世界を歌でつなぐエリフ・サンチェス新作『Así pues…』
まるで国境など存在しないかのように、世界中を音楽で自然に結びつける。彼女の歩みは、そう感じさせるに充分な説得力を持っている。
トルコ出身の歌手エリフ・サンチェス(Elif Sanchez)。
トルコ、アルメニア、アゼルバイジャンといった中東/東欧の音楽に深く根差したデビュー作『Elif Sanchez』(2021年)に始まり、フラメンコに傾倒した『Mi Voz』(2022年)、ポピュラー音楽のエッセンスを塗しつつジャジーな魅力で酔わせる『Stages of Love』といった作品を経て、間違いなく現行のジャズ/グローバル・ミュージックのシーンで確かな足跡を残してきた。
そんな彼女の2026年作『Así pues…』は、はっきり“金字塔”だと断言したい。
アルバム冒頭に収められた(1)「Choro Pro Zé」は、そう確信させてくれる最高の幕開けだ。
ソリストとしてフィーチュアされるのは北マケドニア出身のクラリネット奏者イスマイル・ルマノフスキー(Ismail Lumanovski)。そしてポーランドの弦楽四重奏団オ・クワルテト(O Kwarteto)の情緒豊かな伴奏を得て、エリフ・サンチェスは個性的で美しい揺らぎのヴォーカルで“世界観”を作り上げる。
そして忘れてはならないのが、このあまりに独創的で美しい楽曲を創ったブラジルの鬼才ギンガ(Guinga)だ。ギンガは自作曲(3)「Canção Desnecessária」でエリフ・サンチェスとともに歌うほか、自身の代表曲である冒頭曲では彼自身のギターとエリフ・サンチェスのデュオ版(8)「Choro Pro Zé」も披露。アナトリア特有の繊細な音楽的抒情性を伴ったエリフ・サンチェスの歌を得て、ギンガの楽曲も驚くほどに鋭く研ぎ澄まされる。
スペイン出身のハーモニカ奏者アントニオ・セラーノ(Antonio Serrano)と、ギリシャのSSWディミトリス・バクーリス(Dimitris Bakoulis)を迎えギリシャ語で歌う(2)「Epilogos」も素晴らしい。アルバム全体がトルコ、ギリシャ、スペイン、ブラジルを結ぶ旅として構成されているが、ディミトリス・バクーリス作のこの曲はその中でも特にギリシャ色の濃い楽曲。ディミトリスとエリフの歌唱はそれぞれ独特の節回しだが、エーゲ海を挟んで隣り合うトルコとギリシャの文化的な相似を感じさせる。アントニオ・セラーノはクラシックとジャズの両分野で活躍するクロマチック・ハーモニカ奏者で、抒情的な演奏が見事に歌とストリングスに溶け合っている。
(4)「Baxe Tsifliki」はギリシャの国民的シンガーソングライター、ヴァシリス・ツィツァーニス(Vassilis Tsitsanis, 1915 – 1984)の代表曲のひとつで、レベティコ1の古典的名作。トルコとギリシャの深い文化的な結びつきを示すこの楽曲は弦楽四重奏によって大きく再解釈され、クロスカルチャー風に昇華されている。
エリフ・サンチェス自身の作の(5)「Uyan」は、トルコ語で「目覚めよ」を意味する。彼女のアナトリア的な歌唱が最も色濃く表れた一曲だ。つづく(6)「Valsinha」はシコ・ブアルキ(Chico Buarque)/ヴィニシウス・ヂ・モライス(Vinicius De Moraes)の楽曲のカヴァー。こうした地理的に大きな飛躍ですら、ストリングス・カルテットとエリフ・サンチェスの歌唱によって違和感なく溶け込んでいる。
Elif Sanchez プロフィール
エリフ・サンチェスは、トルコ・イスタンブール出身のシンガーソングライター。現在はスペイン・マドリードを拠点に活動し、アナトリア音楽、ジャズ、フラメンコ、ラテン音楽を横断する独自の表現で国際的な注目を集めている。
音楽一家に育ち、幼少期からトルコおよびアゼルバイジャンの伝承音楽に親しんだ。イスタンブール大学国立音楽院ではオーボエとイングリッシュホルンを専攻し、クラシック音楽の基礎を修得。その後、奨学金を得てアメリカのバークリー音楽大学へ進学し、ジャズ・オーボエとヴォーカルを学んだ。2017年には同校を卒業し、Bill Pierce Award と Mediterranean Music Institute Award を受賞している。
在学中から多文化的な音楽活動を展開し、自身が結成した Mediant Collective を通じて注目を集めたほか、スペインの名プロデューサー、ハビエル・リモン(Javier Limón)のプロジェクトにも参加。卒業後はニューヨークを拠点に活動し、その後スペインへ移住した。これまでに David Liebman、Terence Blanchard、Antonio Serrano、Tigran Hamasyan、Jacob Collier、Guinga、Pablo Ziegler らと共演している。
2021年に発表したデビュー作『Elif Sanchez』では、トルコおよびアゼルバイジャンの民謡をジャズやワールドミュージックの視点から再解釈。続く2022年の『Mi Voz』では、スペイン語圏の音楽へさらに接近し、アナトリア音楽とイベリア、ラテン世界を結ぶ独自のスタイルを確立した。
その歌唱は、トルコ音楽特有の旋法感覚や微分音を活かしながらも、ジャズの自由な表現力とフラメンコの情熱を併せ持つのが特徴である。2026年の『Así pues…』ではポーランドの弦楽四重奏団 O Kwarteto と共演し、トルコ、ギリシャ、スペイン、ブラジルを結ぶ音楽的旅を描き出した。国境やジャンルを越えて響き合うその音楽は、現代の地中海世界を象徴する越境的な表現として高く評価されている。
- レベティコ(ギリシア語:ρεμπέτικο、英語:Rebetiko)…現代ギリシャの大衆歌曲で、典型的にはブズーキの伴奏で歌われる。1930年代にギリシャとトルコの住民交換でトルコ領内からギリシャへ移住させられた人々によって始まり、1960年代の民主化の時代に再興があったといわれている。 ↩︎