から最後まで聴く。
そのために約一時間を使う。
途中でスマートフォンを見たり、ほかの何かに注意を逸らされない。
別の作品に移らない。
これは、もしかしたら3000円を使って、1枚のCDを買うこと以上に贅沢な行為なのかもしれません。
なぜなら、CDを買うためのお金は増やせても、自分の時間を増やすことはできないからです。
音楽の価値は下がったのか?
ここまで考えてみると、「音楽の価値が下がった」という表現には少し違和感があると考えるようになりました。
確かに、定額制のストリーミング・サービスによって一作品あたりの経済的価値は極度に下がりました。
音楽の希少性も下がりました。
所有することの意味も薄くなりました。
一方で、アクセスできる音楽の量は飛躍的に増えました。
音楽を聴く時間も増えています。
そして、世界中のまだ知られていない音楽と出会う可能性も、かつてないほど大きくなっています。
つまり、音楽そのものの価値が失われたのではありません。
音楽を取り巻く「価値の構造」が変わったのです。
CD時代には、
お金を払う
↓
作品を手に入れる
↓
繰り返し聴く
という流れがありました。
現在は、
見つける
↓
数秒聴く
↓
気に入れば保存する
↓
また次の作品を探す
という流れになっています。
音楽の価値が「購入」から「注意」へ移った、と言ってもいいでしょう。
音楽が無限になった時代に、音楽を紹介する意味
だからこそ、ムジカテーハを運営する意味についても、少し違った見方ができるようになりました。
音楽が不足していた時代には、音楽を「届ける」ことに価値がありました。
現在は、音楽を届けること自体は簡単です。
むしろ問題は、
あまりにも多くの音楽が届いてしまうこと
です。
その中から一枚を選ぶ。
そして、その一枚に時間を使ってもらう。
そのための理由を作る。
これは、いまの音楽メディアに求められている大切な役割なのではないでしょうか。
ムジカテーハが目指しているのも、単に「新しい音楽を紹介するサイト」ではありません。
世界中に存在する膨大な音楽の中から、「これは聴いてほしい」と思える作品を見つけ、その背景や魅力を言葉にして、一人でも多くの人がその音楽に向き合うきっかけを作ることです。
音楽が無限に存在する時代だからこそ、そこには意味があると思っています。
音楽が安くなったからこそ、聴くことに価値がある
音楽は、かつてないほど“安く”なりました。
かつては3000円払わなければ聴けなかったアルバムが、いまでは月額料金の範囲内で聴けます。
世界中の音楽にアクセスできます。
だから、音楽そのものの「希少性」は失われたと言えるでしょう。
しかし、聴き手の時間は希少なままです。
そして、一枚のアルバムに向き合うための注意も希少です。
だから私は、音楽の価値が下がったのではなく、音楽の価値を証明する方法が変わったのだと思います。
3000円を払うことによって作品の価値を証明する時代から、
自分の貴重な一時間を、その作品のために使うことによって価値を見いだす時代へ。
音楽が無限になった時代において、一枚のアルバムを最後まで聴くことは、以前よりも意味のある行為なのかもしれません。
そして、そんな一枚に出会うための小さな道標を作ること。
それが、音楽があふれる現在において、ムジカテーハができることなのだと思います。