最後のイディッシュ・タンゴ──想像を絶する暴力の史実を後世に伝えるための音楽

Payadora Tango Ensemble - Silent Tears

想像を絶する暴力の歴史を後世に伝えるためのアンサンブル

カナダのパヤドラ・タンゴ・アンサンブル(Payadora Tango Ensemble)の新譜『Silent Tears: The Last Yiddish Tango』は、ナチス占領下のポーランドでホロコーストを生き延びた人々の記憶と詩で辿る深い悲しみの物語を、ヴァイオリンやピアノ、バンドネオンを中心としたタンゴで歌う傑作だ。

本作の音楽は、ナチスによる性的暴力や人体実験、強制不妊手術などの拷問の犠牲となった女性の詩や証言、文章に基づいている。
収録の約半数の曲の歌詞はトロントのユダヤ人ケアホームのソーシャルワーカーであるポーラ・デヴィッド(Paula David)博士による、ホロコーストを生き延びた人々のトラウマを集合的な詩を書いてもらうことで解消しようとするプロジェクトからのもの。 その他の約半数は、トロントを拠点とする作家モリー・アップルバウム(Molly Applebaum, 1930 – )による日記と回想録『Buried Words』からのもの。

現在92歳でトロントに住むモリー・アップルバウムは、その思春期の2年間を地下に埋められた木箱の中で過ごした。
彼女の母親のサラは、モリーと年上のいとこのヘレンをポーランドのダブロヴァにある納屋に匿うようにポーランド人の農夫に頼み込んだ。二人は呼吸するための小さな穴が開いた木箱の中で、納屋の地下に2年間埋められ匿われていた。モリーが隠れる前、彼女は親友のサビーナ・ゴールドマンも一緒に隠れるように願っていたが、サビーナは健康状態が良くない両親と一緒にいなければならないという手紙を彼女に宛てて書き、生き残るために何でもするようにモリーに促した。そしてその週の後半、サビーナは殺害されてしまった。

(2)「Sabina’s Letter: Some of Us Must Survive」は、そんなサビーナ・ゴールドマンからの手紙をもとに書かれた詩が歌われている(どうか、11歳半の少女がそれまで毎日のように誰もいない靴屋で一緒に遊んでいた親友と引き剥がされ、彼女から“絶対に生き残って”と書かれた手紙を受け取る辛さを想像してみてほしい)。

モリー・アップルバウムが親友サビーナから受け取った手紙に基づく(2)「Sabina’s Letter: Some of Us Must Survive」

まだ幼く、大人しくしていることが難しいモリーの弟は、ユダヤ人を匿っていることが近隣住民に知られることを恐れた農夫によって匿うことを拒否され、のちに母親サラとともにナチスによって殺害されてしまったという。

モリーはヘレンとともに不潔な木箱の中で寒さと飢え、そしてシラミや性的虐待に耐え2年間を生き延びたのち、戦後はドイツとオーストリアの難民キャンプで3年間過ごした後、英語も話せないまま難民としてカナダに渡り家族をつくった。
彼女は2017年に当時の恐怖と不安のなかで過ごした日々の生活と、自らの命を危険に晒しながら自分たちを木箱の中で匿ったポーランド人農夫との複雑な依存関係などを綴った回想録『Buried Words』を出版した。

このアルバムには、そうした想像を絶する暴力の物語が生々しく描かれているのだ。

“最後のイディッシュのタンゴ”

19世紀にアルゼンチンで生まれたタンゴは20世紀初頭にヨーロッパに伝わり、戦間期(1918〜1939年)にはポーランド、特に首都のワルシャワでもその全盛期を迎えた。その頃には3000以上のタンゴが書かれ、多くがヒット曲となったが、多くはポーランドのユダヤ人によって作詞作曲されたものだった。

だが1939年に第二次世界大戦が勃発すると、ユダヤのタンゴの黄金時代は終わりを迎え、当時もっとも人気だった作曲家のアンドレイ・ヴワスト(Andrzej Włast, 1885 – 1943)やアルトゥル・ゴールド(Artur Gold, 1897 – 1943)らもトレブリンカ絶滅収容所で殺害された。

このアルバムは、ポーランドにおけるタンゴの記憶を辿るように、1930年代のスタイルで作曲されており、一部には前述の作曲家アルトゥル・ゴールドの楽曲の再編も含まれている。これはこの作品の物語のなかに登場する女性たちが育った時代に寄り添うための音楽なのだ。

(1)「Silent Tears」はポーランドの森でナチスから逃れようとする若い母親とその娘たちの体験に基づいている。

今作の歌詞は東欧のユダヤ人の間で話されていたイディッシュ語で4人のヴォーカリストによって歌われている。演奏にはトロント交響楽団などで活躍するヴァイオリニストのレベッカ・ウォークスタイン(Rebekah Wolkstein)と彼女の公私のパートナーであるバンドネオン奏者ドリュー・ジュレッカ(Drew Jurecka)、ハンガリー出身でフランツ・リスト音楽院で学んだピアニストのロベルト・ホルヴァート(Robert Horvath)らが参加。繊細な音楽表現で“最後のイディッシュ・タンゴ”を見事に表現している。

性暴力や強制不妊手術、人体実験の被害者が数十年後に経験する長期的なトラウマを歌う(7)「A Victim of Mengele」

Rebekah Wolkstein – violin
Drew Jurecka – bandoneon (1-7, 9), violin (8)
Robert Horvath – piano
Joseph Phillips – double bass
Sergiu Popa – accordion (8)
Aviva Chernick – vocals (1, 6, 9)
Olga Avigail Mieleszczuk – vocals (2, 4, 9)
Marta Kosiorek – vocals (3, 5)
Lenka Lichtenberg – vocals (5, 7)

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