過去の亡霊と未来のビートが交錯する、スリリングな調和|ロウレンソ・ヘベッチス『Língua Geral』が提示する、ポスト・ヒップホップ世代のアフロ・ジャズ



 音楽において、10年という歳月は時に残酷なほどの空白を生む。しかし、ブラジル・サンパウロ出身の作曲家・プロデューサーであるロウレンソ・ヘベッチスにとって、デビュー作『O Corpo de Dentro』(2016年)からの10年間は、自らの音楽的語彙を研ぎ澄まし、他者の声に寄り添い、そして来るべき傑作のための「共通言語(Língua Geral)」を探求し続けるための不可欠な熟成期間であった。

 鬼才アート・リンゼイを再び共同プロデューサーに迎え、2026年11月に世に放たれたセカンド・アルバム『Língua Geral』。本作は、アフロ・ブラジリアンの土着的な太鼓のリズム、現代ジャズの洗練された和声、そしてJ・ディラ以降のヒップホップがもたらしたビートの革新を、かつてない次元で融合させた音楽的記念碑である。

太鼓がオーケストラを先導する ── 恩師レチエレス・レイチからの継

 ロウレンソ・ヘベッチスの音楽を理解する上で、決して避けて通れない人物がいる。2021年に惜しまれつつこの世を去ったバイーアの巨匠、レチエレス・レイチだ。管楽器と打楽器の楽団「オルケストラ・フンピレズ」を率いた彼は、ロウレンソ・ヘベッチスに「打楽器の動きから合奏を組み立てる」という革命的な視座を与えた。ジャズの常識であった「リズム隊がメロディ楽器を支える」という構造を反転させ、「太鼓が音楽を導き、管楽器がその声に応じる」というアフロ・バイーアの哲学論である。

 本作の幕開けを告げる第1弾シングル「Maestro」は、他でもないこの恩師へのオマージュだ。サルヴァドールのカンドンブレ打楽器集団「グルーポ・オファー(Grupo Ofá)」をフィーチャーしたこの曲は、太鼓と管楽器がわずかにタイミングをずらしながら濃密に呼び交わす。歴史の底流から湧き上がるアタバキ(太鼓)のうねりが、現代的なホーン・アレンジメントと衝突し、見事な推進力を生み出していく。ここには、偉大なる先人モアシール・サントスからレチエレスへと受け継がれてきた「伝統を過去に縛り付けず、極めて現代的な響きへと昇華させる」という意志が、鮮やかに息づいている。

「過去の亡霊」を召喚する――数世紀を超えるリズムの記憶

 本作を読み解く上で、アメリカの著名な音楽評論家ベン・ラトリフが本作に寄せたライナーノーツで言及した「過去の亡霊」という概念論が極めて重要な意味を持つ。

 ジャズの伝統において、過去の記憶を現代の音楽に招き入れることは常に許されてきた。しかし、ロウレンソ・ヘベッチスが本作で召喚した「亡霊」とは、かつてのジャズ・ジャイアンツの手癖やフレーズなどではない。それは、レコードや音楽学校、現代のエンターテインメント産業が誕生するよりもはるか昔、数世紀前からアフリカとブラジルを結ぶカンドンブレの祭祀で受け継がれてきた「土着的な太鼓のリズム(パターン)」そのものである。

 ロウレンソ・ヘベッチスの試みは、太鼓に宿る先人たちの記憶(亡霊)を現代のスタジオに呼び出し、洗練された現代の音楽理論で飼い慣らすのではなく、「亡霊を亡霊のまま」生かすことだった。古代から続くアフロ・ラテンのリズムを、現代のポップスやジャズの文脈に無理やり適応させるのではなく、完全に同化しきれない「異物」として衝突させること。それが、このアルバム全体に時代を超越した永遠のテンション(緊張感)をもたらしているのだ。

J・ディラの「ヨレ」と、ポリリズムの魔術 ──「Segundo Sentido」の衝撃

 この「亡霊との衝突」が最もスリリングな形で現れるのが、中盤に鎮座する「Segundo Sentido(第2の感覚)」である。

 パーカッショニストのカイナン・ド・ジェジェとイカロ・サーは、アゴゴやジャンベを用いて、11/8拍子という変拍子のクラーベ(リズムの型)を叩き出す。しかしヘベッチスは、ベース、ドラム、ピアノの現代リズム隊に対し、この古代から続く11拍子のグリッドの上で「4拍子のファンク」を演奏するように求めたのだ。

 リスナーの身体は最初、4/4拍子のオーソドックスなブラックミュージックとして心地よく揺れる。しかし開始から1分後、フルートが介入した瞬間、背後で蠢いていた11/8拍子の引力にふと身体が引き寄せられ、足元が宙に浮くような錯覚に陥る。

 ロウレンソ・ヘベッチスはこれを、ヒップホップの伝説的プロデューサー、J・ディラがMPCサンプラーで生み出した「ヨレ(絶妙なズレ)」の感覚論で説明する。少し間違っていて、もう少しで崩壊しそうなのに、決して破綻することなくグルーヴし続ける。この「寸前(quase)」の領域、きれいに割り切れない「余り(remainder)」にこそ、彼は音楽の生命力を見出している。

録音芸術としての「滲み」――ロイ・ハーグローヴの多重録音とスタジオの魔法

 この極めて複雑なリズムの摩擦を、肉感的なグルーヴとして成立させているのが、共同プロデューサーであるアート・リンゼイの手腕と、世界中から集められた卓越したミュージシャンたちの存在だ。カッサ・オーバーオール(ドラム)、BIGYUKI(キーボード)、ジェイソン・リンドナー(キーボード)といった現代の異才たちが参加する中、ヘベッチスはスタジオという空間自体を巨大な楽器として扱い、多重録音とエディットを重ねていった。

 評論家のベン・ラトリフが、この独自のテクスチャー(滲み)の背景にあるルーツとして指摘しているのが、ディアンジェロの歴史的名盤『Voodoo』でロイ・ハーグローヴが見せた管楽器の多重録音である。ハーグローヴが自身のホーンを何度も重ねて録音した際、音の出だしや息づかいの微細なズレが、逆に生々しく『完璧に不完全な』厚みを生み出していた。ヘベッチスもまた、同じ奏者が何度演奏しても決して完全に一致しないからこそ生まれるこの『滲み』を深く吸収し、本作の豊かな響きへと昇華させているのだ。」

 さらに特筆すべきは、本作のミックスにおける「残響(リバーブ)の少なさ」である。リンゼイとヘベッチスは、極めてドライで輪郭のくっきりとした音像を作ることで、こうした異質な音同士が擦れ合う「摩擦熱」が、生々しくリスナーの耳に届くよう設計しているのだ。

矛盾が支える「動的平衡」としての『Língua Geral』

 ベン・ラトリフ(「元ニューヨーク・タイムズの音楽評論家」)は、先のライナーノーツにおいて、イタリアの物理学者カルロ・ロヴェッリの量子理論を引用している。「私たちが『固い岩』として認識しているものは、実はさまざまな力が一時的に一つの形を保っている状態に過ぎず、やがて崩壊していく」という思想だ。

 人間が二本足で直立している時も同じである。それは完全に静止しているのではなく、無数の筋肉が異なる方向に引っ張り合い、矛盾する力が綱引きをすることで生み出される「一時的なバランス」なのだ。

 ロウレンソ・ヘベッチスの『Língua Geral』が鳴らしているのは、まさにこの「矛盾する力の均衡」である。アフリカから受け継がれた過去の太鼓の亡霊と、電子音楽やヒップホップが提示する未来のビート。それらが完全に同化(フュージョン)するのではなく、それぞれの異物感と緊張関係を保ったまま、奇跡的なバランスで一つの音楽として屹立している。

 タイトルに冠された『Língua Geral(共通言語)』とは、皆が同じ言葉を話して均質化することではない。異なる訛り、異なる言語、異なるリズムを持った者たちが、自らのアイデンティティを保ったまま一つのグルーヴの中で対話し、踊るための「新たな広場」の創造である。10年の沈黙を破り、ロウレンソ・ヘベッチスは現代音楽における最もスリリングで、最も美しい「不均衡なダンス・ミュージック」を完成させた。







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