欧州を中心に注目を浴びるアゼルバイジャンのジャズ
オイルマネーで目覚ましい発展を続け、“第二のドバイ”とも呼ばれるアゼルバイジャン共和国の首都バクー。ペルシャ語で「風の街」を意味するこの大都市で、近年密かに隆盛を極める音楽がある。それがアゼルバイジャンの伝統音楽とジャズが融合した独特のジャンル、ムガームジャズだ。
ムガームジャズ(Mugham Jazz, Azerbaijani Jazz)とは、ペルシャの古典音楽をルーツとする独特の旋法が特徴的なアゼルバイジャンの民俗音楽であるムガームと、アメリカ生まれの即興音楽ジャズが、1960年代頃より東欧一のジャズの都として栄えたバクーにて融合し生まれた音楽のジャンルだ。
近年ムガームジャズが注目される理由である現代の多くの優れた奏者を紹介する前に、まずはムガームジャズの始まりに大きく関わる親娘について紹介したい。
ムガームジャズの創始者、ヴァギフ・ムスタファザデ
アゼルバイジャンのジャズの歴史は1950年代頃まで遡る。
スターリンによって旧ソビエト時代に“資本主義音楽”と位置付けられ禁止されていたジャズは、スターリンの死後1953年頃から徐々にではあるが解禁されていった。バクーはソビエトの厳しい検閲から逃れ、比較的安全にジャズを楽しむことができる街として1950年代に次第にソビエト中からジャズミュージシャンが集ってくるようになった。
1940年にバクーで生まれたピアニスト/作曲家のヴァギフ・ムスタファザデ(Vagif Mustafazadeh)は、BBCで放送されたジャズを聴いて楽しんではそれを自身のピアノで何とか再現しようと試みていたようだ。しかし彼が演奏活動を初めた1957年頃はまだコンサートで堂々とジャズを演奏できる時代ではなく、友人たちに向けて個人的に演奏を披露するくらいしかできなかった。
精力的に即興演奏に取り組んでいたヴァギフだが、次第に物足りなさを感じるようになり、アゼルバイジャンの伝統的な音楽ムガームとの融合を試みるようになっていった。
1960年代には完全にジャズは解禁され、ルイ・アームストロングやデューク・エリントン、エラ・フィッツジェラルド、マイルス・デイヴィスやコルトレーンといったアメリカの著名な音楽家のレコードがバクーに輸入されジャズ人気が高まってくると、ヴァギフはアゼルバイジャンでもっとも優れたジャズピアニストとして国内で次第にその名を広めていった。1965年に音楽学校を卒業した彼はその後いくつかのバンドを率い、“ムガームジャズ”の第一人者としての名声を確立していった。
ヴァギフの若すぎる死と、娘アジザの欧州での成功
ヴァギフ・ムスタファザデは1979年、ステージでの演奏を終えた直後に心臓発作で急死の悲劇に見舞われた。39歳の若さであった。
そんな彼の遺志を引き継いだのが、実の娘アジザ・ムスタファザデ(Aziza Mustafazadeh)だ。1990年代からジャズピアニストとして活動を開始した彼女のこれまでのCD/レコードの売上枚数は1500万枚を超える。父親が創ったムガームジャズの文字通りの申し子として、父親のスタイルを継承しつつも繊細な美的感覚をもつ彼女らしいジャズピアノで名を馳せ、欧州で大成功を収めた。
長い間、アゼルバイジャン国外で知られるムガームジャズの奏者といえばこのムスタファザデ親子くらいのものであったが、ここ数年、急速に若手音楽家たちが国際的な活躍を見せるようになり、次第にムガームジャズの人気が高まってきている。
この記事では、そんな歴史を持つアゼルバイジャンが誇る驚異の音楽「ムガームジャズ」で注目されるミュージシャンを紹介していく。
現代ムガームジャズの最重要ピアニストたち
近年活躍が目覚ましいムガームジャズの後継者たちをご覧いただきたい。いずれもムスタファザデ親娘の系譜を継ぎつつ、独自にジャズを追求している要注目の奏者だ。
いずれもバクー出身のピアニストである。
目次:
① エルチン・シリノフ(Elchin Shirinov)
② イスファール・サラブスキ(Isfar Sarabski)
③ シャヒン・ノヴラスリ(Shahin Novrasli)
④ エミル・アフラスィヤブ(Emil Afrasiyab)
⑤ エティバル・アサドリ(Etibar Asadli)
① エルチン・シリノフ(Elchin Shirinov)
1982年生まれのエルチン・シリノフ(Elchin Shirinov)は、アゼルバイジャン出身のジャズピアニストとしては今現在、日本でもっとも知られている名前かもしれない。
彼は2018年より、世界的ベーシストのアヴィシャイ・コーエン(Avishai Cohen)のトリオに抜擢。既にブルーノート東京などで2回ほど来日公演も行なっている。
ハンガリーのミュージシャンらを迎え2017年に発表した初リーダー作『Maiden Tower』も傑作。タイトルの「乙女の塔」とは、バクーを象徴する歴史的建造物(ユネスコ世界遺産)だ。
② イスファール・サラブスキ(Isfar Sarabski)
1989年生まれのイスファール・サラブスキ(Isfar Sarabski)は19歳の時にモントルー・ジャズ・フェスティバルにてピアノソロ部門を受賞以来、注目される若手ピアニスト。チュニジアの名ウード奏者/作曲家ダファー・ヨーゼフ(Dhafer Youssef)のバンドに参加するなどし活動の幅を広げてきた。近年はエレクトロを大胆に導入するなどアーティストとして革新的な表現にこだわり発信し続けている。
③ シャヒン・ノヴラスリ(Shahin Novrasli)
1977年生まれのピアニスト/歌手、シャヒン・ノヴラスリ(Shahin Novrasli)は元々はクラシックピアノで将来を期待された逸材だった。5歳からクラシックピアノのエリート教育を受けた彼は、11歳で地元の交響楽団と共演しバッハやベートーベン、モーツァルト、ショパンなどを演奏。18歳の時にはラフマニノフのピアノ協奏曲第2番で聴衆を歓喜させた。
しかしその後、ムガームジャズ創始者ヴァギフ・ムスタファザデの音楽に影響を受けジャズの世界へ。確かなテクニックで美しいムガームジャズを聴かせてくれる。
2017年にアルバム『Emanation』で反響を呼び、2019年には新作『From Baku to New York City』もリリース予定。
④ エミル・アフラスィヤブ(Emil Afrasiyab)
1982年生まれのエミル・アフラスィヤブ(Emil Afrasiyab)は2011年にモントルージャズフェスティバルでオーディエンス賞を受賞し、 2012年に名門バークリー音楽大学を卒業。非常に粒立ちの良いテクニカルで美しいピアノが特徴的で、最上級のムガームジャズを聴かせてくれる優れたピアニスト/作曲家だ。
⑤ エティバル・アサドリ(Etibar Asadli)
1992年生まれのピアニスト、エティバル・アサドリ(Etibar Asadli)もまた、ヴァギフ・ムスタファザデのムガームジャズに強く影響されている。彼の場合、ピアノの調律をわざわざ変えて、本格的にムガームを再現したソロを演奏しているので手強い。
2018年の世界柔道選手権・バクー大会のテーマ曲も担当するなど、今特に注目度の高いピアニスト/作曲家だ。近作ではエレクトロ要素への傾倒も見られ、注目すべきアーティストだろう。
急成長する都市バクーから届く、新しいジャズに要注目!
ムガームジャズの魅力が少しは伝わっただろうか。この音楽はまだまだ日本での紹介が少ないが、バクーという都市の発展やインターネットの発展とともに優れた音楽家が多数輩出・SNSなどを通じて紹介され、イスラエルジャズのような流行を見せそうな雰囲気がある。
新譜情報など含めアゼルバイジャンの最新音楽動向には注目し、当サイトで紹介していきたいと思う。