設計図を遺した早逝の作曲家──オルランド・パンテラと、「世代」の音楽

設計図を遺した早逝の作曲家──オルランド・パンテラと、「世代」の音楽

カーボベルデ音楽の海外での顔は、長くセザリア・エヴォラが歌うモルナだった。港町の哀愁、クレオール、裸足のディーヴァ。そのイメージは今も強い。

オルランド・パンテラ(Orlando Pantera, 1967 – 2001)が扱ったのは、同じ国の別の層である。サンティアゴ島内陸のバトゥク——女たちが輪になって布を叩き、即興で語る表現——を、ギターと一人の声に移し、都市的なレコード文化や舞台で使える形にした。

本人のソロアルバムはない。初盤『Lapidu na bô』のパリ録音を数日後に控えていたが、急性膵炎により33歳でこの世を去ったためだ。残ったのは提供曲、散逸したライブと舞台音源、そして後続が再利用できる作曲の型である。その型を継承した音楽家たちを、現地では「geração Pantera(パンテラ世代)」と呼ぶ。

本稿では、オルランド・パンテラという人物の輪郭を追ったうえで、その世代の音源を実際のディスクから案内する。

オルランド・パンテラは何をした人か

オルランド・パンテラは「声のスター」ではない。作曲家として先に知られ、公の場で歌うようになったのは晩年である。

彼の仕事の中身は次の三点に整理できる。

村で見る。
サンティアゴ内陸の祭り、葬儀、結婚、食事、衣服を観察して書く。本人の言い方では、泣く人、地を踏む人の目と口と怒りまで真似る。聴くだけでは足りない、見る、という仕事だ。

叩く文化をギターに移す
バトゥクは、女たちが布を叩くリズム(sambua)と、語り(finaçon)の二層でできている。それを一人のギターと一人の声に翻訳した。当時のバトゥクより和声を広げ、7thなどジャズ的なコードを足す。タッチは伝統奏法ではなく、ロックのように弦を叩く。歌は村の歌い手とラップのあいだ。ほら貝(búzio)も舞台に持ち込む。

民俗を「展示」にしない。
単調だと感じたメロディには「新しい顔」を与える。保存活動ではなく、いま弾ける曲にすること。

セザリアが世界に「哀愁の島」を聞かせたのに対し、パンテラは同じ国のもう一つの起源——女たちの輪、逃亡者の山地、叩く布——を、ギターという近代のソロ楽器に移した。作品が他人のアルバムにしかないのは欠陥ではなく、方法の性質だ。設計図は、誰かが弾き直せばまた曲が立つ。

“パンテラ世代”の代表格である初期のマイラ・アンドラーデの編曲が、薄いフォークにもキゾンバにも落ちないのは、まさにオルランド・パンテラが確立した変換の手法(=“設計図”)を、楽曲の骨格にしているからだと見てよいだろう。

オルランド・パンテラ 略歴

オルランド・パンテラ、本名オルランド・モンテイロ・バレット(Orlando Monteiro Barreto)は1967年11月1日、サンティアゴ島内陸のサン・ロウレンソ・ドス・オルガンス生まれ。同地は現在も人口6千人強の山岳農村自治体で、経済の中心は農業と牧畜だ。彼は幼少期をアフリカ大陸南部のアンゴラで過ごし、内戦で島へ戻る。通称「パンテラ」は芸名ではない。アンゴラから持ってきたピンク・パンサー(ポルトガル語ではA Pantera Cor-de-Rosa = ピンク色の豹)の漫画を読んでいた痩せた少年に、周囲が付けたあだ名である。

カーボベルデの首都プライアの街区アシャディーニャで独学したのち、キューバ留学経験のある教師にクラシックギターを学ぶ。15歳で学業を中断し、音楽に専念することを決意。ベーシストとしてPentágono、Gama 80、Capeverdeans Jazz Bandなどに参加。同時に内陸の都市アソマダの児童センターやSOS子供の村で音楽を教えていた。彼は「ストリートの子どもたちを施設に閉じ込めるのではなく、日常のなかで何かをさせる」方向の実践者でもあった。

1993年に作曲家賞候補。1994年、Os Tubarõesの最後のアルバム『Porton d’nôs Ilha』に3曲を提供し、名が広がる。1998〜2000年は舞台音楽を制作。2000年、サント・アンタンのフェスティバルで賞を受賞し、その賞金で初ソロ作を録る予定だった。2001年3月1日、プライアの病院で死去。

没時6歳だった彼の娘ダーリーン(Darlene)によれば、生前に著作権登録されていた曲はわずか5曲にとどまる。つまり没後に他人が彼の曲をヒットさせても、本人や遺族は印税を受け取れない状態が長く続いた。2021年、没後20年のときに娘ダーリーンがオルランド・パンテラ財団(Fundação Orlando Pantera)を設立。2025年には、2000年に本人を撮っていたカタリナ・アルヴェス・コスタ(Catarina Alves Costa)によるドキュメンタリー映画『Orlando Pantera』が公開され、IndieLisboaで観客賞とIndieMusic賞を受けた。未公開の本人歌唱が、ここでまとまって見られるようになった。

ドキュメンタリー映画『Orlando Pantera』トレーラー

オルランド・パンテラの代表曲

流通している音源の大半は、他人のアルバム経由である。「カヴァー」というより、原盤が本人にない、と考えた方が正確である。

「Tunuka」(Os Tubarões『Porton d’nôs Ilha』、のちMayra Andrade『Navega』に収録)は、サン・トメへ渡った契約労働、屈辱、日々のパンを歌う。恋愛に聞こえるが、移動と生存が主題である。Os Tubarõesのヴォーカリスト、イルド・ロボのために書いた、という言及もある。

Os Tubarões による「Tunuca」(1994年)。オルランド・パンテラの最初のヒット。

「Lapidu na bô」は未完ソロのタイトル曲。相手が外見や家を変え、スクピラ市場で安物を買い、自分から逃げる。それでも「まだ君に磨き込まれている/彫られている」。観察した日常の細部が比喩になる書き方である。

Mayra Andrade による「Lapidu na bô」

「Batuku」は「いまバトゥクは流行っている」と女の語り手が言う、ジャンル自体を主題にした曲である。

Lura による「Batuku」

「Vasulina」「Raboita di Rubon Manel」「Na Ri Na」「Ês Bida」はルーラ(Lura)の『Di Korpu Ku Alma』に集中して収録されている。「Raboita di Rubon Manel」は圧政に抵抗した農民たちの蜂起というサンティアゴの歴史的事件(1910年)と、それを指導した女性ニャーニャ・ボンボロン(Nhanha Bombolom)という人物に触れている。

「Regasu」はパンテラにとっては数少ないモルナ。作曲はパンテラだが詞はジャーナリストのアントニオ・シルヴァ・ロケ(António Silva Roque)、という指摘がある。作品群のなかでは例外的に港町の哀愁側である。

「パンテラ世代」の音源紹介

継承されたのはヒット曲のメロディだけでなく、バトゥクをバンドやソロギターで組み立てる手法だ。
彼の曲を正規録音した人と、彼の音楽の手法を先に進めた人が混在する。

Lura『Di Korpu Ku Alma』(2004/2005)

オルランド・パンテラの曲が最も多い正規盤で、5曲((2)「Na Ri Na」、(3)「Vazulina」、(5)「Ês Bida」、(7)「Batuku」、(11)「Raboita di Rubon Manel」)を収録。バトゥクとフナナの推進力を、アコーディオンやパーカッションを含むバンド編成に開いている。パンテラ世代を音で説明するなら、まずこの一枚だ。続く『M’bem di Fora』(2006)、『Eclipse』(2009)は方法の発展形で、提供曲の密度は下がる。

Mayra Andrade『Navega』(2006)

4曲((2)「Lapidu na bo」、(4)「Tunuka」、(10)「Dispidida」、(12)「Regasu」)。アレンジはLuraより室内楽的で、弦や余白が目立つ。マイラ・アンドラーデは15歳でパンテラに会い、「人と違うことをしたい」と話したところ、彼は「じゃあもう(その方法は)分かっている」と返した、と後年本人が回想している。アルバムに通底するアレンジにおいて、パンテラは単なる背景ではなく骨格でもある。

Os Tubarões『Porton d’nôs Ilha』(1994)

生前の公式録音として最も古い層。(3)「Serenata」、(7)「Ca Fila」、(8)「Tunuca」の3曲。
綴りが揺れているが、「Tunuca」はここが初出で、のちにマイラ・アンドラーデが「Tunuka」のタイトルで再録音する。モルナ、コラデイラ、フナナが混在する90年代のバンドサウンド。

Tcheka『Nu Monda』(2005)

パンテラ曲のカバー集ではない。一人ギターでバトゥクのポリリズムを鳴らす奏法の直系である。低音、リズム、旋律を同時に走らせる。

Princezito 『Spiga』(2008)

同じ世代に数えられるが、国際流通は上記より薄い。サンティアゴの言葉とリズムを、現地の語りとして続ける側である。

Bob Mascarenhas『Rapacinhu Lantuna』(2012)

1977年生まれのボブ・マスカレーニャスは、14歳の時に児童施設(SOS子供の村)でオルランド・パンテラから直接指導を受け、ギターと音楽に夢中になった。前述のような1990年代後半〜2000年代前半にパンテラの音楽を市場に乗せた「世代」に挙げられることは少ないが、直接的な影響下にある。

そのほかの音源

Clara Andermatt / João Lucas『Uma História da Dúvida』(1998)に「Batuko」「I am a professional」(Lucas共作)。『Dan Dau』(1999)に「Ciré」「Batuko」。没後に出回ったライヴ/ラジオ音源は非公式が多く、公式リマスターはない。2022年の舞台『Pantera』(Andermatt、ゲストにMayra Andrade)でも複数曲が使われた。

オルランド・パンテラという音楽家が後世に与えた影響の中身を短く言えば、バトゥクを「家庭や海外市場で流通するレコードの語法」に変換したことだろう。植民地期に抑圧され、独立後も都市の「国民音楽」の中心から外れがちだったサンティアゴ内陸の表現を、次の世代が自分のアルバムで使える状態にしたという功績は大きい。

設計図を遺した早逝の作曲家──オルランド・パンテラと、「世代」の音楽
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