好きな音楽家が好きなレコードや影響を受けたレコードを知ると、その音楽家の作品が少し違って聞こえることがある。どんな旋律に心を動かされたのか。どんな音の重なりに驚いたのか。そして、どんなリズムに出会って、それまでとは違う仕方で身体が動き始めたのか。
サンパウロの作曲家、ギタリスト、プロデューサー、ロウレンソ・ヘベッチス(Lourenço Rebetez)が「リズムを教えてくれた作品」として挙げた5つの作品には、そんな発見への手がかりがある。現代ジャズのドラマーたちを集めた作品。アフロ・ブラジルの音楽をオーケストラで表現した古い録音。カルリーニョス・ブラウンのデビュー作。ヤニス・クセナキスの打楽器独奏曲。そしてジョージア・アン・マルドロウのビート作品集。時代も土地も異なる音楽が、リズムという一点で並んでいる。
バークリーでジャズを学んだヘベッチスは、バイーアではレチエレス・レイチ(Letieres Leite)のもとで、カンドンブレのリズムを作曲に生かす方法を学んだ。そこで大切だったのは、太鼓をほかの楽器の伴奏と考えず、その動きから合奏を組み立てることだった。その関心は、第一作『O Corpo de Dentro』(2016年)から、アート・リンゼイ(Arto Lindsay)と再び組んだ第二作『リングア・ジェラウ(Língua Geral)』(2026年)へと続いている。
歌の制作でも、シェニア・フランサ(Xênia França)の声に、生の楽器と電子音が響き合う場所をつくってきた。共同プロデュースした『Em Nome da Estrela』は、2023年のラテン・グラミー賞で最優秀ポルトガル語コンテンポラリー・ポップ・アルバムを受賞している。その多彩な仕事を支えるリズム感覚は、どんな音楽によって育まれてきたのだろう。
以下では、上述の「Take 5: Lourenço Rebetez – Albums That Taught Me Rhythm」に挙げられた選盤と着眼点をもとに、それぞれの作品の背景をたどりながら、ヘベッチスの音楽との接点を考えてみたい。

1.ペッター・エルド『Projekt Drums, Vol. 1』
拍の内側を、違う歩幅で進んでいく
最初の作品は、スウェーデン出身のベーシスト/プロデューサー、ペッター・エルド(Petter Eldh)が2021年に発表した『Projekt Drums, Vol. 1』。6曲にそれぞれ異なるドラマーを迎え、その演奏を中心に音楽を組み立てたアルバムだ。
参加するのは、サヴァンナ・ハリス(Savannah Harris)、エリック・ハーランド(Eric Harland)、リチャード・スペイヴン(Richard Spaven)、ネイト・ウッド(Nate Wood)、ガルド・ニルセン(Gard Nilssen)、ジェイムズ・マドレン(James Maddren)。エルド自身はベースやギター、シンセサイザーなどを演奏し、作曲、プロデュース、ミックスを担った。曲ごとに管楽器や鍵盤、ハープなども加わる。ドラマーの個性を、編曲と録音の両面から引き出す構想である。
選盤の着眼点は、通常とは異なる拍の細分化から生まれるグルーヴにある。たとえば、一定の速さで手を叩きながら、その1拍のあいだにどれだけの音を入れるかを変えてみる。大きな拍は同じでも、その内側を走る音の数やまとまりが変われば、音楽の進み方は違って感じられる。複雑なリズムを聴く入口は、必ずしも拍子を数えることだけではない。どの音についていくと、身体がどう動くのか。それを確かめることからでもよい。
この視点は、『リングア・ジェラウ』の「Segundo Sentido」にもつながる。打楽器が11/8の型を奏でる一方、ベース、ドラムス、ピアノは、その上で四拍子のファンクとしても感じられるグルーヴをつくる。ヘベッチスが関心を寄せるのは、異なるリズムが重なったとき、聴き手の感じる拍まで変わっていくことだ。
また、演奏を録音してから、音の重ね方や配置を考えるエルドの仕事は、ロウレンソ・ヘベッチスがアート・リンゼイと進めてきた制作を考えるうえでも興味深い。作曲は譜面を書き終えたところで完了するのではない。録られた音を聴き、その音が生きる組み合わせを探す作業も、曲をつくることに含まれている。

2.オルケストラ・アフロ・ブラジレイラ『Obaluayê!』
太鼓のことばで、オーケストラを考える
1957年、ロウレンソ・ヘベッチスが生まれるおよそ30年前に、ブラジルで一枚のレコードが世に出た。アビガイル・モウラ(Abigail Moura)率いるオルケストラ・アフロ・ブラジレイラ(Orquestra Afro-Brasileira)の『Obaluayê!』である。モウラがこの楽団を創設したのは1942年。ブラジル各地の祭りや芸能に息づく、バントゥー系の伝統に根ざした太鼓のリズムをはじめ、黒人の音楽家たちが受け継いできた多彩な響きを、オーケストラの中心に据えた。
ロウレンソ・ヘベッチスがこの盤を選んだ理由の一端は、太鼓が繰り返す短いリズムの型に耳を澄ませると見えてくる。まずは太鼓を追い、次に、その上で動く管楽器の旋律を聴いてみたい。太鼓の一打をどこで受け、どこで音を伸ばすかによって、管のフレーズには独特の抑揚が生まれる。アフリカからブラジルへと受け継がれたリズムを、合奏のなかでどの楽器にどう受け渡すか。モウラの編曲の面白さは、そこにある。
ヘベッチス自身がアフロ・ブラジル音楽を意識して聴くようになったきっかけは、友人の家で耳にしたモアシール・サントス(Moacir Santos)の『Coisas』(1965年)だった。初めて聴くレコードに、どこかで幾度となく耳にしてきたような音が収められていた。その驚きは深く、どんな部屋で、誰と一緒に聴いたかまで、今も鮮やかに覚えているという。
レチエレス・レイチ(Letieres Leite)と出会ったのは、その後のことだ。2009年、サンパウロでオルケストラ・フンピレズの演奏に魅せられたヘベッチスは、終演後、楽団を率いるレチエレスに挨拶をした。やがてサルヴァドールで教えを請うと、レチエレスは居間に立ち、モアシール・サントスの本を手に戻ってきた。二人の勉強は、モアシールの曲を読み解くことから始まった。友人の家で心を奪われた音楽に、今度は自分も曲を書く立場から向き合うことになったのである。
今回の選盤で、ロウレンソ・ヘベッチスは『Coisas』の8年前に録音された『Obaluayê!』へと、聴き手を誘っている。モウラの楽団では、太鼓の短いひと節がオーケストラの楽想に広がる。レチエレスは、太鼓のアクセントをいくつもの管楽器に振り分け、合奏全体でリズムを描いた。そして『リングア・ジェラウ』に収録されたロウレンソ・ヘベッチスの「Maestro」では、師から受け取ったその発想が、太鼓と管楽器の、少しだけ間合いのずれた呼び交わしになっている。三つの合奏を聴き比べるなら、まず太鼓のひと節を覚えてみたい。次に管楽器が鳴ったとき、その旋律のどこに太鼓の続きを聴くか。そこに、それぞれの作曲家の個性が表れている。

3.カルリーニョス・ブラウン『Alfagamabetizado』
打楽器の編曲から、歌の世界が広がる
ロウレンソ・ヘベッチスが、打楽器の編曲のお手本として選んだのが、カルリーニョス・ブラウン(Carlinhos Brown)の初のソロ・アルバム『Alfagamabetizado』(1996年)である。ウォーリー・バダルー(Wally Badarou)とアート・リンゼイがプロデュースに携わった。ヘベッチスは、若いころに愛聴したレコードとして、カエターノ・ヴェローゾの『Circuladô』とともにこの一枚を挙げている。
2曲目の「Pandeiro-Deiro」では、何人もの奏者がパンデイロを手にし、マルコス・スザーノ(Marcos Suzano)がソロを取る。ブラウン自身はボンゴとギターを担当。カイシシや鍋も打楽器に加わり、トランペット、トロンボーン、サックスに、ベースとドラムスまでそろう。コーラスに耳を澄ませば、そこにはパンデイロを叩く奏者たちの声もある。
これだけの人数がいても、ひとりの手が刻むリズムに、ふと耳を奪われる。スザーノのソロがそうだ。つい先ほどまで何人もの手で合奏を弾ませていたパンデイロが、ここではひとりの奏者の節回しまで伝えてくる。歌にもまた、同じ楽しみがある。打楽器を受け持つ人が声を合わせると、その人の手で感じていた拍を、今度は歌声のなかに聴くことができる。
ロウレンソ・ヘベッチス自身の仕事に引き寄せるなら、シェニア・フランサ(Xênia França)、ピポ・ペゴラーロ(Pipo Pegoraro)と手がけた『Em Nome da Estrela』の「Magia」が思い浮かぶ。ジャヴァン(Djavan)の旋律をシェニアが歌い、その声のまわりでヴァイオリンとヴィオラが響く。カイシシやジャンベ、アタバキには金属板や小さな蓋の音が交じり、ヘベッチスとペゴラーロがサンプラーとシンセサイザーの音を織り込んでいる。シェニアの歌い回しを追ってひと通り聴いたあと、もう一度、今度は打楽器に耳を預けてみる。声がひと息つくところにも拍は流れ、その拍に乗って次の言葉がやってくる。ブラウンの一枚を選んだヘベッチスに教わるのは、歌を聴く、もうひとつの楽しみでもある。

4.ヤニス・クセナキス《Rebonds》
ひとりの奏者が生む、いくつものリズム
ロウレンソ・ヘベッチスがリズムを学んだ5作品のなかには、現代音楽の作曲家ヤニス・クセナキス(Iannis Xenakis)の名もある。選んだのは、1987〜88年に書かれ、1988年にシルヴィオ・グァルダ(Sylvio Gualda)がローマで初演した打楽器独奏曲《Rebonds》。選盤企画「Take 5」には演奏者や録音盤の指定がない。ここでは曲そのものに耳を向けたい。
曲はAとBの二つの部分からなり、どちらを先に演奏してもよい。Aで使うのは、皮を張った打楽器だけ。Bには五つのウッドブロックが加わり、皮を打つ響きのなかに、木を打つ硬く短い音が入ってくる。これだけの音色を、ひとりの奏者が叩き分ける。
Bを聴く手がかりを、フランス国立音響音楽研究所(IRCAM)の作品解説に沿ってたどってみよう。まず、ボンゴが規則正しく拍を刻む。その刻みになじみ、次の音がいつ来るか身体でわかるようになったころ、少しずれたところに大太鼓の一打が入る。すると、同じように続いていたボンゴの音まで、さっきとは違う弾み方をして聞こえる。そこへ今度はウッドブロックが割って入り、流れを断ち切る。耳はボンゴの拍を追いながら、同時に、そこから外れていく音の動きも捉えている。
「Take 5」の選曲リストで、《Rebonds》には「民俗音楽への参照をそぎ落とした、複雑なリズム」という短評が添えられている。ここでいう複雑さは、予備知識がなくても耳でつかめる。ボンゴを追って聴くときと、大太鼓のほうに耳を移したときとでは、同じ短い一節にも違う拍のまとまりが浮かぶ。その両方が、ひとりの奏者の手から生まれている。
この曲を選んだロウレンソ・ヘベッチス自身の音楽にも、耳を向ける先ひとつで、身体の揺れ方まで変わる瞬間がある。『Língua Geral』の「Segundo Sentido」では、バイーアの打楽器奏者ふたりが8分音符十一個でひと巡りする型を奏で、その上でベースとドラムスとピアノが、四つで踊れるファンクを演奏する。気持ちよく四拍子に乗っていると、重ね録りしたフルートが聞こえ始める。それを追ううちに、足ではまだ四つを数えているのに、耳はいつしか太鼓の刻みに引き寄せられている。クセナキスの独奏曲を聴いたあとでは、ヘベッチスがバイーアの太鼓から育てたこの合奏の、その瞬間がひときわ鮮やかに聞こえる。

5.ジョージア・アン・マルドロウ『VWETO』三部作
―拍と一音のあいだ
ロウレンソ・ヘベッチスが最後に選んだのは、ロサンゼルス出身の歌手、演奏家、プロデューサー、ジョージア・アン・マルドロウ(Georgia Anne Muldrow)の『VWETO』三部作である。第一作『VWETO』は2011年、『VWETO II』は2019年、『VWETO III』は2021年に発表された。選盤企画「Take 5: Lourenço Rebetez – Albums That Taught Me Rhythm」で、この三作に添えられたのは、こんな一行だ。
Georgia Anne Muldrow, the “VWETO” trilogy — grooves that bend and resist the grid
ジョージア・アン・マルドロウ『VWETO』三部作――グリッドをたわませ、その目盛りに収まりきらないグルーヴ。
「グリッド」とは、音楽制作ソフトの画面で、一拍をいくつにも等分して示す目盛りのことだ。この目盛りを頼りに音を並べれば、どの音も狙った時刻にぴたりと鳴らせる。では、「グリッドをたわませる」とは、耳にはどう聞こえるのだろう。たとえば、曲に合わせて足で拍子を取りながら、次の一音を待つ。その音が、足を踏み下ろしたところからほんの少し遅れて届く。ひと巡りしてまた同じところに来ると、今度は身体がそのわずかな遅れを覚えていて、そこに気持ちよく乗れる。ソフトの目盛りは等間隔のままでも、ひとつの拍には、こんなふうに伸び縮みする感触が生まれる。
この短評が耳を向けているのは、歌手としても知られるマルドロウが、自分の手でビートを組み立てるときの、その時間の扱い方だ。『VWETO III』では、作曲、演奏、録音、編曲、プロデュースからミックス、マスタリングまでを彼女自身が担った。大半はインストゥルメンタルで、ところどころに歌やラップが入る。マルドロウはこの作品を、長く自分の内面を見つめたあと、再び外へ出て動き始めるための音楽として紹介している。
ここで思い出されるのが、ロウレンソ・ヘベッチスが評論家ベン・ラトリフ(Ben Ratliff)に語った、J・ディラ(J Dilla)のループの話だ。音と音がほんの少しずれていて、もう少しで噛み合わなくなりそうなところで、なおグルーヴが続いている。ヘベッチスが惹かれたのは、その「もう少し」だった。奏者が拍よりわずかに遅れて音を出すと、フレーズに独特の粘りが生まれる。その感触を、曲を書く段階から生かすにはどうしたらいいか。『リングア・ジェラウ』を貫いているのは、そんな作曲家としての問いである。
『VWETO』のビートと、ヘベッチスが奏者のために書く音楽。その二つを結ぶものは、一音を待つ、あの短い時間にある。次の音が来る場所を、聴き手の身体はもう知っている。作り手には、それをほんの少し待たせる自由がある。
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五つの作品から、もう一度『リングア・ジェラウ』へ
ロウレンソ・ヘベッチスが選んだ5つの作品は、リズムのどこに耳を向けるかで、顔ぶれが少し違って見えてくる。オルケストラ・アフロ・ブラジレイラでは、太鼓が繰り返す短い型から管楽器の響きが広がっていく。カルリーニョス・ブラウンの歌では、合奏を弾ませていたパンデイロが、ソロになると人の声のようにひと節を歌う。太鼓の一打を合奏のどこに置くかで、旋律の聞こえ方まで変わる。管楽器のパートを書くとき、まず太鼓に耳を澄ませるヘベッチスにとって、どちらも折に触れて聴き返したくなる音楽だろう。
ペッテル・エルド、ヤニス・クセナキス、ジョージア・アン・マルドロウの3人は、拍の内側で起きていることに耳を誘う。一拍を思いがけない長さに刻むエルド。規則正しいボンゴの響きに、大太鼓のアクセントを差し込むクセナキス。繰り返すビートのなかに、一音がわずかに遅れて届く心地よさを残すマルドロウ。どの場合も、聴き手がいつのまにか拍を覚え、次の音を待っているからこそ、その一打が効いてくる。
『リングア・ジェラウ』の「Segundo Sentido」では、この2つの関心がひとつの曲に収まっている。打楽器のふたりは、八分音符十一個でひと巡りする型を奏でる。ヘベッチスは、その太鼓を聴きながらファンクを演奏してほしいと、ベース、ドラムス、ピアノの三人に頼んだ。3人の演奏に身を任せていると、自然に四つで足を踏める。やがてフルートが入ると、その旋律につられて、太鼓がどこでひと巡りしているのかが、ふっと耳に浮かんでくる。
ロウレンソ・ヘベッチスがこの曲に関して行った注文で印象的なのは、3人に「ファンクを」と頼んだところだ。四つで踊る人も、太鼓の十一の刻みを追う人も、同じ演奏のなかにいられる。しかも、ほんのひと節のフルートで、その2つの聴き方を行き来できる。5つの作品を聴いてこの曲に戻ると、ヘベッチスがリズムから学んできたことが、作曲家としてのひとつの判断に聞こえてくる。太鼓の型をどう書くか。その続きを、彼は、誰にどう弾いてもらうかで書いている。

※2027年01月13日、日本盤CD発売予定あり。
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