【追悼】サラ・タヴァレス⎯ 魅力的な歌声︎と音楽性で、ポルトガル、カーボ・ヴェルデ 、そして世界に認められた女性SSWが早逝⎯

サラ・タヴァレス

 ポルトガルの女性SSW、サラ・タヴァレス(Sara Tavares)が、11月19日に脳腫瘍で亡くなりました。45歳でした。10年以上前に脳腫瘍と診断され、リスボンのルス病院のホスピス(緩和ケア病棟)で亡くなりました。

 西アフリカはセネガル沖に浮かぶカーボ・ヴェルデ(ポルトガル語圏)出身の両親をもち、カーボ・ヴェルデ移民二世の彼女は、ポルトガル語とポルトガル語をベースにしたクレオール語で作曲し、カーボ・ヴェルデの伝承歌、モルナやポルトガルのファドだけでなく、ソウル、ボサノヴァ、ヒップホップ、さらにはアフリカやキューバのリズムなども存分に取り入れた豊かな楽曲を発表してきました。

 亡くなる2ヶ月前には、シングル「KURTIDU」をリリースしていました。最後のアルバムとなったのは、2017年のアルバム『Fitxadu』でした。『Fitxadu』の前のアルバムは、国内盤もリリースされた『XINTI』(2009年)でしたが、『XINTI』から『Fitxadu』のリリースまで8年の間隔が空いています。『XINTI』のリリースツアー中に脳腫瘍を発症して手術を受け、一時は歌手生命を断念する深刻な状態でした。『XINTI』とその前のアルバム『Balancê』(2006年)は、日本国内のワールドミュージック・ファンに広く聴かれ、チャーミングな歌声に、多くの音楽ファンが夢中になり、カーボ・ヴェルデの音楽が再び注目されるきっかけにもなりました。

 彼女の死を悼む声は、音楽家だけでなく、政治家からも、ソーシャルメディア等で発信されました。その中には、ポルトガルの大統領とカーボ・ヴェルデの大統領を含みます。

 大統領府のサイトに掲載された声明でマルセロ・レベロ・デ・ソウザ大統領は、サラ・タヴァレスの「天賦の才能、献身、意志」を讃えました。


 私たちは30年前、まだ10代だったサラ・タヴァレスの才能を、その後も多くの才能を明らかにすることになるコンテストを通じで、発見しました。カーボ・ヴェルデにルーツを持つポルトガル人であるサラ・タヴァレスは、さまざまな共演やオマージュを通して、同じ志を持つ音楽家たちと強固な繋がりを常に保ち、アフリカの音楽やアフリカの音楽家たちとも親密に付き合ってきました。

 1996年以来の録音物以外には、ユーロビジョンへポルトガル代表として出場や、ラテン・グラミー賞にノミネートされました。健康上の理由でキャリアを中断した後、2017年に新しいアルバムを発表し、今年に入って最後のシングルを発売しました。サラ・タヴァレスの家族に対して、私は悲しみと、彼女の天賦の才能、献身、意志への敬意を表明します。

https://www.presidencia.pt/atualidade/toda-a-atualidade/2023/11/presidente-da-republica-evoca-sara-tavares/

 

議会議長のアウグスト・サントス・シルヴァ「彼女の声がないなら、私たちは哀れになり、悲しくなります」
アントニオ・コスタ首相「私はサラ・タヴァレスの早すぎる死に深く悲しみを感じています。彼女は、非常に若い頃にコンテストで才能を認められデビューし、ポルトガル人の心をつかみました。彼女は、地理的にさまざまな音が交差させながらも、自分自身の音楽的な言語を持つ歌手で作曲家でした」

 カーボ・ヴェルデの大統領のジョゼ・マリア・ネヴェス大統領は、個人のFacebookページで追悼しました。

 サラ、あなたは私たちと一緒にい続けます。美しい言葉を歌いながら。あなたの光は、私たちを一時的に受け入れてくれているこの地球で、まだ私たちが歩むべき道を照らしてくれます。さようなら、親愛なる友よ。

バイオグラフィー

 サラ・アレシャンドラ・リマ・タヴァレス (Sara Alexandra Lima Tavares , 1978年2月1日 – 2023年11月19日)。ポルトガルの歌手、作曲家、ギタリスト、パーカッショニスト。

 1994年にコンテストで優勝し(当時16歳)、その年のユーロビジョン(欧州各国を代表するミュージシャンたちが演奏を披露して、順位を決める伝統的な大会)の代表になり「Chamar a Música」で8位を獲得した。

 1996年に最初のアルバム「Sara Tavares & Shout!」を発表。1999年にセカンドアルバム『Mi Ma Bo』をリリース。

 ディズニー映画『ノートルダムの鐘』(1996年)の中の「God Help the Outcasts」のポルトガル語バージョンの歌唱でも知られ、この曲は最優秀外国語翻訳ディズニー賞を獲得した。

 2005年の『Balancê』からは、ルーツのカーボ・ヴェルデに深く根付く音楽性のアルバムを発表。『Balancê』は、プラチナディスクを獲得し、BBC Radio 3 World Musicの新人賞にノミネートされた。2011年に、カーボベルデ・ミュージック・アワードで最優秀女性ボーカル賞を受賞することになる。

 2009年に発表したアルバム『Xinti』のリリースツアーは、国内外を回り、ドイツでのアフリカ・フェスティバルも表彰された。
 活動休止を挟んで、5枚目のアルバム『Fitxadu』(2017年)は、ラテン・グラミー賞にノミネートされた。このアルバムでも、更に、カーボ・ヴェルデの音楽との繋がりを深め、多くのカーボ・ヴェルデの音楽家がゲスト参加している。生前最後の作品は、2023年9月15日にリリースされたシングル「KURTIDU」であった。

 若くしてその歌唱力で認められたサラ・タヴァレス。両親の故郷カーボ・ヴェルデと自分が育ったポルトガルという2つの音楽カルチャーを体現する存在として、次第にその音楽性にアフリカ音楽の要素を強めていくことで唯一無二のシンガーソングライターとしてその音楽性を確立していた。

  日本での演奏は、ソロ公演はなく、渡辺貞夫のライヴで、ゲスト出演したのが唯一のよう(2006年)。Rest In Peace.

サラ・タヴァレス
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